1548話 本の話 第32回

 

 考古学の本から その3

 

 注文していた『騎馬民族は来なかった』(佐原真、NHKブックス、1993年)が届いた。この本を含めて佐原さんの本は数冊読んでいるはずだが、記憶がほとんどない。ただ、江上波夫が唱えた「騎馬民族征服王朝説」の反論として、日本に家畜の去勢と宦官がないから、騎馬民族が日本を征服した歴史はないと佐原さんが述べたことは覚えていた。考古学者が動物学を学んだのは、「家畜と日本人」というテーマを考えたからだ。

 第3章で、ヨーロッパ人は狩猟民とか牧畜民と言い、日本人は農耕民だという設定で話を進める人が多く、江上波夫もそのひとりだが、この説は不正確で無責任だと述べている。私も佐原さんと同じ意見だったので、「そうですよね」と言いたくなった。西洋人だって、農耕をしているから食料を得ている。狩猟や牧畜だけで生きてきたわけじゃない。日本人は農耕民と考えるのは、柳田国男のように、田んぼからしか日本を見ていないような気がする。網野善彦風にいえば、農民ではなく百姓の世界だ。百姓というのは、いくつもの仕事をしている人のことで、田畑を耕すだけでなく、漁もすれば猟もする。牛や馬を飼う。鍛冶屋もやる。山で木の実やキノコを集める。大工もやれば竹細工もやる。井戸も掘る。漆職人であり、生糸の生産者でもある。芸人にもなり、霊能者にもなる。ありとあらゆる仕事をするのが百姓である。だから、「日本人はコメを作ってきた人たちのこと」と限定するのは、不正確だ。コメは重要な作物ではあっても、稲作だけで生きてきた日本人は、多分いない。この世界を、牧畜民と農耕民に二分して比較考察するのは無理がある。

 話がやや横道にそれた。この本を買った理由は、血食の述べた部分を読みたかったからだ。記述は、わずか6ページ分しかない。

 「世界ではユダヤ教徒が神聖ゆえに血を口にしないことを除けばどこでも血を食べます」とあるから、「イスラム教徒を忘れているじゃないか」と余白に書き込んだ。2ページあとに、「畜産民にとっては、ユダヤ教徒イスラム教徒を除けば、血を口にするのはごく自然なことです」と書いている。

 佐原説は、家畜を食用にしている人たちは、ユダヤ教徒イスラム教徒を除いて、血を食料と考えているというのだが、インド亜大陸と東南アジアが抜けている。ネパールは血も食料だと考えているが、インドでは血は口にしない地域が多い。パキスタンバングラデシュイスラム教徒が多いが、仏教徒が多いスリランカでも、多分、普通は血を料理に使わないのではないか。東南アジアでは、イスラム教徒が多いマレーシアやインドネシアでは、中国系や少数民族を除くと、血の料理はほとんど食べないようだ。タイやベトナムは、中国の食文化の影響で、血の料理を食べるのだろうか。このあたりのことは調べたことがないので、わからない。

 韓国の例も含めて、血食については、1461話ですでに書いた。『騎馬民族は来なかった』を読んでも血食に関する新たな情報は得られなかったが。考古学のことをもう少し知りたくて、佐原さんの本をまたアマゾンした。

 

1547話 本の話 第31回

 

 考古学の本から その2

 

P28・・・ニワトリ

ニワトリはタマゴ目当てに飼っていたのではなく、朝の時刻を知るためだという宮本常一の説を、渋沢栄一編の『絵巻物による日本常民生活絵引』を引用して紹介している。おそらく、研究者の間ではよく知られた情報なのだろうが、私はちょっと前まで知らなかった。

 「昔のニワトリは、今と違ってタマゴはほんの少ししか生まなかったんです。ニワトリを飼う目的は、目覚まし時計代りでした」

 あるシンポジウムで、私の質問にニワトリの歴史を解説してくれたのは、ニワトリの研究で博士号をとった秋篠宮だった。『食の考古学』によれば、ニワトリはまず、鳴き声が利用され、次がタマゴ、そして肉を食べるようになったようだ。私の子供時代(1950~60年代)でさえ、今と違ってタマゴは決して安い食べ物ではなかった。タマゴだけではない。ブロイラーが出回るまで、鶏肉も安い肉ではなかった。輸入鶏肉が市場に出て、鶏肉料理は野菜料理よりも安くなった。

