212話 吉田集而さんの本を巡って


 本が好きなくせに、本屋に長居するのが苦手だった。さっさと本を探し、さっさと出て行くのがいままでの習慣だった。本の数が多すぎると圧迫・圧倒されて息苦しいのだ。苦しくなって、「本なんて、もうどうでもいいや」という気分になるのだ。
 そういう習慣が変わったのは、池袋にジュンク堂ができてからだ。他の本屋にはない本がいくらでも置いてあるので、各階の棚めぐりをしていても飽きないのだ。
 先日も、例によって池袋ジュンク堂で棚巡りを楽しんでいたら、文化人類学の棚に『生活技術の人類学』(吉田集而編、平凡社、1995年、6800円)が あることに気がついた。吉田さんのこの本を、1995年当時、出たことに気がつかなかったのか、あるいは出版されたことは知っていたが、高額なので無視し たのか、そのあたりのことは覚えていないが、読んだことがないのは確かだ。ページをめくってみると、おもしろそうだ。読んでみたくなった。買わねばなるま い。
 民族学博物館の教授だった吉田集而(よしだ・しゅうじ)さんとは何度か顔を合わせてはいるが、立ち話以上の会話を交わしたことはない。植物学や入浴や、 私が興味を持つ分野の大先達であるが、なぜか話をするチャンスはあまりなかった。吉田さんの本は1冊か2冊は読んでいるが、熱心な読者ではなかった。
 「こんな本があったらいいなあ」と思い、私が企画した『東南アジア市場図鑑』 (弘文堂)が出来たのが2001年で、現物をお見せすると、「なんだい、植物一覧にベトナム語は入っとらんのかい。ベトナムは東南アジアじゃないのかね」 とご不満のようであった。ベトナム語ビルマ語もカンボジア語も、植物名と魚介類名リストに載せたかったのはやまやまだが、その作業ができる人が見つから なかったんですと答えたが、納得はしなかったようだ。「なまけものめ」という顔だった。
 吉田さんが倒れたのは、それから数ヵ月後の2001年末のことで、2004年に亡くなった。吉田さんの業績など詳しくは、民博のホームページにでている松原正毅さんの「吉田集而への弔辞」を読んでください。
 吉田さんが編者となった『生活技術の人類学』をどうしても読みたくなったのは、「ハヌノオ・マンヤン族の服装観―フィリピン、ミンドロ島山地民の事例か ら」という亘純吉(わたり・じゅんきち)氏の論文がおもしろそうだったからだ。内容は、民族服飾学とでもいおうか、褌の締め方と衣文化が語られている。
 この『生活技術・・・』という本は、民博で行なわれたシンポジウムをまとめたもので、おもにアジア・オセアニア地域の衣食住に関する論文を載せて、そのあと討論会という構成になっている。
 収められている論文すべてがおもしろいということはなかったが、植物の毒を使った漁について書いた「魚毒漁の分布と系譜」(秋道智弥)もおもしろかった。
 この本を読んだことで、吉田さんの手による本を調べてみたくなって調べると、『ねむり衣の文化誌』(吉田集而・睡眠文化研究所編、冬青社、2003年、 1800円)があることを知り、さっそく注文した。簡単にいえば、世界の人は何を着て寝ているのかという研究のようで、おもしろそうだ。そういう疑問を 1975年のヨーロッパで抱き、ちょっと調べたことがあるのだ。
 衣食住の研究で、衣文化だけが研究が遅れているような気がする。衣といえば、もっぱら織りと染めが中心で、それ以外ではパリコレクションなどの話になってしまう。これは調理と栄養と、店ガイドしか手をつけていない食文化研究みたいなもので、なんとも、もの足りない。
 衣文化研究が大展開しないのは、男が参入しないからだと思う。元凶が何かはわからないが、被服学や家政学が中心で、ほかの学問分野の人が次々に参入するシステムになっていないからだろう。
 まったく偶然なのだが、きのうたまたま神田で買った『オーストロネシアの民族生物学』(中尾佐助・秋道智弥編、平凡社、1999年、6400円)は、とんでもなく安かったので、目次も見ずに買ったのだが、吉田さんの「発酵パン果の謎」という論文があった。
 ここしばらくは、吉田関連本で遊べる。