995話 大阪散歩 2017年春 第34回

 賀名生へ その1


 大阪滞在中、少年時代を過ごした賀名生に行った。賀名生と書いて、「あのう」と読む。長い間、消えた地名だった。我が前川家が東京深川から引っ越してきたときは、奈良県吉野郡賀名生村和田だったが、1959年に奈良県吉野郡西吉野村和田となったものの、村人は賀名生という名を使い続けた。2005年に、西吉野村は五條市編入され、五條市西吉野町和田になった。村が町になったからと言って都市化されたわけでは当然ない。賀名生は柿や梅林や南北朝時代南朝があった「賀名生皇居」の地として知られているので、観光を目的にしてのことだろうが、五條市西吉野町和田の一部が西吉野町賀名生となって、賀名生の地名がふたたび表に出てきた。久しぶりにその賀名生に行ったのだが、この話を書くことにためらいがあった。書いておきたいという気持ちと、書くのがつらいというためらいを説明するには、いささか長いプロローグを書いておかないといけない。

 2015年の年末だった。翌日の夕方は、蔵前&小川邸で楽しい雑談会が行われるという前夜、急に歯が痛み出した。年末のしかも夜だから、どうしようもない。楽しい会に行けないだけでなく、痛い正月になるのは嫌だから、すぐにインターネットで歯科医事情を調べた。うちから数駅のところにある歯科医が、年末も診療をやっていることがわかり、翌朝、すぐに行った。虫歯かと思ったのだが、「ああ、嚙み合わせの問題ですね」と言って、歯科医は歯をちょっと削っただけで、耐えがたかった歯痛は魔法のように消え去った。
 「虫歯の箇所はいくつかあります。歯垢も削りましょう。年が明けたらまた来てください。徹底的に手入れしましょう」。
 歯科医の話を聞きながら、友人のことを考えていた。高校時代の同級生が隣の市で歯科医院をやっている。秋に会ったときは、「歯科医院は、コンビニよりも多いんだぜ。だから、将来は決して明るくない」などと言っていたのを思い出していた。だから、彼は子供たちが歯科医になることを望んでいなかった。今治療を受けているこの歯医者は、これから通って大丈夫なのか、高額な治療を勧めるような歯科医じゃないのか、ヤツに聞いてみたいなどと考えていた。
 治療の後、そのまま電車に乗って、東京23区のはずれに大遠征をした。天下のクラマエ邸で当主の蔵前仁一さんや造形作家大森せい子さん、漫画家流水りん子さん、インド料理ユニット「マサラワーラー」御中たちと楽しいおしゃべりして、インド料理を食べて、再びヘディンのごとき大旅行者となって大東京を横断して、深夜帰宅した。
 熱いコーヒーを飲みながらパソコンを開くと、高校時代の友人からメールが入っていた。歯科医のあの友人が急死したというのだ。ガンの治療を受けていたことは知っていた。秋に会って雑談をしているとき、「抗がん剤治療って、月100万円かかるんだぜ。それ以外にもカネがかかるから、つらくても仕事を続けているだよ」と言っていた。その抗がん剤の副作用で心臓に問題が起きたという。
 2016年になって最初の外出は、ヤツの通夜だったが、その話はこのアジア雑語林には書けなかった。ガン闘病中の知り合いが、我がブログを読んでいることを知っているから、友人が死んだ話は聞きたくなかった。