P82・・・その昔、コメは蒸していない。煮ていた。

『食の考古学』を読もうと思ったきっかけは、『おにぎりの文化史』に、昔、コメは蒸していたという説は佐原によって否定されたとして、その説の出典である『食の考古学』の名を出していたからだ。この際、きっちりと読んでおこうと思った。日本ではコメをどう料理して食べていたのかという問題は、その昔にいろいろ資料を読んだ気がするが、甑(こしき)という語だけが記憶に残り、あとはきれいさっぱり消えてしまった。甑は蒸し器のことだが、『食の考古学』を読むと、日本ではまず甑でコメを蒸し、そのあと煮るようになったと信じている人が多いようで、「それは違う!」という異議申し立てをしたのが佐原論文というわけらしい。その昔読んだ資料に書いてあったのは、コメはまず蒸し、そのあと煮たという説明がどうも信用できなかった。煮るよりも蒸す方が、作業としても道具にしても、より複雑だと思うからだ。

 コメに限らず雑穀を食べ始めたヒトは、鍋で煮て食べたと私は考えている。だから、「コメは、まず煮た」という佐原説に驚きはない。

 私の想像をもう少し詳しく書いてみる。ヒトは食べられそうだが生では食べにくいものを鍋で煮て食べた。麦やトウモロコシは粒のままでは堅くて食べにくいので、粉にして粥にするか、パンのように焼いた。パンといっても、平たい石にのせて焼いたパンだ。コメや雑穀もイモも木の実も山野草も、鍋で煮た。つまり、最初は雑炊だ。日本では、ドラマ「おしん」で広く知られることになった大根飯のような飯が、古代から戦後の食糧難時代まで続いたと想像している。江戸の町民は脚気になるほどの白米を食べていたが、農山村では完全に精米していない半搗き米の雑炊か、コメなど入っていないイモなどの煮物を日常的に食べていたと思う。つまり、雑炊から始まり、豊かになるにつれて、コメの量が増え、「銀シャリ」になっていったのではないか。おそらく外国でも同様だろう。煮るとのり状になってしまうモチ米は、蒸すことになったのではないか。

 

1546話 本の話 第30回

 

 考古学の本から その1

 

 先に紹介した『おにぎりの文化史』の参考文献に、『食の考古学』(佐原真、東京大学出版会、1996)が出ていた。一部は食文化研究誌「VESTA」で読んでいるが覚えていないので、この際に読んでみようと思った。佐原さんの講演は小さな会で何度か聞いているが、言葉を交わしたことはない。

 あの時代、佐賀の吉野ヶ里(よしのがり)遺跡や青森の三内丸山(さんないまるやま)遺跡の発掘によって、それまでの「事実」が塗り替えられていた。そういう時代の流れを受けて、佐原さんは「明日をも知らぬ考古学」というセリフをよく口にしていた。考古学に光が当たった時代に、佐原さんのわかりやすい口調・文章が世に受け入れられ、千葉・佐倉の国立歴史民俗博物館の副館長になったのが1993年、館長になったのが1997年(2001年退任)。この本が出た1990年代後半に、私は佐原さんの本を何冊か読み、講演を聞いていたというわけだ。

 以下、『食の考古学』を読んでいく。いつものように、読んで思い出したこと、考えたこと、調べたことなどを徒然なるままに書いていく。

まえがき部分・・肉食

江戸の街を発掘すると、バラバラの状態の犬の骨がたくさん見つかるそうだ。犬は弥生時代でも江戸時代になっても、食用だったという証拠が地中にある。国立文化財研究所埋蔵文化財センターで、佐原さんの後輩にあたる松井章さんが、「武家屋敷の発掘をしたら、馬の骨が出てくるというのは珍しくなく、骨に多くの傷がついているから、食べたのは明らかです」という話をしてくれた。そういえば、そのころに何度か会っていろいろ教えていただいた青木直己さんの『幕末単身赴任 下級武士の食日記』(NHK生活人新書、のちにちくま文庫)には、品川かどっかで肉を買い、藩邸に戻ってみんなで肉を食べるという記述が日記にあった。幕末の江戸では、武士が店で肉を買い、料理して食べていたことがわかる。

