959話 イベリア紀行 2016・秋 第84回

 小ネタ雑談 その7


■乳母車と車椅子 街で乳母車と車椅子を多く見かけた。マドリッドに障害者や老人と乳幼児が多くいるのではなく、子供も年寄りもどんどん街に出てきているから、私の目に触れるのだ。思えば、台北だって同じような光景を見ている。台北マドリッドに共通していて、東京と違う点は、まず職住接近である。繁華街でも、旧市街なら中層ビルの上階は住まいになっている。夜はゴーストタウンになってしまう街ではなく、夜間人口も少なくならないから、繁華街は「ウチの近所」であり、幼児や老人がいる家族連れが街に出てくる。東京では、新宿や渋谷や銀座の繁華街に、家族が住める住宅はほとんどない。そういう違いがある。
 もう一点の違いは、台湾でもスペインでも、老人の世話をフィリピン人が担っているということもある。家族に代わって、フィリピン人の介護者が車椅子に老人を乗せて、近所の公園や遊歩道や広場やカフェに出て、気分転換や日向ぼっこをさせている。だから、散歩をしている私と出会うのだ。
■緑茶と鉄瓶 マドリッドを散歩していると、カフェの前、路上でコーヒーを飲んでいる客の中に、鉄瓶でお茶を飲んでいる人を何度か見かけた。気になっていたので、いつか確認をしないといけない。そう思っていたある日、休憩で立ち寄った店でも鉄瓶で緑茶を飲んでいる客がいた。いい機会なので、私も緑茶を注文した。スペイン語が印刷されたティーバッグと湯が入った鉄瓶がテーブルに運ばれてきた。鉄瓶は底も来たが、文字も印もないから、どこで製造したものやらわからない。
 緑茶は、中国の緑茶だと思ったのだが、スペイン製のハーブティーだ。緑茶になにかの香りがついていて、私の好みではない。単純な烏龍茶か、せいぜいジャスミン茶ならおいしかったのかもしれないのに。

 ティーバッグの箱をとっておいたのだが、見つからない。たいしたことは書いてなかったと思う。


■デパート スペインのデパート史を調べていると、日系企業の「夢の跡」を見るようである。バルセロナのオリンピック(1992年)目当てに、日系デパートが開店している。バルセロナ三越1991~93、バルセロナ伊勢丹1991~93、バルセロナそごう1993~94。バブル時代に計画を立てて、オリンピックが終われば閉店という、祭りの屋台のような商売だ。
 マドリッドにも三越があった。ウィキペディアでは「1979年開店」となっているのだが、1980年代のマドリッドの資料を読んでも、三越のことはまったく出てこない。三越の資料にも出てこないので、さらに調べてみた。論文「日系百貨店による海外ツーリスト市場戦略の再評価:欧州における新しい変化」(川端基夫、2011、関西学院大学リポジトリ)を読むと、マドリッド三越は1990年開店、2009年閉店となっている。こちらの方が信用できそうだが、私はこのデパートには行ったことがない。
昨今のテレビは、日本人と日本企業礼賛番組ばかり流しているが、外国へのデパート進出物語を特集すれば、バルセロナはもちろん台湾でも香港でも、討ち死にした歴史がはっきりわかる。
■ショッピングセンター マドリッドのある日、高級住宅地であり、高級品店が並ぶセラーノ地区を散歩していたら、気になる建物に出会った。外から見ると博物館のような建物だが、看板は見えない。ドアが開いているので、暗い室内に入り込むと、奥が広くなっている。工事の音が聞こえた。「きょうは、閉店です」と警備員が言った。すごすご引き下がり、入り口付近を再確認したら、小さな看板が見えた。”Centro Comercial ABC Serrano”。おおこれが噂のABC(アーベーセー)ショッピングセンターか。「噂」というのは言葉のアヤで、資料で読んだことがある施設だ。出版社だった建物をショッピングセンターに改装したという場所だ。看板は探さないと見つからないほど小さいが。あった。看板の小ささは、超高級店であることを暗示している。
 店内には入れないので、外観を見た。私が入ったセラーノ通り側の入り口は、どうやら裏口だったらしい。正面は、あまり人通りのないカステリャーナ通りらしい。この建物はなかなかにすごい。とてもショッピングセンターには見えない。店内はまったく知らないが、建物を見るためだけに来ても損はない。

 ここが、ショッピングセンターですよ。