1950年から74年まで日本で過ごしたオランダ人銀行員が書いた『まがたま模様の落書き』の話の続きだ。
この本を読んでおどろいたもうひとつのことは、日本の外国料理店に関するものだ。前回は1960年代の話だったが、今回はちょっと戻って1950年代、場所は関西だ。
1957年、著者は大阪支店の副支店長の24歳。日本の文化に深い関心がある著者は、さまざまな職種の人と交流していた。知り合いのひとりである医者 が、京都木屋町に持っている空きスペースの有効利用法を考えていた。そこで、やはり仲間のひとりが、著者がアドバイザーになってくれるなら、オランダ料理 店をやりたいと言い出した。そうしたいきさつで生まれたのが、オランダ料理店「ボーア」だという。ということは、もしかすると、これが日本最初のオランダ 料理店かもしれない。
著者は1959年に日本人と結婚するのだが、58年のデートで、「宝塚にあったイタリアレストラン『アベラズ』で夕食をともにした」とある。
1958年の宝塚にイタリア料理店があったのかと調べ始めて、自分の無知を痛感した(今に始まったことではないのだが・・・・)。
「アベラズ」というレストランは、おそらく原文は「アベーラさんの店」という意味の「Abela's」だろう。1946年に、イタリア人オラッツィオ・ アベーラが開店した「イタリアンレストラン アベーラ」のことだろう。1946年? とびっくりした。終戦の翌年だよ。
というわけで、『まがたま・・・』を離れて、もっと調べてみたくなった。
ことのいきさつは、1943年9月から始まる。この年、イタリアの輸送艦カリテア号は、日本軍に物資を補給するために神戸に寄港した。ところが、イタリ アは9月3日に降伏して、連合軍側になってしまったのだ。イタリアは突然、日本の敵になってしまったのだ。だから、カリテア号そのものも乗組員も、日本の 敵側ということになってしまったのだ。
捕虜となった乗組員のなかで、少なくとも3人のイタリア人が日本で料理店を開いたことがわかっている。
将校用のコックだったアントニオ・カンチェミは、1944年神戸でイタリア料理店を開くものの、物資不足でわずか数カ月で閉店している。戦後の動きはよ くわからないのだが、『日本で味わえる世界の味』(保育社、1969年)によれば、大阪の店をたたんで10年前に東京の麻布にやってきたという記述がある ので、それが正しければ、東京進出は1950年代末ということになるだろう。しかし、「パパ・アントニオ」という現在の店のホームページでは、「1950 年代初めごろ座間キャンプ近くに前身となる店をオープン。その後西麻布でイタリア料理店アントニオを開店」とある。座間は神奈川県だ。いくつもの資料を読 んでみたが、どうもこのあたりの事情がはっきりしない。
カリテア号に乗っていたオラッツィオ・アベーラも、イタリアで多少の調理経験があったので、1946年に宝塚でレストランを開く。71年に店名が「アモレ・アベーラ」となり、いまも営業している。
やはりカリテア号に乗っていたジュセップ・ドンナロイヤも1952年に神戸にイタリアレストラン「ドンナロイヤ」を開いた。
というわけで、日本最古のイタリア料理店は「アントニオ」か、あるいは「アモーレ・アベーラ」かと思っていたら、もっと古くからあったという資料が見つかった。
明治7年にフランスの曲馬団の一行として来日したイタリア人ピエトロ・ミリオーレが、病気のため興行先の新潟に居残り、そのまま住み着いて牛肉店を始め たという。資料によっては牛鍋屋などと書いてあるが、イタリア料理店を開いたとわかるのは、1981(明治14)年の「イタリヤ軒」開店だ。そのレストラ ンは、現在「ホテルイタリア軒」となって、新潟市で営業している。
というわけで、日本におけるイタリア料理の歴史は意外に古いことがわかった。ここで書いたことは、ほとんどネット上の情報を使っただけなので、文献や取材もすれば、きっとおもしろい外国料理店始末記ができるだろう。やはりこの世界、なかなかに興味深い。
このように、日本におけるイタリア料理史を調べているなかで読んだのが、『イタリア料理に魅せられて』(堀川春子、調理栄養教育公社、2002年)。著 者の経歴がすごい。著者15歳の1932年、イタリアの日本大使館館員一家のもとで家政婦をするために渡航。5年間滞在し、イタリア料理も学ぶ。戦後は駐 日イタリア大使館で働いたあと、本格的にイタリア料理と関わる。今回の原稿に関連することを、年表風にイタリア料理店の名を書き出してみよう。
1962年 新宿伊勢丹に「カリーナ」開店。伊勢丹の直営らしい。「その当時、イタリア料理専門店は六本木に一軒あったくらいなので珍しかったようです」とある。その六本木の店が、アントニオか?
1967年 日本橋東急に、自分の店「サンレモ」開店。
1871年 洋菓子のフランセが原宿でイタリア料理店「トスカーナ」を開店。著者が責任者となる。
そして、「ああ、なんだ」というどんでん返しの話。雑誌「料理王国」(2006年7月号)で、「日本のイタリア料理100年史」という大特集をやってい て、この雑語林に書いたようなことはとっくに活字になっていたことを、最後になって発見した。徒労か。「料理王国」のこの号は好評らしく、古書市場でも けっこう高い。いずれ買うでしょうが、いまは読まずに書きました。
西洋料理の話は、雑誌で深い記事が特集されるが、それ以外の料理だと資料が少ないなあ。