あれは多分、1980年代の初めころだったと思う。英語で書かれたインドネシア料理の本を読んでいて、次のような文章にびっくりした。よく覚えていないが、著者はアメリカ人かオーストラリア人だったような気がする。
サテはHIBACHIで焼くとうまくできます。
サテというのは、日本でいえば焼き鳥のようなもので、肉を串焼きにする料理だ。もともとインドネシアやマレーなどのイスラム教徒の料理なので、肉はヤギかニワトリかウシを使うことが多いが、中国人相手ならブタを使うこともある。サテは、インドネシアでは SATE とつづり、シンガポールやマレーシアでは SATEY とつづる。タイでも同じ「サテ」の名で、都市部では非常にポピュラーな料理だ。
サテそのものは、その本を読むずっと前から食べているから、サテそのものに対する疑問はその歴史以外なにもないのだが、日本人としてはどうしても HIBACHI のほうにひっかかる。なぜここにヒバチなんだ。インドネシア料理とヒバチ(火鉢)との奇妙な取り合わせが気にはなるが、インドネシア料理には直接関係ない し、「まあ、とりあえず今は、どうでもいいや」ということにして、本のページは先へ先へと読み進んだ。それ以来20数年間、ヒバチのことはまったく忘れて いた。それが、つい先日、アメリカ人が書いた本で、あのころを思い出したのだ。
アメリカ人の詩人で翻訳家、日本語で書いた詩集で中原中也賞を受賞しているアーサー・ビバードのエッセイ集『日本語ぽこりぽこり』(小学館)に、HIBACHIが出てきた。
彼はこう書く。ミシガン州で生まれ育った少年にとって、「ウルトラマン」以外に知っている唯一の日本語が「ヒバチ」で、自宅にもヒバチがあった。
そのミシガンの少年が成人し、日本に来て、彼が知っているHIBACHIが、日本語の「火鉢」とは違うのだとわかって、日本語の先生にHIBACHIの説明をした。
「HIBACHIというのは、野外でバーベキューするためのグリル、つまりコンロで、もっと小さくて、鉄の網をのっけてハンバーガーとかフィッシュとか焼くんだよ」
先生とのやりとりでわかったのは、彼が知っているHIBACHIは日本では「七厘」と呼ばれているものだとわかったというのだ。
これで、二〇数年来の疑問が少し解けた。サテを焼くのに便利だというのは、火鉢じゃなくて七厘だったというわけだ。でも、ミシガンの家庭にも七厘がごく 普通にあるというのは、知らなかった。私が知っているのは、日本語ならバーベキュー器とでも呼ぶのだろうか、ドラム缶をタテ半分に切って横に置いた道具 で、下半分に炭を入れ、金網を乗せて肉を焼く。上半分はフタになる。缶の大きさはいろいろある。こういう道具でハンバーグを焼くと、ちょっと燻製風になっ て、うまい。
それはともかく、七厘がなぜヒバチと名を変えたのか著者にもわからないようだ。もちろん、私にもわからない。
わからないついでに書いておくと、インドネシアでもどこでも、サテを焼く道具は、日本で焼き鳥やウナギを焼く道具と同じものなのだ。串焼きという料理法 も、焼く道具も同じというサテの歴史を知りたいものだ。料理法の解説などもういいから、こういう料理史の話を誰か書いてくれないものだろうか。