1410話 食文化の壁 第8回

 お茶と甘さ

 

 自宅でのんびり過ごしている方が多いからか、このコラムに対して「シェア」という人が今までになく多いのだが(SNSに疎いので、その意味がわからないものの・・・)、この「食文化の壁」シリーズの第2回(1404話 乳製品)だけがいつまでも「シェア0」という理由がわからない。私の考えに反対というのか、関心がないというのかよくわからない。いつもはほとんど無視されているコラムだから気にしていなかったのだが、今回の食文化の壁シリーズの「乳製品」の回だけが<反応なし>というのがわからない。

 まあ、それはともかく、今回はお茶の話。

 1970年代か80年代あたりの日本茶研究者たちの認識では、いずれ日本人はお茶を飲まなくなるだろうという危機感があったという。若者はお茶ではなく、コーラなど清涼飲料水やコーヒーを飲むようになり、年寄りだけがお茶を飲むようになり、いずれ、日本からお茶が消えるだろうという予測だ。

 この予測を補強するように登場してきたのがスポーツ飲料だ。テレビ番組では、「急須のない家」(ついでに、包丁もまな板もない家庭)が紹介され、飲み物は買ってくるものという意識が強くなった。

 「日本人が冷たいお茶を喜んで飲む時代が来るとは思ってもいませんでした。ペットボトル入りのお茶を・・・・ですよ」と研究者が言う。工業製品としてのお茶の歴史を改めて調べてみる

 1981年 伊藤園サントリーは缶入りのウーロン茶を発売。サントリーは中国での発売に力を入れる。ウーロン茶は中国南部のお茶なので、北京の人はそんな茶を知らない。サントリーが広報活動をやったのだ。

 1985年 伊藤園、缶入り緑茶を発売。

 1990年 伊藤園、ペットボトル入りに緑茶を発売。 

 こういう歴史を振り返ると、「お茶は急須でいれなくてもいい、冷たくてもいい」という認識が出てくるのは1990年代からだとわかる。さらに調べると、1990年のペットボトル入り飲料は大容量のものに限定されていた。業界の自主規制で500ml入りの小型ペットボトルはなかったのだが、それが解禁されたのは1996年だった。それ以後、「飲み物は、コンビニか自動販売機で買う」という時代が本格的に始まったのだ。お茶も水も買う時代に入ったのだ。

 今回書こうとしたのはお茶の歴史ではなく、外国人と緑茶の話だ。お茶に砂糖を入れないのは、中国人と日本人とモンゴル人以外ではそれほど多くない。紅茶を飲む人たちは砂糖かミルクがその両方を入れて飲むのが普通だ。だから、砂糖もミルクも入れない緑茶は外国人にはなかなか受け入れられなかった。

 ところが・・・、「なんだいこれは!」とびっくりした。2000年代に入ってからのバンコクだ。コンビニでペットボトル入りの緑茶を売っているのを見つけた。タイで、緑茶。中国にも緑茶があるが、これは日本茶だ。ラベルのデザインが日本で売っている商品と似ているので、同じ味だろうと予想して口に運んだら、甘いのだ。ラベルに無糖を表す表記を確認してから買わなければいけないと学んだ。台湾のペットボトル入りのお茶も加糖だと知って驚いた。台湾でも、お茶は日本同様そのまま飲むじゃないかと思った。どうやら、冷たいお茶は、熱いお茶とは認識が別らしい。中国文化にも、甘くした冷たいお茶はある。

 というわけで、お茶は、無糖だと外国人に高い壁となり、加糖だと日本人に高い壁となる。

 飲み物ではないのだが、抹茶入りの甘い菓子が外国人観光客の土産物で大人気になる時代が来るなどと、茶業関係者は予想だにしていなかったはずだ。茶の消費量の減少にブレーキをかけたのは、ペットボトル入りのお茶だ。コメの消費量の減少にブレーキをかけたのは、コンビニの弁当とおにぎりだ。「日本の食文化を守ろう」と言った主張する人たちは、コンビニ食を敵と見ているようだが、実は守護神だったのである。