 犬を食べる話は、山田仁史さんの『いかもの喰いー犬・土・人の食の信仰』(亜紀書房、2017)に詳しいが、山田さんとは土を食べる人たちの話をしたことを覚えている。世界には、嗜好品として土を食べる人たちがいて、タイにもそういう人がいてね、などと話をした。

 「日本人は明治になるまで肉は食べなかった」と信じきっている人が少なからずいるが、イノシシやクマがいる山村はもちろん、江戸でも肉を食べていいたという事実はいくらでもでてくる。だが、意外にもニワトリはあまり食べていなかったという話は、次回に。

 佐原さんは2002年に、松井さんは2015年に、山田さんは今年2021年に亡くなった。佐原さんが亡くなったのは、今の私とほぼ同い年、松井さんは私と同じ年の生まれ、山田さんに至ってはまだ50前だった。

P9・・・「血食については『騎馬民族は来なかった』であつかったので、ここでは割愛する」

 血食、つまり血を食用にするという話は、このアジア雑語林で何度も書いているのだが、佐原さんが血食について書いていたのを知らなかった。じつは『騎馬民族は来なかった』を読んだ記憶ははっきりあるが、その内容を覚えていない。だから「知らなかった」ではなく「忘れた」が正しい。その本が自宅の目に付くところにあるとは思えないので、すぐさまアマゾン。

P17・・・料理

 「料理」という語は古い中国語で、「計測する」という意味で、日本語での意味とは違う。中国では消えて、日本では別の意味で使っているという説を紹介している。私もそう思っていたのだが、台湾は違っていた。おそらく日本語の影響なのだろうが、日本料理は「日本菜」ではなく、「日本料理」という看板を掲げている店を見たのはだいぶ前で、いまインターネットの中国語版を調べると、wikipediaでも百度百科でも、「料理」が見出し語にもなっている。「日本料理」がひとまとめの単語のようだ。

 

  

1545話 本の話 第29回

 

 『ポケット版 台湾グルメ350品! 食べ歩き事典』(光瀬憲子) その9(最終回)

 

 台湾の料理の話は、まだまだ続けられるがキリがない。一応、今回で最終回としよう。

◆炸牛蒡(ザーニューパン、ゴボウ揚げ)・・・ゴボウに魚のすり身を巻き付けて揚げた料理を紹介している。「ゴボウは台湾でもごく一般的な食材」だと説明している。ネット情報ではこういった解説は極めて珍しい。ゴボウ関連の記事を探してみると次のようになる。これらはことごとく間違いなのだ。薄いネット情報だけを頼りにしたもので、自戒を込めてはっきり書くが、ウソの垂れ流しである。

・ゴボウは日本人しか食べない・・・こういう「日本特殊論」が一番多い。「ゴボウを日常の食材としているのは日本のみである」(ウィキペディア

・「ごぼうを食用としているのは日本とわずかに韓国と台湾だけで、栽培をしているのは日本のみ」(出張DASH村

・「実はゴボウを食用としているのは最近までは、日本だけだったことをご存知ですか。最近は健康効果が注目されて、中国や台湾でも食べられるようになりましたが、ゴボウは日本食だけに活用されてきた野菜なのです」(マイナビ農業

 私の最初の調査は「台湾 ゴボウ」で検索したのだが、ヒットしたのは「やはり」と言いたくなる濱屋方子さんの「台湾日記」(2015-11-15)だった。さすが、濱屋さんだ。日本時代の影響で、台湾でもゴボウを食べるという記述は、『台湾グルメ350品!』と同じ。台湾人がゴボウを食べ始めたのは最近ではないとわかるし、台湾の屏東県でゴボウ生産がさかんだと書いているので調べると、生産農家の話が日本語で出ていた。台湾でも生産しているのだ。

