446話 鶴見良行を読みながら、頭に浮かんだいくつかのこと  ―活字中毒患者のアジア旅行

 

 すでに単行本で読んだ本が文庫化されると、ちょっと困ることがある。買おうかどうか考えて、困るのである。加筆訂正などほとんどされずに文庫化されたのであれば、もちろん買わない。「大幅に手を入れた」と「あとがき」にある場合でも、1章増えた程度なら、本屋でその部分をざっと眺めて、たぶん買わない。それ以上の加筆がある場合と、魅力的な解説文が載っていると、「買っておこうか」と考える。
 それが文庫ではなく、全集のようなものだと、どうか。好きな書き手の場合なら、すでにほとんど読んでいるわけだから、買わない。全集を書棚に並べてご満悦という趣味は、私にはない。
 鶴見良行の座談・対談集『歩きながら考える』(太田出版)も、買おうかどうか迷った1冊だ。山口文憲との対談集『越境する東南アジア』(平凡社)がほとんどまるごと再録されているのだが、当然ながらすでに読んでいる。原稿の資料に、何度か見直してもいる。ほかの対談などでも、半分くらいはすでに読んでいる。それでも、買おうと思った。その理由はふたつある。ひとつは、すでに読んだという記憶しかないなら、内容は覚えていないだろうと言う予感。もうひとつの理由は、門田修さんとの対談は読んでいないので、それだけでも買う価値はあるだろうと思ったからだ。
 読んでも、内容は覚えていないだろうという予感は、うれしいことに外れた。覚えていないのは、つまらないから飛ばした部分だ。おもしろい個所は、ちゃんと覚えていた。まあ、そんなことはどうでもいい。
 この対談・座談会集でもっとも古いものは、1972年の加藤祐三との対談「歩きながらアジアを考える」だ。そのなかの加藤の発言に、頭の中の電球が点った。
「服飾雑誌『装苑』、必ず英文と中国文と両方で説明がついて、本屋にある。これは日本で唯一国際性を持った商業ジャーナリストですね」
 そうだった。香港や東南アジアの本屋に行くと、「装苑」やたぶん「ドレスメーキング」も雑誌コーナーに置いてあって、立ち読みしている人もいてびっくりしたことがある。洋裁雑誌は、日本語の説明がなくても、型紙があれば、服が作れたから、利用価値のある雑誌だったというわけだ。日本以外のアジアで、既製服が普通の存在になるのは、GパンやTシャツが普及する70年代以降だろう。
 1972年の同じ対談で、鶴見は書き手のいる場所について語っている。欧米や中国なら、その地に住んで日本に情報を伝えたジャーナリストはいるが、アジアにはそういう人はいないという。特派員のような会社員としての存在ではなく、個人として、望んでアジアに住むジャーナリストはいない。「東南アジアに行って住むこと自体が非常に損だし、それに対する知的な要求がないから、ジャーナリズムとして扱えない」。
 1972年当時は、留学生や駐在員でもない者が、出かけて行ってアジアに住むなどとは考えられない時代だったのだ。まだ、若者もほとんどアジアに行かなかった。当時は個人旅行者さえ、アジアにはほとんどいなかったのだ。今は時代が変わり、アジア定住者が増えたが、そういう定住者が、読むに値する文章を書いているかといえば、それはまた別の話だ。
 鶴見が書いた文章で、日本語のものに限るが、単行本になっているものは全部読んでいるだろうと思う。はっきり言って、その全部が理解できたわけではないし、おもしろく読んだわけでもない。それでも、本が出るたびに買っていたのは、鶴見が理屈の人ではなかったからだと思う。安っぽい正義感を振りかざして、日本を糾弾するというタイプの書き手ではなかった。晩年は大学教授になったが、自分を学者だとは思っていなかった。学者の世界だけで生き、誰も読まない理屈だけの論文を書いて日々を送るような学者になる気はなかったはずだ。
鶴見がテーマに選んだバナナやナマコやヤシは、学部や大学院で正統(伝統にのっとり)にしつけられた学者なら、研究テーマにはしないだろう。鶴見はそういうテーマを選び、調べる喜びを存分に楽しんだ。読者も、知ることのおもしろさを読書で体験した。同じような教授が、大学にどれだけいるか。
 文章のレベルや行動力や教養やその他すべての能力が私とは大きく違うが、その方向性は私とそれほど遠くないと思う。小さなものを見つめていくと、考えもしなかった大きな世界が見えてくる。そのおもしろさを探して調べているという共通性は感じる。しかし、当然、決定的に違うところもある。1993年に秋道智彌のインタビューを受けた鶴見は、こんなことをしゃべっている。「私は学会に残すために書くんじゃない。日本の市民のために書いているんです」。
 私は、自分以外の誰かのために書こうという気持ちはほとんどない。基本的に、道楽で旅をして、道楽で調べて、道楽で文章を書いてきたに過ぎない。できるだけ詳しく調べた方が楽しく遊べるので調べているだけで、学問的価値など考えたことがない。こういう考えは、前川個人のものであると同時に、前川以降の世代の書き手には珍しくない考えだとも思う。
 私よりも前の世代のインテリがアジアを旅すると、「日本の近代化とアジア」とか「太平洋戦争やベトナム戦争とアジア」といった大テーマが浮かんだだろうが、団塊世代よりも少し後の私の世代だと、アジアを政治的に考える傾向は少なくなる。良くも悪くも、私以降の世代の旅行者は、アジアで考えなくなった。教条主義的傾向が少なくなったが、「行った。見た。以上、終わり」という旅が多くなった。
 鶴見が日本人に伝えたかったのは、「世界を国境で考えなさんな」ということだ。物事を国家から考えないということだ。こじつけかもしれないが、ある種アナキズムのようにも思えてくる。そうなると、文体も行動もまるで違うが、竹中労と近い部分もあるような気がしてきた。そういえば、竹中の本も、ほとんど読んでいる。 (2005)
 付記:上の文章をこの欄で再録するために、『歩きながら考える』を本棚から取り出して、内容を確認した。もしかして、すでに売ったか、捨てたか、誰かにあげたかと思ったが、わかりやすい場所にあった。奇跡だ。こういうことがあると、本を捨てないでよかったと思うのである。だから、本がなかなか手放せない。