443話 料理書はノンフィクションじゃない  ―活字中毒患者のアジア旅行

 

 東南アジアの食文化について本格的に調べてみようと思った1980年代初め、資料として手に入る本はあまりなかった。シンガポールの本屋を巡って、英語の本を数冊買えばそれで終わりだった。カラー写真が入った高価な本を探したのは、料理の姿と名前を一致させるためだ。東南アジアの食文化についてまったく知らない私にとって、差し迫ってもっとも重要な情報は、食材や調味料の説明だった。熱帯の山野草や野菜、そして香辛料の知識がない。魚の知識がない。特に、日本では食べない淡水魚に関しては、まったくのお手上げだった。だから、そういう情報が出ている料理書を探したのだが、ほとんど見つからなかった。
 私の貧弱なる語学力のせいでもあるのだが、インドネシア人が書いたインドネシア人のための詳しい料理書といったものも見つからなかった。そういう本のタイ編とかフィリピン編といった各国版というものも、書店では見つからなかった。おそらく、需要がないのだ。料理の技術や知識は、母から娘(嫁)に直接伝えられるもので、当時は家政学の教科書を除けば本を読んで料理を学ぶという時代ではなかったのだろう。
 詳しい料理書を見たいと思う私のような旅行者は、「エスニック・フード」というものが流行する以前はほとんどいなかった。カラー写真がたっぷり入った料理書を出版する力が地元の出版社にはまだなかったと思う。カラー印刷の技術も、まだたいしたことはなかったという事情もあっただろう。よく探せば、食材の詳しい解説もあるタイ語によるタイ料理の本はあるかもしれないが、その本の著者はビルマカンボジアの食文化への関心と知識はないだろう。東南アジアの食文化全般を眺めようという発想はないだろう。
 東南アジア各国を旅して食文化資料を探し、さまざまな料理を食べ歩いていると、外国人が書いた料理書の情報がどうも変だと思うようになった。その理由は、以下の通りだと推察できる。
●外国人が母国で再現するための料理書は、欲しい食材がまったく手に入らなかったり、野菜や魚など、分類上は同じ仲間なのだが、味は大いに違うといった材料しか手に入らない場合。
●現地駐在員向けの料理書ならば、食材の入手に問題はないが、著者が属する民族文化に応じて改変する。例えば、油や香辛料の量など。
●料理書の著者が、「こうやったら、もっとおいしくなる」といった工夫をしてしまう。あるいは、衛生や栄養を考え、調理法を変えてしまう。例えば、日本料理にバターやワイン・ビネガーを使うとか、日本料理を西洋料理風に盛りつけたりするようなこと。
●デザイン重視の紙面を作りたくて、例えば刺身盛り合わせの大皿を、床の間に置いて生け花とともに撮影するような写真がある。
 「料理書は、こういうことをやってはいけない」といった例として、上のような話を持ち出したのではない。どういう本でも勝手に作ればいいのだが、食文化の資料として料理書を利用する者は、注意が必要だと言っているのだ。例えば、インドネシアの料理書で紹介しているある料理は、現地の作り方とはまったく違うということがある。うまいものを食べたいだけならそれでいいが、インドネシア料理の参考書にするには問題ありといっているのだ。
 『焼肉の文化史』(佐々木道雄、明石書店)は、焼肉という料理がどのように生まれ、どう変化してきたのかを、ていねいに文献を調べて書いた本だ。雑誌の連載記事をそのまま単行本にしたようで、重複している部分がそのままだから、とても読みにくい。整理して再編集すれば、ページ数は三分の二になり、読みやすくなるはずだ。
 細部にわたって記述したある本だから、素人である私がそのすべてを検証する力はない。だから、ふたつの疑問を書いておく。
 ひとつは、料理書の扱いについてだ。著者は、日本でも古くから焼肉があったことを証明するために、数多くの料理書を調べて、1903年以降の本に肉を焼く料理が出ていることをつきとめた。しかし、だ。料理書に肉を焼く料理が出ていたということは、文字通りそういう料理が本に載っていたという事実以上のものではない。ある料理書に出ているからと言って、その当時の日本で焼肉が食べられていたという証拠にはならない。例えば、料理書で「家庭料理」という枠で紹介してある料理はすべて、日本の各家庭で食べられているものとは限らない。「すべて」が100パーセントという意味ではなく、日本の家庭料理として、多くの日本人が納得するかどうかということだ。
 別の例を出そうか。NHKの「きょうの料理」では、多分90年代初めころには、タイ料理を紹介していると思う。しかし、だからといって、その当時すでに日本の家庭でタイ料理が広く食べられていたという証明にはならない。そういう意味だ。
 もうひとつの疑問は、著者がフィールドワークをやっていないらしいということだ。「あとがき」で、昔の焼肉事情を知る人が高齢になっているので、「今のうちに聞き書きをしたり、当時の写真を集めておかないと、貴重な事実が闇の中に消えてしまう」と嘆いているが、自分はいっこうに取材に出向かず、ひたすら古い資料を読み続けているだけのような印象を受けた。だから、資料の紹介者としての功績はあるが、研究者としてはどうかなあという疑問がある。まあ、食べ歩いて、料理の写真を載せただけと言う本よりは、よほどましではあるが。                           (2005)