 さらに調査を進める。独立行政法人農畜産業振興機構発行の雑誌「野菜情報」(2018年10月)に、中国のゴボウ生産の話が詳しく出ている。箇条書きにすると、こういう事情だとわかる。

・日本のごぼう供給量の7割以上は国産品であるが、約2割は輸入生鮮品。

・(ゴボウの)輸入生鮮品は、近年、年間4万~5万トンで安定的に推移しており、9割以上が中国産で、それ以外にはわずかに台湾産とベトナム産が含まれている。

・(ゴボウの)輸出先は日本と韓国であり、両国で輸出量の約9割を占めている。

山東省で生産されたごぼうの約3割は国内向けで、半分はごぼう茶やごぼう酒などに利用され、残りの半分は生鮮食品として北京や南方の大都市圏へ供給される。中国では、日本のように野菜として消費する習慣がなかったことから、生鮮食品としての需要は低かったが、近年の健康志向の高まりにより、食物繊維が豊富な野菜として、炒めものやごぼう巻きなどでの消費が高まりつつある。

 台湾食文化の流れで、目下、「読みたいなあ」と思っているのが、次の2冊。どちらも光瀬憲子さんが関わっている。台湾の本屋に行くと、「日本語に翻訳して出版してほしいなあ」と思う本がいくらでもある。食文化に限らず、楽しい本をどんどん翻訳出版してほしい。

『台湾漬 二十四節気の保存食』

『台湾の美味しい調味料 台湾醤』

 そんなことを考えていたら、若くして亡くなった翻訳家の天野健太郎さんの本『風景と自由―天野健太郎句文集』を読みたくなった。

 次回からは、考古学の話を始める予定(もう原稿はできているが・・・)。

 

 

1544話 本の話 第28回

 

 『ポケット版 台湾グルメ350品! 食べ歩き事典』(光瀬憲子) その8

 

 話はまだ続く。

陽春麺(ヤンチュンミェン、シンプルな具なし麺)・・・初めて台湾に行ったときは、少ない旅費で食い伸ばそうと考えていたから、安いものしか食べていない。魯肉飯や油飯そして陽春麺はよく食べた。魯肉飯と油飯は「うまい」と思って食べていた。かけそば、あるいは素ラーメンという感じの陽春麺は「可もなく不可もなく」という感じで、安さだけで食べていた。考えてみれば、台湾で麺料理を食べて、「これはうまい」と思ったものは記憶にない。スープじゃなくてお湯か?という汁そばやのびたうどんのような麺。焼きビーフンは比較的よく食べたが、自分で作った方がうまいと思った。台湾の麺料理は、ネットでは日本人にはおおむね好評のようだが、多くの日本人旅行者がホントに「うまい!」と思って食べているのかなあ。台湾の麺類に対して厳しいのは、日本とタイで麺料理を食べなれているせいだろうか。

鍋貼(グォティエ、焼き餃子)・・・日本以外で、もっとも焼き餃子を食べられる国は台湾である。私は、台湾は国だと思っているから、「ふたつの中国」は認めていない。ひとつの中国と、ひとつの台湾があるのだ。ひとつの独立した香港もあればいいのだが・・・。

それはさておき、この文庫に、気になる記述がある。

 「日本でおなじみの焼き餃子にもっとも近いものは、台湾の鍋貼である。餃子として分類されていないので、水餃子や蒸し餃子を扱っている店では鍋貼を出さない。鍋貼は独立した専門店がある」

鍋貼は、「鍋に張り付けるようにして焼く」といったような意味合いを持つ語で、料理名としては鍋貼餃子の省略形だから、「鍋貼は餃子として分類されていない」というのは変だ。そして、鍋貼と水餃子は同じ店では出さないと書いているが、台湾最大の餃子チェーン店「八方雲集」では、HPを見てわかるように、鍋貼も水餃子もある。こういう店は、街にいくらでもあったと記憶している。ネットで探しても、阿財鍋貼水餃店は、店名からして両方ありますよと言っている。

