206話 1958年、東京の外国料理店(1)

 イタリア料理店やドイツ料理店など



 向井啓雄が書いた『この国あの国 ―― 肴になる話』(春陽堂書店、1958年)を古本屋で手に入れた。向井の本は、インターネット古書店の目録で、『とつくにびと ―― 風變りな旅行者』(文藝春秋新社、1956年)で初めて知った。海外旅行記なのだろうが、あまりおもしろそうではないので、注文をしなかった。この本を古 本屋で安い値段で見つけ、そのとなりに同じく向井の『この国・・・』があり、ついでに買ったというわけだ。著者紹介によれば、向井は国際文化会館勤務とい うから、鶴見良行の同僚だったということになるのだろうが、鶴見とはまったく違う世界の本だ。
 ざっとみて、まあ、2冊とも、買わなくてもよかった本だとわかったが、すでに買ってしまったのだから、どこかおもしろそうな個所を見つけようと探していたら、『この国・・・』にこういう文章があった。「食べものへの興味」と題したエッセイからちょっと、引用する。

 フランス料理、アメリカ料理、イギリス料理のほか、東京 では実に多くの外国料理が食べられる。ちょっとかぞえあげてみても、中華料理、ドイツ料理、ハンガリー料理、インド料理、イタリー料理、メキシコ料理、ス ペイン料理、蒙古料理、ロシヤ料理、タイ国料理、朝鮮料理などと十指にあまってしまう。

 この本は1958年、昭和33年の出版だということを忘れないで欲しい。戦争が終わって13年、東京にはすでに外国料理店がいくらもあったらしい。その頃の各国料理店事情を探ってみようというのが、今回の趣旨だ。
 まず、フランス料理だが、これは帝国ホテルなどいくらでもあるから特に触れる必要はないだろう。アメリカ料理は、ニコラスのようにピザの店はすでにあ る。ハンバーガー・イン(六本木)は1950年の開店。港区の芝公園近くに在日アメリカ人のたまり場になっていた「ジョージ」というレストラン・バーが あった。イギリス料理は、パレスホテルに「グリル・シンプソン」というイギリス料理店があった。当然ローストビーフが売り物だが、パレスホテルの開業は 61年だから、この本の「イギリス料理」は別の店だ。帝国ホテルのようなホテル内にイギリス料理店かパブがあったかもしれないが、調べ切れなかった。ちな みに、帝国ホテルなど高級ホテルは、1952年まで連合軍に接収されていて、日本人の利用は許可されなかったから、ホテル内に連合軍兵士用の飲食店が多数 あっただろう。
 中華料理店は戦前からすでにいくらでもあるから、省略。ドイツ料理店は、アルト・ハイデルベルグ(青山)、ケテル(銀座)、ラインランド(麻布)、ロー マイヤー(銀座)などいくつかあった。ちなみに、第一次大戦で中国の青島で捕虜になったドイツ人ローマイヤーが、日本に永住し銀座に店を開いたのは、 1925年である。ケテルのほうは、1927年の開店。日本のドイツ料理店史やハム・ソーセージ史を調べて行くと世界史に関連してくるので、なかなか興味 深い。興味があれば、ネット上でもいいから、調べてみるといい。
 ハンガリー料理店は、銀座に「ハンガリヤ」という店があった。1950年の開店。ハンガリー人の店主は、戦前の来日。
 インド料理店といえば、1950年に開店し、いまも営業している歌舞伎座近くのナイルだ。九段のアジャンタも、1957年に開店している。
 イタリア料理店は、六本木にニコラスやシシリアが開店したのは1954年。キャンティは1960年開店だから、『こんな国・・・』で取り上げた「イタリー料理」には入らない。相模大野のアントニオが六本木で店を開くのは1959年だと思う。
 メキシコ料理店は、新橋駅近くのガード下にパパガヨという店があった。メキシコ料理店ということになっているが、ナイトクラブでもあり、ストリップ ショーもあったという。経営者はポーランド系イギリス人だったそうだ。のちに、虎ノ門に移転している。1968年のメキシコ・オリンピック前後に、東京に メキシコ料理店が数店できたらしいが、1958年の時点ではまだ少ない。
 スペイン料理店探しは簡単にはいかない。伊勢丹会館のエル・フラメンコは古かったなあと思って調べてみたら、1967年の開店。資料では、60年代末に 歌舞伎町にヴァレンシアという店があったことはわかっているが、58年の時点ですでに営業していたかどうかは不明。「日本最初のスペイン料理店」という宣 伝文句を使っているのが、神戸のカルメンで1956年の開店だそうで、この情報が正しいとすれば、1958年にはスペイン料理店がまだなかった可能性もあ る。結局、東京最初のスペイン料理店はわからなかった。
 戦後、どういうわけか蒙古料理、ジンギスカンのブームがあった。成吉思荘(高円寺)馬上杯(新宿)など多数。通称「ジンギスカン鍋」を使った料理は、満州事変(1931年)頃から東京に登場したらしい。
 引揚者やシベリア抑留者などが、日本でロシア料理店を開く例があった。カチューシャ(神田)、コザック(六本木)、バラライカ(神田)、ロゴスキー(渋谷)など多数。加藤登紀子の両親が新橋で開いたスンガリーは、1957年の開店。現在は新宿で営業している。
 朝鮮料理店といっても、焼肉屋と呼んだほうが似合っているようだ。大昌園(銀座)や板門店(上野)、徳寿(新橋)などがある。
 タイ料理店については、次回にじっくり書く。