ソウル生活史博物館 5
別棟にあるカフェから博物館に戻って、見学を続ける。今開催している特別展は、うれしいことに「大衆音楽史」だ。戦前からのレコードが展示されている。プラハの博物館では、レコードとプレーヤーが置いてあって、自由に聞くことができたのだが、ここにはそういう設備はない。「音楽を聞きたい人は、スマホでご自由にどうぞ」ということなのだろう。ここの展示を見ただけでは、音楽史の流れが見えてこない。
私は韓国の音楽を本格的に聞いたことがない。韓国音楽の本は数冊読んだことがあるが、内容の多くは忘れている。帰国したら、「韓国大衆音楽史をちょろっとさらっておくか」と思ったのだが、帰国して書棚の本を片っ端から読み、よくわからないので次々と注文して読んだが、韓国音楽世界の全体像が見えてこない。その理由は、もちろん私の基礎学力の問題があるのは明らかだが、本を書いているライターや研究者たちも全体像を俯瞰していないからだろうと思った。
かつて、『まとわりつくタイの音楽』(めこん)という本を書いた。私が書きたかったのは、タイのヒット曲紹介ではない。この100年くらいの間にタイ人たちが聴いてきた音楽の全体像を書いてみたいと思った。タイ人だからタイの音楽ばかり聴いてきたわけではない。タイという国にタイ族だけが住んでいるわけでもない。音楽ライターなら、若者たちが夢中になっている音楽だけを取り上げて、「これぞタイ音楽」と紹介するだろうが、そういうポップミュージック偏重の本は書きたくなかった。
だから、韓国音楽に関しても、どういうジャンルがあって、それがどう変化してきたのかといったことを調べて、全体像を少しは頭に入れて、その成果を1000字くらいにまとめて、このコラムに書こうと思ったのだが、できなかった。
最大の問題は、日本人の書き手たちが、歌謡曲をわかっていないことだ。「歌謡曲って、つまり演歌でしょ」という言う日本人は少なくない。
日本の歌謡曲は、大衆音楽のすべてだ。レコ―ド会社が商売にしようとして作った音楽も、初期は「うた」だが、レコードとラジオで広がっていくと「流行歌」と呼ばれるようになったが、「まだ流行していない音楽を流行歌と呼ぶのはいかがなものか」といちゃもんをつけたのはNHKで、その結果「歌謡曲」というジャンル名が生まれた。音楽的な特徴はない。ジャズやアメリカのポップスの焼き直しでも、民謡が元でもいい。浪曲や純邦楽をもとにしたものでもいい。ヒットさせようとして売り出した音楽全部で、そこに入らないのは小唄や義太夫など純邦楽やクラッシクの歌曲などだが、オペレッタ(軽歌劇)の歌がヒットすれば、歌謡曲に入る。
1950~60年代あたりが歌謡曲の黄金時代で、「日本調のメロディーと情緒的な歌詞の歌」を、レコード会社の販売戦力として「演歌」と名付けて売りだしたら大成功して、歌謡曲の大ジャンルになり、いつしか「演歌は歌謡曲のこと」と誤認されるようになってしまった。
韓国の音楽ジャンルのトロットは「歌謡曲」としたほうがいいと思うが、多くの日本人は「演歌」と紹介している。韓国にもカヨ(歌謡)というジャンルがあるが、その詳しい解説もない。伝統音楽とカヨ、あるいはトロットの関係や、ポンチャックというジャンルの説明も納得いくものがないので、音楽素人の私が知ったかぶりで解説することもできない。
それでも、調べれば韓国の音楽世界の全貌の一片くらいは見せてくれるかと、韓国語の論文をコンピューター翻訳で読んだりもしたのだが、どうも納得がいかない。民謡やパンソリと歌謡曲の関係といったこともわからないので、深入りしないことにした。音楽は聞かないとわからないので、1000曲聞くくらいの覚悟がないと手を出せない。この回の文章を書くために、かなりの時間と手間をかけ、取り寄せた参考書も読み、音楽評論家の松村洋さんとのメールでのやりとりを何度かやったが、「そうか、こういうことか!」と明解に理解できる「韓国音楽の構図」が見えてこない。
というわけで、本筋に入らず、次回は音楽の別の話をする。
音楽史の流れの図だが、これだけでは部外者には何もわからない。
夜、宿のテレビをつけると歌謡ショーをやっていた。こういうのが「演歌」とは理解しにくい。バックダンサーをつける歌謡ショーは、タイの歌謡曲や日本の昔のポップスやアイドルショーのようだが、私の好みでは、なんだか恥ずかしい。大昔の、アメリカのステージのコピーなんだろうが・・・