 「中国では水餃子が普通だから、焼き餃子は冷めた水餃子を温め直したものだ」と説明されることが多いが、中華鍋で温め直したのは煎餃で家庭の料理。専用の平らな鍋で生の餃子を焼いたのが鍋貼で、料理店の料理だというのが私の解釈だ。もちろん、明確な区別があるわけではないが・・・。日本には餃子調理研究者はいくらでもいるが、餃子歴史研究者は極めて少ない。

台北で餃子を食べ歩いた経験で言うと、「餃子の店に飯はない」というきまりはゆるぎない鉄則であるようだ。例外は、日本料理店や居酒屋だろう。

 台湾各地にある餃子チェーンの八方雲集は、餃子と台湾が大好きな日本人は、「日本に進出してくれればなあ」と望んでいるはずだが、最大のネックは、注文を受けて焼くのではなく、まとめ焼きだということだ。大混雑しているときは熱い焼き餃子を食べることができるが、ヒマな時間だと生ぬるい餃子になる。日本には進出していないが、香港には店舗がある。アジア戦略を始めれば、焼き餃子が世界に広まるかもしれない。

九層塔(ジョウチェンターダン、台湾バジルの卵焼き)・・・九層塔はハーブだ。学名のOcimum basilicum、英語名をSweet basilということで画像検索すると、イタリア料理でよく使うバジリコが出てくることが多いが、あのバジルとは全く違う。スウィート・バジルには変種が多く、タイでバイ・ホーラパーと呼んでいるものが、台湾の九層塔だ。コリアンダーよりももっと強烈な臭気があり、私の苦手なハーブだ。においの強いスパイスや香辛料と一緒に使うタイ料理でも臭いのに、台湾では塩や醤油だけの料理に加えるので、耐えられない。ある時に注文した焼きそばにこのハーブが入っていて、ひと口で店を出たことがあった。おそらく、この香草がまな板か野菜のかけらにでもついていたのだろうが、それだけでも臭かった。

 炒孔雀蛤(ツァオコンチュハー、ムール貝炒め・・・の説明を読んでいたら、この料理には九層塔を使うとある。実は、タイ料理でも貝の炒め物にこのハーブを入れるので、私の苦手な料理になっている。クセの強いハーブなので、魚貝類に使って生臭さを取ろうという考えなのだろう。

呉郭魚(ウーグォユー、ティラピア)・・・「臭みがあるのでたっぷりの生姜を使って・・・」、「小骨があって・・・」と、ティラピアを紹介しているが、別の魚と勘違いしているのではないか。ウィキペディアには、「ティラピアの肉質は臭みもなく非常に美味で」と書いてある。タイに似た魚なので、ニシンのような小骨もない。私はケニアで初めて食べ、タイで何度も食べているが、カリカリに揚げたり、スパイスが効いたタレをかけるうまい。日本人がなぜ食べたがらないのか不思議な魚だ。 

13日午後11時過ぎにかなり強い地震があった。本棚の本は無事だったが、将棋崩しの駒のように床に積んだ本の山は、やはりちょっと崩れた。もう何年も見ていない本も発見できて、再読しようと山の上に積みなおした。

 

1543話 本の話 第27回

 

  『ポケット版 台湾グルメ350品! 食べ歩き事典』(光瀬憲子) その7

 

 書きたいことがいくらでもあるので、もう少し続けます。

◆台鐵便當(タイティエビェンタン、駅弁)・・・私が初めて見た台湾の弁当は、鉄道ではなく長距離バスのターミナルで売っていたもので、紙の箱に入った排骨弁当だった。トンカツに使うくらいの大きさの豚肉に衣をつけて揚げ、タレに浸して飯の上にのせ、煮た卵も載っていた。箸が竹ひごよりはやや太いという程度のものだったにも覚えている。盛り付けの美しさなど気に留めず、「肉がでかいぞ、文句があるか!」という弁当だった。その後何年たっても弁当のすがたは変わらなかったのだが、たぶん、コンビニの普及と、台湾人が日本を旅行して、日本の弁当に接した影響からか、台湾の弁当も少しは野菜を入れるとか、盛り付けに気を配るとか、変化が少しずつ見えてきている。あと10年もたつと、幕の内風なものも増えるかもしれない。

