265話 マドロスの基礎研究ノート その4


 芸能とはまるで関係のない、マドロスの実録本を古本屋で買った。次の2点だ。
 『懐かしのマドロス人生』(松倉宣夫、成山堂書店、2002)は、1961年に大阪商船に入社し、定年まで勤めた通信士が書いた本で、内容は、まあ、文 芸社だ。思い出話を書いた本なのだが、いつの体験なのか年代がまったく書いていないので、資料にならない。インターネット古書店だと、内容がわからず注文 するので、こういうスカも買うことになる。
 もう一点は、『華氏140度の船底から 外国航路の下級船員日記』上下巻(広野八郎、太平出版社、1979年)。上記の本とは違って、一部ではよく知ら れている本だ。著者である広野は、1907生まれのプロレタリア作家。ルポルタージュなどを書くも、もちろん原稿料では生活できず、船員や炭鉱夫として働 き、1996年没。遺稿集に『昭和三方人生』(弦書房、2006年)がある。三方というのは、馬方、土方、船方のことだ。
 さて、この『華氏・・・』は、広野が1928年から1931年まで、外国航路の下級船員として過酷な状況で働かされたときの日記を、50年近くたって単行本にまとめたものだ。
 この本の正統的な読み方は、『蟹工船』や『女工哀史』などと同じように、労働者の苦しさ、悲しさ、つらさを読み取って、資本家を糾弾するという方向に進むのだろうが、私はマドロスの資料として読んだ。
 まず、ことばの話。『懐かしのマドロス人生』の場合は、戦後のことであり、通信士という職業のせいか、著者は「マドロス」という語にプラスの意味を感じ ているような気がする。一方、『華氏・・・』のほうは、戦前の、しかも雑役夫や船底で石炭を燃す釜炊きだから、状況が違う。自分が船員であるがゆえに、陸 に住む人々から差別されていることを、「じぶんがマドロスである悲哀」と表現している。したがって、「マドロス」はけっしてプラスの意味では使っていな い。
 広野の航海日記を読むと、陸地にいるときの記述が、「港、港に日本の女あり」という時代だったことがよくわかる。船員が上陸するということは、女を買い に行くということだから、それ以外のこまごました、例えば外国のカルチャーショックなどのエピソードを読みたかったのだが、あまりでてこない。
 いわゆる「からゆきさん」の時代だ。著者は長崎の出身だから、外国の港で長崎など九州の方言を耳にすると、懐かしく感じ、日記にきっちりと書きたくなったのだろう。
 アジアやアフリカにからゆきさんがいたことは知っていたが、からゆきさんとはおそらくはほとんど関係のないアントワープ(ベルギー)の話が興味深かった。ベルギ−というと、静寂というイメージがあるのだが、こういう記述がある。

 「アントワープこそ船員たちが、マルセーユよりもたのしみに待っていた港である」(中 略)「そこに建ち並ぶ家の大部分がバーであるのにはおどろいた。内からピアノの音がもれてくる。『東京バー』『大阪バー』『神戸バー』『横浜バー』『梅ケ 枝』『すずらん』『まるまげ』『ライオン』などなど、日本文字で書かれたバーが十数軒と並んでいるのにはさらさらおどろいた。そしてそこの女のほとんど が、かたことまじりの日本語を話し、日本の『枯れすすき』『道頓堀行進曲』『愛して頂戴」』などの歌を、まわらぬ舌でおもしろくうたうのには、さらさらに おどろいた」

 「よろづ屋」という名の日本人経営のうどん屋があり、「東京キネマ」という映画館もあり、著者はその両方に出入りしている。いくらアントワープが世界的な港であるとはいえ、1930年前後に日本人船員を相手にするバーやうどん屋があったようだ。
 船の時代の世界は、飛行機の時代とは違う「日本」が世界に広がっていたことがよくわかる。ああ、アントワープのことも調べなければ・・・。
 この『華氏・・・』は、まずマドロスの資料として買った。著者が働いていたのが日本から香港、シンガポール、ペナン、カルカッタという航路で、のちに ヨーロッパ航路になるので、寄港するアジアの街の様子など書いてないか探しながら読んだのだが、期待したほどのボリュームがなかった。船員の生活はもっぱ ら船内で、陸地は息抜きだから、上陸地の詳しい描写はあまりないが、やはり素人の文章ではない。読ませる文章だ。
 例えば、1929年9月14日のラングーンの休日の話が、ちょっとおもしろい。客待ちをしているインド人の人力車夫が声をかけてくる。うまい日本語を しゃべる。かつて、日本人と共同で、ここで店を経営していたことがあるという。そのインド人の案内で、かつては300人も日本人の女が住んでいたという日 本人街の跡に行き、わずかに残っている日本料理屋に行き、次に中華料理屋に行き日本人女性に出会うというぶらぶら旅がおもしろい。
 マドロス人生の広野だが、1931年の正月は日本にいた。1月2日は前田河広一郎(まえだこう・ひろいちろう 1888〜1957)の家で宴会。前田河 は徳富蘆花の支援を受けて渡米、13年間をアメリカで過ごした作家。同席しているのは、のちに中公文庫にも入った『北ボルネオ紀行 泥の民』の作家、里村 欽三。広野の師匠にあたるプロレタリア作家の葉山嘉樹もいた。深入りしたい人名が出てくるが、ガマン。文学に足を踏み入れると、なかなか抜け出せなくな る。
 マドロスの話は、一応、今回で終わりにしておこう。