1911話 言葉は実におもしろい。地道に勉強する気はないけれど・・・ その22

 

再録 2

42話 井上ひさしさん、それはちょっと違うよ(2011-08-06)

 井上ひさしが書いた日本語関連の本はほとんど読んでいるが、おそらくはその最後の本になるだろうと思われるのが、『日本語教室』(井上ひさし新潮新書、2011)だ。この本は、2001~02年に上智大学で4回にわたって行われた講演を筆記したもので、えらくまとまりが悪い。話が散漫になりすぎているという点は別にして、もし私がその講演の場にいて、質疑応答の時間が与えられていたら、手をあげて「それは、ちょっと違いますよ」と言いたくなる個所があった。

 この本の18ページから、母語の話を始める。母語とは、赤ん坊の「脳がどんどん育っていくときに、お母さんや愛情をもって世話してくれる人たちから聞いた言葉、それが母語です」と説明している。問題となるのは、その後の話だ。

 「母語を土台に、第二言語、第三言語を習得していくのです。ですから、結局は、その母語以内でしか別の言語は習得できません。ここのところは言い方がちょっと難しいのですが、母語より大きい外国語は覚えられないということです。つまり、英語をちゃんと書いたり話したりするためには、英語より大きい母語が必要なのです」。

 日本人にとっての英語という限定したテーマで語るなら、この発言はある程度正しいのだが、母語とその他の言語といった関係まで広げた話と混ぜて説明しているので、おかしなことになっているのだ。つまり、世界の言語事情を、日本の例で証明しようとして破たんしてしまったのである。

 具体的には、こういうことだ。世界のかなりの人は、母語で教育を受けていない。例えば、インドネシアには、スンダ語、ジャワ語、バタック語、アチェ語、ミナンカバウ語、バリ語など、国内で使用されている言語は200とも400とも言われている。そして、公用語インドネシア語で、教育言語でもある。もっとも多い話者は、インドネシア語使用者ではなく、ジャワ語使用者で、全人口の40%ほどになるようだ。ということは、ジャワ語を母語とするものは、インドネシア語や英語をどれほど勉強しても、ジャワ語を超えることはできないということになる。私は不勉強で知らないのだが、多分、ジャワ語による物理学や哲学の教科書はないだろうと思う。確実に言えることは、ジャワ語よりも話者がずっと少ない言語なら、学術書も小説も出版されていないと思う。文字の無い言語を母語としている者もいる。そういう少数語を母語とする者は、どうあがいても高等教育は理解できないことになるではないか。アフリカではどうだなどと考えていけば、「母語より大きい外国語は覚えられない」という井上理論は破たんすることになる。

 井上さんは、こういったことがわかっていなかったのではなく、講演だから、流れにまかせてしゃべったので、舌足らずな表現になったのだろうと思う。この新書は、井上さんの死後、新書編集部の手で文章化されたので、井上さんが生きている間に出版されたなら、当然、手を入れていただろう。

 さて、こちらはどうだろう。新潮社の校閲が見逃した個所なのだが、著者が校正していたら、気がついただろうか。45ページの、インドネシア語に関する話だ。

 「マレー語というのは、インドネシア語エスペラントみたいに整理したもので、インドネシア国家を超えてマレー半島あたりまで、あの辺に四千から五千のたくさんの島がありますが、その地域の共通語になっています」と説明しているのだが、歴史的推移は逆だ。

 マレー半島スマトラ東海岸などで、交易のための生まれた言葉が、Bahasa Melayu(ムラユ語)、すなわちマレー語で、7世紀の碑文にも残る古い言語だ。オランダ領の島々(日本で、蘭領印度と呼んだ地域)が独立をめざした1928年に、この地域で使われてきたマレー語を「インドネシア語」と呼び、インドネシア国家成立後、その国語となったというわけだ。

 さて、3番目の疑問は、「5人」や「5羽」といったときの、人や羽で、井上さんは種類指示詞と説明しているが、この文法用語を私は知らない。私は「助数詞」と記憶している。

 「こういう数え方は世界にあまり例がないかもしれません。だからといって日本語が偉いと言っているわけではありません、念のためですが」と書いているが、アジアの諸言語を学んだことがある人は、すぐさま「助数詞は、中国語にだってあるよ」などと言いたくなるだろう。韓国語にもタイ語にも、ベトナム語にもインドネシア語にも、助数詞はあって、学習者を悩ませている。

 以上、書き出した3点に共通するのは、かの井上ひさしでさえも、「外国語とは英語である」といった感覚が無意識に染みついていたようだ。日本語について考えるなら、少なくともアジア諸言語のことも、少しでも勉強しておいたらよかったのになあと思うのである。

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