1950話 ロシア餃子

 

 かつて、ソビエトの船会社が横浜からナホトカや香港に航路を持っている時代があり、船が好きな私は何度か乗ったことがある。1970年代から80年代初めころまでの話だ。

 あれは、たぶん香港航路の時だったと思う。船の食事は昼が正餐で、昼食時に翌日の昼のメイン料理を選ぶ紙が配られ、船客はふたつあげられた料理からどちらかを選ぶというシステムになっていた。1970年代だと、若い日本人旅行者は、この船で初めてコース料理というものを体験した。ソビエトの格安船だから、料理は貧乏旅行者の私の目でも「安っぽい」と感じたが、ナイフとフォークを使うコース料理であることに変わりはない。

 ある日の昼のこと、翌日の昼飯の候補に、「ロシア餃子」と魚料理があり、客の7割くらいが日本人だから、ほとんどが「ロシア餃子」を選んだ。

 そして、翌日の昼。その日のメイン料理がテーブルに運ばれてきた。「おおっ」という声が聞こえる。私のテーブルにも餃子が運ばれてきた。コーヒーの受け皿くらいの皿にゆでた餃子が4個。テーブルにラー油と酢はないから、醤油とカラシで食べようとしていたら、いくつものテーブルから「ええ! なんだよこれ?」、「え~!?」という声が聞こえた。餃子がどうかしたのかと思い、餃子を半分に割ったら、なかからブルーべりジャムが出てきた。正直に言えば、その時代に私はまだブルーベリーというものを知らないから、後の知識でそう推察しただけで、このときは「なんだか青いジャムだ」と思ったにすぎない。少しかじったら、甘い。「ジャムのようなもの」ではなく、「ジャムそのもの」だった。

 しばらくたって、ソビエトに「ペリメニ」という餃子があることを知った。ひき肉やチーズを入れるようだが、「ジャムを入れる」と書いている文献を見つけられなかった。ライターになってから、都内のロシア料理店を取材したときに、店長にソビエト船でのジャム餃子の一件を話すると、「そんなペリメニは知らないなあ。ジャムですか? 考えられないなあ」と首をひねった。

 甘いロシア餃子を食べたのが1970年代、資料を読んだり東京のロシア料理店で話を聞いたのが1980年代で、それから実に長い月日が流れたつい先日、テレビでジャム入り餃子が映った。在日ウクライナ人が作る料理番組だった。ウクライナ茹で餃子バレーニキは、塩味のものと甘い味のものの両方があるが、甘いものもデザートではなく食事のなかの料理ですと説明していた。

 ポーランドなど広い地域に渡って食べられているピエロギは、見た目にはバレーニキとほとんど区別がつかない。ウィキペディアの情報では、ポーランドのピエロギは塩味と甘い味の両方があるが、甘いものはデザートだとしている。

 というわけで、1970年代以来の疑問がやっと解けた。インターネット時代に入って初めて「ペリメニ」を調べたが、「ジャム入りの甘いペリメニ」を見つけられなかった。ソビエト船上で我々船客が食べた「ロシア餃子」はペリメニではなく、バレーニキかピエロギだったということらしい。あれから50年近くたって、謎は解明された。メニューに「ロシア餃子」とあったと記憶していたが、「ソビエト餃子」ということはないよなあ。ソビエトならウクライナポーランドソビエトだった。