5話 ガイドブックの制作費


  スマトラのある街で、イギリス人の若者に会った。ハーバードの留学生である彼がスマトラに来たのは、旅行でも研究のためでもなく、仕事のためだった。ロン リープラネット社のガイドブック『インドネシア』の改訂版のために、旅行情報の確認作業を2カ月だったか3カ月かけてやっていると言っていた。彼の担当は スマトラで、ジャワやバリなどでも何人かが長期の取材をしている。
 日本の出版社が出すガイドブックなら、スマトラだけでこんなにカネと時間をかけて再取材はしないだろう。世界をマーケットにしている英語の本は、さすが にやることがデカイ。日本語というマイナー言語で出版するとあまり売れないから、どうしても制作費を押さえることになる。
 そう思っていたのだが、どうやら無知ゆえの誤解であったようだ。
 ガイドブックを出している出版社の編集者に、「もし制作費が現在の2倍に増額されたら、そのカネをどう使いますか」とたずねてみた。
 A社では、「全ページカラーにして、カメラマンが撮ったちゃんとした写真を使いたい」といった。B社では、「増額分をそっくり宣伝費に使いたい」といっ た。つまり、制作費を豊富に使えるようになっても、取材費に振り分けるという発想はないのである。例えば、スマトラ取材に2カ月かけて、100ページ分の 立派な原稿ができたところで、それを喜ぶ読者はほとんどいない。だから、その取材は結局無駄遣いということになる。インドネシア語が堪能で、インドネシア の文化や社会にも詳しい研究者に高額の原稿料を支払って、現地取材をしてもらい、内容の濃い原稿を書いてもらっても、そういう文章を喜んで読む旅行者はほ とんどいない。時間と手間とカネをかけてガイドブックを作っっても、それがセールスポイントにはならないのである。 読者が求めないものは、作らない。 「制作費を2倍に増額」というのは、ガイドブックに関していえば、結局「宝の持ち腐れ」である。