1796話 Bangkok R&R hotels 後編

 

 元R&Rホテルのなかで、例えばマレーシアホテルは少々カネを持った個人旅行者を相手にしていた。1970年当時、まだバックパッカーという語は一般に広まっていない。安宿街カオサンがまだなかった時代、西欧的な快適な滞在を希望する旅行者は、「安くて、いい」という理由で、マレーシアホテルなどを利用していた。コーヒールームではアメリカ式朝食が食べられるし、プールがあるし、部屋にはエアコンがあった。

 ベトナム戦争当時のバンコクのホテル事情を調べていると、マイアミ、フロリダ、マンハッタンなど、名前からしていかにもR&Rホテルだとわかる。R&Rホテルらしい名ではないが、キャピタルというホテルが気にかかった。前回紹介した米兵向けガイドブックには、こうある。

 Capital  Bahoyothin Road    now being used as quarters for U.S. military personnel.(現在は、米軍人用住居になっている)

 米兵用ホテルではなく住まいになっている施設はほかにもあるが、気になることがあってさらに調べてみた。

 キャピタルホテルは1962年1月に開業したのだが、その年の6月には米軍人用のサービスアパートになっている。サービスアパートというのは、アパートだが、掃除洗濯食事などホテルの機能もある施設のことで、このキャピタルがタイ最初のサービスアパートだという。

 アメリカ軍がベトナムから撤退するのは1973年で、75年にはベトナム戦争終結する。だから、ホテルと米軍との契約がいつまで続いたのかは不明だ。

 タイは1975年以降新しい時代に入る。この年、タイは中国と国交を再開し、バンコクに中国大使館を開設した。その場所が、このキャピタルホテルだと知って、びっくりした。中国が支援する北ベトナム軍と戦っていたアメリカ軍が使用していたビルに、中国が大使館と大使公邸を開設したのだ。キャピタルホテルのオーナーがどういう人物かまったく知らないが、時代の潮目を見る能力があるということは、タイ政府と深い関係がある人物かもしれない。

 あのビルが中国大使館だった時代は、現在のラチャダーピセーク通りの建物に移るまで8年続いた。その後の入居者は、これも時代の流れを読んだのだろうが、日本人専用のサービスアパートに生まれ変わった。

 2000年代に入ると老朽化が目立ち、全面的なリフォームをして、2009年にThe Capital Mansionとして生まれ変わった。1967年当時の写真はこれ。mansionは「大邸宅」という意味だが、日本で「高級アパート」の意味でわざと誤用するようになり、タイの不動産業者はそのマネをして、アパートに「マンション」という語を使う業者も現れた。1990年代にプロンチット地区に建設中のアパート「ホリデー・マンション」は、折からのホテル不足で方針を変えてホテルにした。名称は「ホリデー・マンション・ホテル」となった。

 ちなみに、「サービス・アパート」という語も英語としては不自然で、英語なら”serviced apartment”だ。これを「サービスアパート」と呼ぶのは、確証はないが、日本の不動産用語のような気がする。「マンション」と並んで日本語からの移入ではないかと疑っている。

 こうやって調べ事をしているのも、旅の遊びである。