2142話 ソウル2024あるいは韓国との46年 その37

ソウル生活史博物館 6

 展示のなかで、ちょっとおもしろいものがあった。

左端のレコードは、ハン・テスの「長くて遠い道」。ハン・テスは実に興味深い人物である。その歌声は、こんな感じだ

 韓国大衆音楽の歴史解説のなかには、私にも多少わかることがある。

 ロックとプロテストソングの時代の1970年代後半、ミュージシャンたちが大麻所持で逮捕される。その結果、政府も音楽業界も「清く正しい音楽」を推奨した結果、1977年から「大学歌謡祭」の時代に入る。ドラマ「応答せよ 1988」は、この歌謡祭がタイトルバックに入っているだけではなく、時代を描く重要な要素になっている。

このドラマで使われている数多くの歌は、1990年前後に若者がたちが聴いていたものだ。ドラマ制作者の趣味もあるだろうが、日本人にわかりやすく説明すれば、叙情派フォークだろう。日本なら、こういう歌手やグループが浮かぶ。

 NSP(ニュー・サディスティック・ピンク)、もとまろ、森田童子かぐや姫、ふきのとう、さだまさし、イルカ、紙ふうせん・・・・。

 上の解説の英語部分を拡大する。読みにくければ、自分で拡大してください。

 

 1990年代になると、若者の街新村(シンチョン)の路上から、清く正しい叙情派フフォークやバラードに対して「そんな甘っちょろい歌、歌ってんじゃねえよ!」という意思表示があった。路上で踊る若者、ヒップホップの登場である。「応答せよ 1988」にも、高校生が踊って歌うシーンでコピーされているのが1987年デビューのソバンチャ(消防車)だ。1992年にはソテジワアイドゥルがデビューする。80年代後半からヒット曲の質が徐々にわってきたということだろう。今日のK-POPはこういう時代背景で誕生する。

 その当時の日本で、1994年から98年までの4年間、フジテレビの深夜に、「アジアNビート」の放送が始まる。MCは、当時一般的にはほとんど無名のユースケ・サンタマリア。資料で確認ができないが、やはりほとんど無名の濱田マリも出演していたという記憶がある。韓国音楽に特化した番組ではないが、同時代の韓国音楽を紹介していたので、私も多少の知識が備わった。

 K-POPと言われる音楽ジャンルの誕生期の部分だけは、日本語での長い解説がある。

 『大好きな韓国』(四方田犬彦)に、1979年のソウルの大学生を描写した「学生たちはぼろぼろのテープでボブ・ディランを聴いていた」という部分を読んで、ドラマのシーンを思い出した。ドラマ「浪漫ドクターキム・サブ」の主人公、偏屈な医者キム・サブ(ハン・ソッキュ)は、今でもカセットテープで音楽を聞いているのだが、棚に積み上げたテープのなかにボブ・ディランがあったのを見逃さなかった。このドラマが放送された2016年にキム・サブが50歳だとすれば、1966年生まれ。

 韓国社会の知識が増えていくと、ドラマの細部も楽しめるようになる。