207話 1958年、東京の外国料理店(2)

  日本最古のタイ料理店



 1958年に出た『この国あの国 ―― 肴になる話』(向井啓雄、春陽堂出版)を読むと、東京にはじつに多くの外国料理店があるらしいとわかる。そこで、1958年の東京の外国料理店事情を調べ てみようとしたのが前回で、「タイ国料理」の店だけをまだ積み残している。偶然ではなく、もちろん意識してやったことだ。
 都内食べ歩きのガイドブックでも、インターネット情報でも、日本最初のタイ料理店は、「1979年開店のチェンマイ(日比谷)だ」ということになってい る。誰かがそう書き、右にならえと皆が同じことを書いてきたわけだが、それが真実なら、1958年に出版された本に、東京に「タイ国料理店」もあると書い てあるのは、そもそもおかしいということになる。
 向井啓雄の文章が間違いだろうか。このあたりの謎解きをすでに活字ではやっているのだが(雑誌「旅」での連載、そしてその原稿をまとめた拙著『異国憧 憬』JTB)、わたしの本は売れない上に、ガイドには興味はあっても、ほとんどの人は食文化史などにはいっこうに興味がないようなので、私の発見も黙殺さ れたままだ。
 そこで、ネット上に再度書いておこうと思う。
 古本屋で偶然手に入れた本が、情報源だ。『東京味どころ』『続・東京味どころ』(佐久間正、みかも書房、1959年)は、当時の食べ歩きと夜遊びのガイ ドだ。現在なら、「夕刊フジ」や「日刊ゲンダイ」の街ガイドのようなものだ。『続・・・』のほうを読んでいたら、バンコックというタイ料理店が紹介されて いて、びっくりした。私も、日比谷のチャンマイが最古だと思っていたから、1959年の時点でタイ料理店があった証拠を偶然見つけて、ホントに驚いた。
 歌舞伎座の前に、今も日の出寿司がある。そのすぐ近くの三原橋ビルにバンコックというタイ料理店があった。当時の住居表示では東銀座だ。以前はエルベと いうドイツ料理店だったが、「数年前に」タイ料理店に生まれ変わったそうだ。1959年に出た本で、東京には「数年前に」できたタイ料理店の案内が載って いる。したがって、1958年に出た『この国あの国』にタイ料理店があると書いてあっても不思議ではない。日比谷のチェンマイ以前に、東京にはタイ料理店 があったことが、資料で確認できた。
 経営者はタイ人だそうだが、店員は日本人。「(壁に)ワニ皮をはりつけたり、ヤシの実をぶらさげたり、民芸品をならべたり、いろいろタイの情緒を出そうとしている」店らしい。

 エビのスープ(トムヤムクン 二百円)をまず注文。芝エビが十個以上はいっていたが、タカイというセロリより強い香りのもの、バイマックというこれも香り高い葉が入っていて、舌がしびれるような感じ。

 タカイというのは、タックライ(レモングラス)、バイマックはバイ・マックルート(コブ ミカンの葉)のこと。「トムヤムクン」などと、このタイ料理をカタカナ表記したのも、もしかして、この本が日本最初かもしれない。料理はだいたい1皿 200円。デパートの地下でサンドイッチとコーヒーで80円。天丼が100〜150円くらいした時代だ。
 知人の話によれば、戦前に東京は芝あたりにタイ料理店か、中国系タイ人がやっている料理屋があったと想像できる根拠がいくつかある、という話を聞いたが、いまだ調べはついていない。情報をお持ちの方は、アジア文庫までご連絡ください。

 余談だが、日本の外国料理店誕生のいきさつというのは、なかなかに興味深いものだ。料理人が日本で店を出すというような単純明快ないきさつは、むしろ少数派のような気がする。麻布のドイツ料理店「ラインランド」の店主は、旧制高校のドイツ人教師。銀座のハンガリー料理店「ハンガリヤ」の店主はハンガリー人画学生。原宿のフィリピン料理店「カフェ・セントラル」は、戦後賠償の交渉のために東京に滞在していたフィリピン使節団からの要請で、喫茶店でフィリピン料理を作り始めたのがきっかけだ。