2035話 続・経年変化 その1

音楽 1 大全集

 趣味嗜好の経年変化の話を書こうとアイデアをひねり出していたら、2022年7月の1770話以降20回にわたって連載していたことを発見した。自分が書いた文章を「発見」だなんておおげさだと思うかもしれないが、ホントに覚えていなかったのだ。20年前のことならいざ知らず、2022年のことで、しかも20回も連載していながらまったく覚えていなかったのだから、症状は重い。

 体形や外見や体力などの変化はわざわざ話しても「ご同輩」と同じだから、おもしろくない。だから、ここでは趣味嗜好などの経年変化を書いてみようと思う。全体的な話を先にしておくと、いろいろな事柄について考えていて、「昔大好きだったのに、今は大嫌いになった」というものは、思いつかない。「昔大嫌いだったが、今は大好きになった」というのも思いつかない。「昔はそれほど好きではなかった」とか「昔は気にもかけていなかった」という事柄を多少好きになるということはある。

 2022年のコラムは、書いた本人も覚えていなかったのだから、読んだことがあるわずかな人も覚えていないだろうと考え、ここでは、いわば「増補」という形で続編を書くことにする。書き出さないと何回続くのかわからないが、なんだか長くなりそうな予感がする。

 まずは、音楽の話だ。

 新聞の全面広告が音楽だと、注目したくなる。団塊の世代やそれ以上の世代を対象とした「なつかしのメロディー」の広告だ。CD10枚とか、「全150曲」といったボックスセットの通販広告だ。

 「青春のフォーク・ニューミュージック大全集」

 フォークソングもニューミュージックも私の趣味ではなく、熱心に聴いていた時代はないが、曲名リストを読んでいくと、8割は曲名と歌手・グループ名が一致する。聞き覚えがある。題名は知らないが、聞けばわかるという曲もあるだろうから、9割くらいは知っていると思われる。ラジオ少年は、好き嫌いにかかわらず、いつも流れていた歌に記憶があるのだ。

 「なつかしの演歌大全集」

 これは、ダメだ。半分くらいは知らない。NHKの歌番組を見ていれば覚えていたかもしれないが、テレビで音楽を聞かないので、知らない。演歌と相性が悪いのだが、「なつかしの歌謡曲なら、知っている歌が多いし、好きな歌も多い。

 若い世代や、老齢でも元ロック少年は、歌謡曲と演歌の違いがわからない人が少ないないようだから、ちょっと解説しておく。

 歌は、口から耳へと伝わるものだったが、ラジオとレコードに時代になり、音楽が商品となった。作曲家作詞家が作った歌を、歌手が歌うというシステムができてきた。こういう歌は、「流行歌」と呼ばれるようになった。この名称に、私は記憶がある。クラシックの歌手でも民謡歌手でもない新しいタイプの歌手を、「流行歌手」と呼んだ時代に記憶がある。

 その名称に異議を唱えたのがNHKで、「まだ流行ってもいない歌を『流行歌』と呼ぶのはいかがなものか」という主張がとおり、「歌謡曲」という名が生まれた。民謡ではなく、音楽学校で教えるような西洋の歌でもなく、お座敷で歌う歌でもないすべての歌が、「歌謡曲」となった。だから、ジャズ調でもラテン調でも、歌謡曲に入る。歌のすべての要素を詰め込んだのが歌謡曲だから、浪曲出身の三波春夫も民謡出身の三橋美智也も、音楽大学出身の藤山一郎の歌も、歌謡曲である。ただし、シューベルトなどクラシックの声楽曲は、歌謡曲とは呼ばれない。

 1960年代なかばに、「涙」「港」「雨」などを織り込む日本調の歌詞に、いわゆるヨナ抜き音階で日本調を強調し、歌手はコブシをつけて歌うというスタイルをレコード会社が「演歌」と名付けて売り出した。「演歌」や「ニューミュージック」などのジャンル名は、レコード会社が販売戦略目的で作り出した名称だから、明確な定義はない。歌謡曲のなかの、「日本」を強調した歌を「演歌」と呼んだ音楽業界の商法である。歌謡曲という大枠のなかの小さなジャンルが演歌だったが、強く大きな支持を受けて、歌謡曲という大枠いっぱいの大きなジャンルになり、歌謡曲と演歌を混同する人が現れたというわけだ。スパゲティーはパスタのひとつだが、パスタがスパゲティーそのものではないという図式と同じだ。