93話 傍流のおもしろさ


 私は酒はいっさい飲まないが、口に入れるもの全般には興味がある から、酒の本も一応目を通していたこともあるが、どうも趣味にあわない。世界の食べ物の本なら、屋台の料理も市場の立ち食いも取り上げるが、こと酒となる と、格好をつけて、権威が前面に出てくる。「ボルドーがどうした」「スコッチの伝統が…」といった話がいつまでも続く。
 食文化を研究している人なら、どこの料理がうまいといった話はあまりしない。自分にとってその料理、あの料理店の味がどうかというより、その土地の文化の中で、どういう食文化が営まれているかを知ることが重要だからだ。
 ところが、それが酒の話になると、とたんにワインのウンチクが始まったり、どの清酒が、あの焼酎が、といった話になる。私が読みたいと思う酒の話は、 「うまい」か「まずい」の話ではなく、ある地域での酒と文化の話だ。だから、ラベルがはってある酒に限定する必要はない。ラベルもなく、ビンにも入ってい ない酒がその土地で一般的ならその話を書いてくれればいい。
 深山分け入って、少数民族が暮らす小さな村で、まだ誰も文章にしたことがない密造酒のルポを書けと言っているのではない。そんな苦労しなくても、たとえ ば、バンコクで、たとえばバリで見かける酒でいいのだ。タイの酒といえば、いつまでたっても、メコンなどの米ウイスキーとビールのことばかりとりあげ、そ れ以上調査しようとする人はきわめて少ない。「バンコクで容易に入手できる酒を全部飲んでやろう」などという酒飲みライターはまだいないようだ。
 酒と同じ事情にあるのが、自動車だ。例えば「世界の自動車」などという本を見れば、日本の車のほかに、メルセデスプジョーなどおなじみのメーカーの車種は紹介されるが、ロシアの車も中国で生産されている車も登場しない。
 ジャカルタで初めてキジャンを見たときはびっくりした。
 初めは、「なんだ、あの車は!」と思った。次に、その車の名前がキジャンだと言うことを知った。聞いたことがない車種だ。
 それがどんな車かというと、子供がボール紙で作ったような車だ。丸みがまったくない車だ。「四角い車」とか「角ばった車」と表現される車はあるが、そう いう車だって、よく見れば曲線はある。ところが、このキジャンは、平らな鉄板を上下左右に貼り付けたスタイルをしている。「これは、ロシアか中国の軍用車 じゃないか」と思った。色が軍用車によくある緑色だったせいでもある。
「あれは、トヨタの車だよ」と友人が言った。
 まさか、トヨタがこんな車を作るかよと思ったが、点検してみると、TOYOTAという文字が見える。それが何年製のキジャンかはわからないが、初代のキ ジャンはまるで軍用車だった。のちに、第二世代がうまれて、日本でもよく見かける3列シートのワンボックスカーに姿を変えている。
 このキジャンのように、日本人のほとんどが知らない日系メーカーの車は、世界各地にある。同じように、ドイツ系、フランス系の現地生産車もある。もちろん、民族資本の自動車メーカーもある。
 自動車ファンとか自動車評論家といった人は、台湾をどんな車が走っているのか、まったく興味がないらしい。台湾で生産している車はメルセデスのような完 成度はないだろうし、フェラーリのようなスピードもでない。しかし、台湾にも自動車の文化はある。それを伝えたいとは思わないのか。知りたいとは思わない のか。
 自動車を性能と権威でしかとらえられない人の不幸は、酒の場合と同じだ。「うまい」と「高い」しか語彙のない、自主性のない酒愛好者たち。好奇心のないマニアたち。鉄道ファンなら、もう少し広い視野を持っているのだが。