韓国は、政府が主導で、韓国料理を世界に売り出そうとしている。ドラマ「食客」もそれがテーマで、「日本料理が世界で人気なのに、なぜ韓国料理が世界で評価されないのだ」というセリフも出てくる。韓国のドラマとポップミュージックでは日本を抜いて世界で人気なのに、料理ではなぜ日本に勝てないのかという憤りを政府の力で解決しようという図式だ。
日本のすしに挑戦状をたたきつける対戦相手として韓国が選んだ料理は、ビビンパだった。その理由はわからないが、これならすしに勝てると思ったらしい。
こういう流れにちょっと茶々を入れて大事件に発展したいきさつが、黒田勝弘『韓国 反日感情の正体』(角川oneテーマ21)の第9章「たかがビビンパ、されどビビンパ」に書いてある。
黒田氏は、ビビンパで世界制覇するならば、具とご飯をごちゃまぜにしてからスプーンで食べるという食べ方を工夫しないといけないという話を産経新聞に書いた。日本人向けに日本語で書いたコラムであるにもかかわらず、韓国で「黒田は我が国のビビンパを冒瀆した」と曲解して(わざと曲解したのだろう)非難が続いたという。この事件や、韓国のビビンパ・ナショナリズムについては黒田氏のコラムを読んでいただくとして、私は「食べ方」に限定して話を進める。
ビビンパ(このカタカナ表記の話は、今回は触れない)とは、ビビン(混ぜる)・パプ(ご飯)という意味の語で、大きな器にご飯を盛り、肉や山菜などを使ったナムルなど幾種類もの料理をのせた料理で、日本風にいえば丼物である。その料理は辛くはないので、日本人にも自然に受け入れられるものだが、食べ方となると、日本人にカルチャーショックを与える存在だ。スプーンを右手にしっかりと握りしめて、親の敵のように全神経と体力を右手に集中して、こねくり回す。食堂で、もしも山を切り崩すように食べている外国人がいたら、「こうしないとうまくない!」と言いつつ、勝手にその外国人のビビンパをこねくり回し、粘り気が足りないと感じたら汁を加えてさらに練り、ついには犬のエサのような姿にしてしまうのだというような体験談も読んだ記憶がある。
黒田氏は、美しい料理を美しいまま食べないこういう食べ方は、外国人には受け入れられないし、そもそも西洋人はご飯をスプーンで食べるという習慣はないと書いたにすぎないのだが、大反発を浴びた。
さて、まずはビビンパの歴史から見ていこうか。ビビンパの発祥説は恣意的なものも含めていくつもあるが、『韓国料理文化史』(李盛雨著、鄭大聲・佐々木直子訳、平凡社)や『韓国の食』(黄彗性・石毛直道、平凡社)などを読むと、祭事に参加した人に出す食事で、大人数に素早く食事を出すために、日本の混ぜご飯のようにご飯とナムルなどを混ぜて、味をつけたものを供したのが始まりだという。歴史的にはそう古いものではないらしく、黄彗性氏は、ご飯の上におかずがのっているのは「現代的なんです」と語っている。食堂などで、客に出すビビンパはカネをとるので、美しく盛り付けているが、家庭のビビンバは初めから混ぜてある料理なのだという。韓国人が、日本人が納豆を混ぜるように力いっぱい混ぜるのは、先祖帰りであり、家庭のビビンパに戻そうとする行為であるとも言える。
ご飯をこねくり回すといえば、韓国人のように「混ぜろ、混ぜなさい」とうるさかったインド人の顔が浮かんだ。銀座のインド料理店「ナイル」の主人、ナイル氏だ。店でムルギーカレーを注文すると、「カレーとご飯をよく混ぜないと、おいしくない。はい、混ぜて混ぜて!」と、あのおせっかいが、じつにうるさかった。
そういえば、インドの食事も、混ぜ合わせる。各種カレー汁にダル(豆汁)などを混ぜて、食べる。ただし、私の記憶では、すべての汁やカレー類をご飯と混ぜ合わせるわけでもない。残飯の姿にするわけではないと思う。ただし、私の観察には限りがあるし、インド人の食べ方にも千差万別あるので、どこまで一般化できるかどうかわからない。
カレーといえば、1950年代から60年代の日本のカレーを思い出す。大阪の大丸百貨店のカレーは、生卵がのっていた。客は、カレーとタマゴとご飯を混ぜて、ウスターソースもかけて、こねまわしてから食べていた。あのころの日本人は、カレーとご飯とよく混ぜて食べるのが普通だった。その証拠が、織田作之助の『夫婦善哉』である。調理場ですでにカレーとご飯が混ぜてある大阪のカレー専門店「自由軒」のカレーの話が、この小説にも出てくる。客が混ぜて食べているのだから、自由軒ではあらかじめ混ぜたカレーを出したのだ。
あれは、1970年代の話だったと思う。資料の出典は覚えていない。こんな話だった。
大学の食堂の人の話で、新学期が始まると、毎年ゴールデンウィークあたりまで、ソースの使用量が増えるという。その人の説明では「田舎から出てきた学生は、カレーにソースをかけて食べるのですが、まわりの学生はソースをかけていないということに気がついて、だんだんソースをかけなくなる。夏休みの前にはいつもの使用量に戻り、翌年の新学期にまた増えるんです」。
なぜ、カレーにソースをかけていたのか。あるいは、なぜかけなくなったのか。その謎を解くキーワードは、カレールウだろうと思う。「ハウス バーモントカレー」の発売は1963年で、カレールウが普及していくのは1960年代後半からだろう。カレールウ以前の家庭のカレーは、カレー粉と塩だけの味なので、ソースを入れたくなったのだろう。洋食=ソースという発想もあっただろう。その後、カレールウを使い、家庭でも深みのあるカレーを食べるようになって、しだいにソースをかけなくなったのだろう。
現在の日本人は、ライスカレーをこねくり回していた過去を忘れたのか、そういう過去をそもそも知らない世代が、韓国人がビビンパをこねくり回すのに違和感を持っている。韓国人の食事作法は変わらないが、日本ではここ30~40年間で変わってしまったような気がする。日本人もひと皮むけば、韓国人と同じ穴のむじななのだ。
どういういきさつかはわからないが、日本人は美しい料理を美しいままで食べたいと思うようになり、ぐちゃぐちゃに混ぜた料理に嫌悪感を抱くようになったのである。
この話、次回に続く。