 台湾の弁当事情に関しては、ちょっと古くなったが、2013年のアジア雑語林558話にある程度書いている(2013年はまだ500話台だったのか。あれから1000話以上書いたことになる)。そのコラムで、同じ2013年に出た台湾の駅弁を扱ったマンガを紹介しているので、ここでリンクを張っておこう。『駅弁ひとり旅 ザ・ワールド 台湾+沖縄編』

 あのころと違って、今では「台湾 駅弁」、「台湾 駅弁」と検索すると、文字資料や画像資料が数多く出てくる。そういう画像を見ていると、昔よりは彩りや栄養バランスを考えるようにはなったが、「肉だ! 肉だ! 文句はあるか!」という嗜好の骨格は変わっていないと思う。検索語を、「台湾 コンビニ弁当」に変えて、画像検索をやると想像力がふくらんできて楽しい。勉強にもなる。「韓国 弁当」と画像検索すると、韓国の弁当の方が、映像的には日本の弁当に近いこともわかる。

 しかし、こういう遊びは決して深夜にやってはいけない。空腹に悩まされることになるからだ。昼食後にやるのが望ましい。

炒飯(ツァオファン、チャーハン)・・・台湾には餃子の店は多いのに、チャーハンや焼きそばがうまい店は少ないらしい。つまり、チャーハンを出す店が少なく、しかも日本人の口にあうチャーハンはもっと少ないようだ。これは私も体験済みで、台北の街中の食堂のメニューに「炒飯」があったので、ものは試しに注文してみたら、飯の塊がごろごろしていて、日本の街中華の方がよっぽどマシだと思った。そこでふと思ったのだが、世界でもっとも炒飯を食べているのは日本人で、だから炒飯に関する要求が高く、あれこれ言いたがるのではないか。「世界でもっとも」という点に関しては、証明のしようがないので単なる勘以上の話ではないのだが、「パラパラ炒飯」を強く望むのが日本人ではないか。タイの屋台の炒飯(カオパット)は、コメの性質上パラパラの仕上がりになるが、トマトや青菜を入れたがり、油でギトギトしがちである。高級ホテルのバイキングでは、日本人好みのパラパラ炒飯もある。

 ネットにおもしろい記事があった。台湾のテレビ番組が選んだ「台北のうまい炒飯ベスト10」の店を食べてみたという体験レポートだ。自戒を込めて書くが、「台湾の炒飯は自分の好みに合うはずだ」という思い込みは間違いだ。日本人のためにチャーハンを作っているわけじゃないのだから。それはわかったうえで、この体験レポートの異文化体験は興味深い。

(ファントァン、もち米おにぎり)・・・タイ東北部やラオスなどを除くと、おにぎりは日本にしかないという主張の『おにぎりの文化史』のことはすでに書いた。「それは違うよ」という異議を申し立てたのだが、ここで台湾のおにぎり専門店の記事を紹介する。こういう記事もある。ちょっと調べれば、日本以外にもおにぎりはあることがわかるのに・・・。「パサパサ・パラパラの米は、握れない」というなら、もち米を使えばいい。「冷えた飯を食べる習慣がないから、おにぎりはない」というが、あたたかいおにぎりを食べると想像できなかったのか。

 台湾のおにぎりの、ノリを巻いたものは日本の影響だろうが、飯を握ったものは中国から伝わったものかもしれない。中国のおにぎりのことは『中国人の胃袋』(張強、バジリコ、2008)に書いてあるという話もすでにした。

