445話 韓国食文化マンガの米   ―活字中毒患者のアジア旅行

 

 韓国のマンガを翻訳した『食客』(講談社)第1巻の第1話は「母の米」。18年前にアメリカに養子に出された韓国系アメリカ人のジェームズ一等兵は、陸軍に入隊すると韓国勤務を志願した。両親の記憶はまったくないが、別れ際に母が食べさせてくれた米の味をはっきりと覚えていて、その米を求めて韓国の米を食べ歩いている。第1話の主人公はこの男だ。
 その米は「生米なのに、粘り気がある」という。ジェームズ一等兵の相談にのったのが、良質食材行商人のソンチャン。詳しく話を聞いて、「たぶん、あの米だろう」と思いついて、市場に連れていく。大きな布袋に入った米を、生のまま食べさせる。「これだ!」とわかる。袋の米には原画のままハングルで書いた札が刺してある。読めば「オルゲサル」と書いてあるとわかる。「サル」は米のことだが、辞書を引いても「オルゲ」がわからない。オルは早生のことだが、早稲は別の語だ。「ゲ」蟹と同じ字だが、関係はないだろう。訳注には「焼き米」とある。幻冬舎版では、「オルケ米」としている。
 この米の製造方法を解説している部分がある。原文は同じはずだが、日本版ではだいぶ違う。幻冬舎版のオルケ米と、講談社版の「焼き米」の製造方法を解説している部分をそれぞれ引用してみよう。
 「オルケ米はまだ熟しきっていない稲を刈って叩いて釜に入れて蒸さなきゃならないんだけど、釜に水を入れすぎるとひびが入ってしまう。水を少なくして膨らますと稲がこげてしまうし、適度にふやかしてじっくり蒸して、完全に乾かしてから脱穀して食べるからどれほど面倒くさいか」(幻冬舎版)
 「焼き米は熟す前の稲を刈って脱穀し釜で炒るんじゃが、水が多すぎると蒸れるし水が少ないと焦げる。適当な水加減でよく炒ってよくかわかして、ついて食べる。これがどれだけ面倒なこったか」(講談社版)
 両方の説明とも変だ。オルケ米の場合、蒸し器の水が多いとひびが入り、少ないと焦げると書いてあるが、蒸し器の水の量は関係ないはずだ。水か少ないと、焦げるのは米じゃなくて、蒸し器の方だろう。焼き米の場合、「釜で炒る」といいながら、水の量を気にしている。「米を釜で炒っていて、水が多いと蒸れてしまう」という文章は、調理の常識を超えている。
 だから、この製造法はどうもよくわからないが、煮るか蒸すなど加熱した籾を乾燥させたものだということは、わかる。ということは、これはパーボイルド・ライス(parboiled rice)じゃないか。パーボイルド・ライスというものを初めて知ったのは、インドで行なわれているコメの加工法として紹介していた『料理の起源』(中尾佐助、NHKブックス、1972)を読んだ時だ。水を含ませた籾を加熱して乾燥させ、籾すりをした米をパーボイルド・ライスという。Partially(部分的に)boiled riceが、この語の意味だ。こういう加工をすると、虫がつきにくく、割れにくく、貯蔵しやすくなるそうだ。
 パーボイルド・ライスがインド亜大陸にあるのは知っていたが、朝鮮半島にもあったのだろうか。そういえば、今、思い出した事がある。韓国のテレビドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」にも、そういう米の話が出てきた。調べてみれば、第16話だったとわかる。
 死を目前にした老人が、むかし、兄に食べさせてもらったおいしい米を棺に入れてもらい、天国にいる兄に届けたいという。そこまでは私も覚えていたのだが、ネット情報によれば、その米はモチモチとしていて、香りのある米で、オルゲ米というのだそうだ。いくつものサイトに載っているこの名が、テレビ放送時の字幕や吹き替えに出てきたのか、それともシナリオ本やノベライズ本に載っていたのかわからないが、多く情報がよせられていることを考えれば、ドラマにでてくる米は「オルゲ米」で間違いないだろう。未熟の米を蒸してから乾燥させた米が、オルゲ米だとドラマでは説明している。これで、マンガで韓国系アメリカ人が母の思い出と共に覚えている米と、「チャングム」に出てきた米が同じものだとわかった。
 ちょっと推理を働かせる。東亜日報で「食客」の連載が始まったのは2002年9月2日だ。米の回が第1話だ。そして、ドラマ「大長令」(宮廷女官チャングムの誓い)の放送が始まったのが、それから1年後の2003年9月15日からということを考えると、ちょっと匂いませんか? オルゲ米を、思い出の食べ物として登場させるという設定が。 (2009)
 付記:アジア文庫の入荷本案内の小冊子「アジア文庫から」の104号(2009,8.31)が上の文章だ。この号に、「休刊のおしらせ」のちらしが入っている。この小冊子を発行するのに充分な手間・ヒマ・資金が不足しているので、次の105号をもって最終号にするという内容だ。店主はあと1号出して、この小冊子を終刊させて、印刷媒体からデジタルに一本化しようと考えていたのだが、その準備をすすめているうちにガンが見つかり、2010年1月にあっけなく亡くなってしまった。その結果、104号が実質上最終号になってしまった。
 店主の大野さんは、今後はアジア文庫のホームページで新刊案内を続けていく考えだったし、執筆者の私もその予定だった。だから、104号には「休刊・終刊」を感じさせるものは、なにひとつない。「アジア文庫から」104号、「活字中国患者のアジア旅行」としては第87回となったこの号で、私は韓国のマンガ『食客』について詳しく書いた。前回のアジア雑後林の話題と関連するので、掲載順を無視して、ここで、最終回分の原稿の一部を紹介した。