中国茶を初めて飲んだのは、たぶん小学一年生のときに行った横浜中華街の料理屋だろうと思うが、どんなお茶だったのかまったく覚えていない。覚えていない ということは、ひどく苦いとか、たまらなく臭かったという記憶もないということで、ジャスミン茶やプーアール茶ではなかったのだろう。中華街の店だった が、日本間の個室で食事した。料理は、巻き揚げしか覚えていない。巻き揚げというのは、湯葉かブタの網油でブタ肉やタケノコを巻いて、油で揚げたものだ。 春巻きは、小麦粉のあの皮が好きではないので食べないが、この巻き揚げは大好きだ。
次に中国茶を飲んだのがいつなのか、記憶がはっきりしない。たしかなのは、1973年に初めてタイに行ったときだ。バンコクの中華街の食堂で、あまり味 のしないお茶を飲んだ。その後、マレーシアやシンガポールや香港で、中国茶をがぶ飲みしているが、それがどういうお茶だか、まったくわからない。すでに、 中国の食文化の本は読んでいたから、中国にはどんなお茶があるのかという知識はあったが、名前と味が結びつかなかった。はっきりいえば、お茶にそれほど興 味がなかったのである。
中国茶との衝撃的な出会い第一弾は、銀座で中国料理のコック見習いになった初日のことだ。午前中、仕込みをやっていると、店の雑用をやってくれるおばさ んがお茶をいれてくれる。コップに入ったお茶が、ひどく臭かった。ジャスミン茶だということはわかった。店で客に出しているお茶だ。20年以上前だった ら、日本で「中国茶」といえば、ジャスミン茶と決まっていた。それ以外の中国茶を知っている人は、中国通や中国料理通というマニアのような人だけだったと 思う。
臭くてたまらんと思ったジャスミン茶だったが、数日したらなんとも思わなくなった。毎日、中国料理を食べていると、舌も鼻も中国茶を求めたのかもしれない。油を使った料理には、中国茶がよく合う。
コックをやっていたころ、いっしょに中国語を習っていた友人が台湾に行った。目的のひとつが、うまい中国茶を手に入れることだった。友人は、茶の産地だと教わった地に行き、タクシーの運転手に「最高の烏龍茶が手に入る店に連れて行ってほしい」と言った。
「それで、手に入れたのがこのお茶だよ。飲んでみようよ」
帰国したばかりの友人はそう言い、缶から茶葉をひとつまみ取り出し、コップに入れて熱湯を注いだ。すでに烏龍茶は飲んでいたが、私が知っている褐色の葉ではなく、緑色をしていて、茶葉がまるまっていた。
茶葉はコップのなかでみるみるうちに広がり、豊かな香りを漂わせてきた。透明な薄緑の液体を口に含むと、高価な日本茶にも通じる甘さが感じられた。
「こいつは、すごいね」
衝撃的な出会い第二弾だった。
「うん、すごい。えらく高かっただけのことはあるな」
「こんなうまい烏龍茶を飲んだのは初めてだ」
「そんなに好きだったら、半分持っていく? これ一缶で1万円ちょっとだから、半分分けてあげようか」
大きめの缶にはたぶん一斤(600グラム)のお茶が入っている。その半分で5000円。その当時の私の給料は手取りで7万円ほどだから、いくらうまいといっても、お茶に5000円払える余裕はない。
私が貧しいことを知っている友人は、それ以上勧めず、私も黙ってお茶を飲んでいた。
台湾のうまい烏龍茶といえば凍頂烏龍茶だ。
その後、経済的に多少豊かになった私は、台湾でも香港でも日本でも、この凍頂烏龍茶を買い求めたが、あれほどうまいお茶には出会えない。友人もたびたび 台湾を訪れ、同じ街に行って同じお茶を探したが、初めて行った日は夕暮れの街をタクシーで走ったので、どこで買ったのかという記憶がはっきりせず、やはり 感動の凍頂烏龍茶は手に入れることができずにいる。今でも会えば、「あのときのお茶、うまかったね」という話が必ず出る。
味覚は錯覚だと思っているから、初めて飲んだ感動で過大評価しているのだろうという気もするし、おそらくそうなのだろうが、「甘露」といえる烏龍茶をまた飲みたいものである。
日本で烏龍茶がブームになって以来、中国茶といえば烏龍茶だと日本人は思い込んでいるが、烏龍茶というのは中国南方のお茶で、上海や北京の人はそんなお茶を飲んだことはないし、名前も知らないのが普通だった。
そういう中国茶事情を一変させたのがサントリーだ。上海で缶入り烏龍茶を売り出して普及した。日本の企業が中国で中国茶を売ったわけだ。その宣伝をした 中国人がラジオで話していた。まず、烏龍茶とはどういうお茶か知ってもらうことが重要で、その説明に苦労しました、と。