 かつて、日本のKFCに焼きおにぎりがあったが、現在の中国のKFCには棒状の「おにぎり」(?)がある。「飯団」という説明がついているから、おにぎりなのだろう。台湾のKFCにも同じものがあるのかどうか、ネットでは確認できず。コンビニのおにぎりを温めて食べるというのが常識の国は、台湾、中国、韓国、そして沖縄など日本国内の何か所か。

 

 

1542話 本の話 第26回

 

 『ポケット版 台湾グルメ350品! 食べ歩き事典』(光瀬憲子) その6

 

 台湾料理話、まだ続く。

猪油飯(ズーヨウファン、ラードかけご飯)・・・炊き立てのご飯にバターをのせて、醤油をちょっとかけた飯のように、液体のラードを飯に振りかけ、醤油で味をつけたものらしい。そういう料理を紹介しているが、私は知らない。私になじみがあって、大好きなのはほかのページで紹介している油飯(ユーファン)だ。こちらは刻んだ豚バラ肉のおこわだ。台湾のちまきの廉価版といった位置にある。台湾では蒸しているのだろうが、今の炊飯器はもち米でも炊けるので、私は炊飯器を使っている。

 油飯をモチ米ではなくウルチ米で炊くと、沖縄のジューシー、正確にはクファー・ジューシー(硬い雑炊)になる。

肉粽(ロウゾン、肉入りちまき)・・・この料理はいつも台湾語で「バアツァン」と呼ぶ。その名で覚えたからなのだが、外国人がいきなり台湾語で注文するから驚く人が多い。肉を「バー」と発音することを、のちに「ああ、そうか」と気がついた。それは、こういうことだ。小麦粉の汁麺をタイでもインドネシアでも「バミー」という。タイ語をローマ字表記すればbamiiだが、インドネシア語はbakmiと書く。漢字訳すれば、肉麺だ。肉汁をスープにした麺料理だから、「バミー」で、おそらくこの単語は福建語か潮州語など、南中国の言葉だろう。

 東南アジアは中国の食文化の影響を強く受けているから、料理名の謎を探るのに中国語の知識が役に立つが、東南アジアに与えた影響は南中国、例えば広東省福建省といった地域なので、できれば福建語の知識があればなあと思うことが多い。福建省でも地域によって言葉の差があり、料理名が異なる。上に書いた「肉は,baかbak」と覚えても、フィリピンではbaboyのほか、「ma」も使う。フィリピンの麺料理maki miは漢字では 肉羹麵と書き、福建語でマキ・ミーと発音する。

 マレーシアに行けば、福建語表記の料理図鑑が見つかるかもしれないが、よそ者には読めない。こういう食文化の言語学に興味がある人にお勧めしたいのが、ペナンで買った次の本。マレー語に入った中国語辞典だ。

“a baba malay dictionary”

 この辞書を見ると、「bak[猪肉]pork,;meat」とある。「猪肉」は、ブタ肉のことだ。麺はマレー語ではmee、インドネシア語ではmi。

壽司巻(ソウスージェン、太巻き)・・・台湾ののりまきの写真を見ていて、韓国ののり巻き(キムパップ)を思い出し、このコラムでちょっと前に書いたカレーライスの話と同じように、日本時代のなごりだ。私が子供のころは回転ずしなどなかったので、子供が口にするすしは、母が作るお稲荷さんかのり巻き(太巻き)だった。地域によっては、あるいは家庭によっては、押しずしやちらしずしを家庭で作っても、握りずしや細巻きなどは来客用の特別な食べ物だった。戦後まで続いたそういう太巻きすしが、台湾や韓国に残っている。

 ただし、次の記述が気になった。「気温が高いせいか、台湾の酢飯は日本よりも酢が効いている。コンビニのおにぎりにも酢が入っていることがあるので、ひと口食べて驚くことも」

 韓国ののり巻き(キムパップ)は酢飯ではないし、タイのすしもタイ人向けの安いものは酢を使っていない。すっぱいご飯は「腐っている」というイメージがあるかららしい。それなのに、台湾のすしは酢が効いているという理屈がよくわからない。台南の安食堂ですしを食べたことがあるが、「酢が効いている」とは感じなかったが、台湾のすしの全貌は私にはわからない。