1932話 思い出の台湾料理 その1

 

  台湾の本には困ったものだ。手垢がついた表現だが、「うれしい悲鳴」というのがあって、最近、出来がいい台湾の本が多く出版されている。台湾人自身が書いた本の翻訳出版物だ。気になると、アマゾンの「ほしい物」リストに入れておくのだが、それがどんどん増える。台湾の研究者ではないので、ほかのテーマの本も読む。だから、読みたいが時間が足りずに読めない台湾本がたまっていく。「読みたい本がない」という状況と比べればもちろん「うれしい悲鳴」なのだが、欲求不満が増える。日本に一定数いる「台湾ファン」たちは、こういう本を読んでいるのだろうか。

 このコラムですでに紹介した『味の台湾』(焦桐、川浩二訳、みすず書房、2021)は、亡き妻との思い出の食べ物を綴っていく本だったが、今回紹介する『オールド台湾食卓記』(洪愛珠、新井一二三訳、筑摩書房、2022)は、亡き母との食べ物を巡る話を中心にしている。

 「オールド台湾」という書名を見て、昔の台湾の食べ物の話が出てくるものと思ったのだが、著者の洪愛珠(ホン・アイジュ)は1983年生まれのグラフィックデザイナー。母親は私と同世代だから、「ちっともオールドじゃないだろ」と思ったが、冷静に考えれば、私の話も「昔話」になるようだから、母が語る子供の頃の食べ物の話も、充分に「オールド」なのかもしれない。

 読み始めれば、翻訳が努力賞ものの出来だとわかる。台湾本の翻訳は難しい。台湾人が「国語」と呼んでいる中国語に台湾語のほかに、広東語など地方語のほか客家語も入ると、原文ではどれも漢字表記だが、翻訳するとなると、それぞれの語に的確なフリガナをつけないといけない。原語の意味も調べないといけない。これが大変だ。その努力も実って、美しい日本語の文章になっている。

 ここからは、いつものように、読みながら付箋を貼ったページの話をしていこう。

サトウキビ(49ページ)

 1983年生まれの著者は、昔は皮をむいたサトウキビを短く切ってビニール袋に入れて売っていたのに、今はそんなものを探すとなると大変だと書いている。それが時代の変化だというものか嘆いている。そうか、もう昔話なのか。

 この文章を読んで思い出したのは、このアジア雑語林の「台湾・餃の国紀行」で書いた台湾の知人「春ちゃん」と西門町の映画館に行ったことだ。著者が生まれる前の1978年のことだから、まさに昔話! いままでそんなことは忘れていたし、どういう映画を見たのかまるで覚えていないのだが、春ちゃんは映画館の入り口で、3センチくらいの輪切りにしたサトウキビが入ったビニール袋を買った。台湾ではポップコーンではなくて、サトウキビかと思った。サトウキビジュースはインドやタイで飲んでいるが、茎をかんだのはこの時が初めてだった。スナックとしてのサトウキビが消えつつあるということらしい。

麺と粉(84ページ)

 シンガポールで「麺粉」を食べている人を見たと書いている。ちゃんぽんで使うような黄色い麺(福建麺)と米粉ビーフン)を同じ器に盛って食べることを、「麺粉」と表現している。小麦粉を使ったのが麺、米が原料だと「粉」という。「こな」ではない。著者は台湾でも同じような食べ方が可能かどうか調べると、「麺粉」を出す店もあるらしいとわかる。探せば「あることはある」という程度らしい。

 タイの食文化に慣れている私には、マレーシアやインドネシアで、やきそばと焼きビーフンを混ぜて皿に盛るように注文している人が結構いるということにすぐ気がついていた。屋台でも、ごく普通の光景だ。どうやら、これは福建の食文化のようで、タイは潮州文化の世界だから麺粉がないのだろう。

 ついでに書いておくと、ジャカルタの中国人街の食堂では、汁麺を注文すると、丼にゆでた麺を入れ(タイの汁なし麺「ヘン」だ。あるいは油麺)、碗にスープをいれてテーブルに持ってくる。そのまま食べることもあれば、スープを丼に入れて汁そばにするかは客の好みだ。もちろん、つけ麺ではない。

 麺の話は次回に続く。