1541話 本の話 第25回

 

 『ポケット版 台湾グルメ350品! 食べ歩き事典』(光瀬憲子) その5

 

 台湾料理の話はまだまだ続く。

魷魚焿(ヨウユーゲン、イカあんかけスープ)・・・焿とはなんだ? もう20年以上前になるが、この語を中国語辞典で調べたのだが、載っていない。旅行者用の簡略辞典ではなく、ちゃんとした辞典だ。パソコンを買ったので、IMEパットで調べたのだが、出てこない。検索語にできないのだから、調べようがない。そして今、台湾の食事情がいくらでもネットに載るようになって、コピペで検索できるようになった。それで、わかった。この語は漢字ではあるが中国語(中国の標準中国語)ではなく、台湾語だったのだ。意味は、とろみがついた汁もののこと。

 この料理に似たものはタイにもある。厨房で水につかっている材料は、水で戻したスルメだと思っていたのだが、この本ではどうやら生イカを炒め煮にしたものと理解できる説明をしている。私の誤解かとネット情報を当たると、スルメ説と生のスルメイカを加熱した物説の両方があるが、私はやはり「戻したスルメ」説を採用したい。

愛玉(アイユー、レモン風味のさっぱりゼリー)・・・1980年代のなかばだから、もう35年以上前になってしまうのか。すっかり出不精になった今と違い、そのころは東京中をやたらに歩いていた。本郷あたりから上野に歩いているときに、「愛玉子(オーギョーチイ)」という看板を掲げたレトロな店に出会い、飲食店であるらしいということしかわからないが、なんだかおもしろそうで店に入った。店のおばあちゃんはゼリーの店だといい、その原料はイチジクの実のような植物だと店にある原物を示して教えてくれた。それがこのゼリーを口にした最初で、いまのところ最後になっている。台湾では探せば見つかるのだろうが、探してまで食べるほどじゃないと思っている。本郷あたりのあの店はもうないだろうなと思いつつネットで探すと、まだあった。この店だ。散歩の途中に見かけたら、立ち寄らずにはいられない風情がある店だ。

 ただし、トリップアドバイザーで紹介されているこの店の「口コミ」欄を見てみると、とんでもない汚店に変貌してしまったようで、残念。「愛玉子 汚い」で検索すると、情報がいくらでも出てくるという変貌ぶりだ。

鳳梨(フォンリースー、パイナップルケーキ)・・・鳳梨はパイナップル、酥はパイやクッキーのような歯触りの菓子のこと。私の印象では、ここ10年ほどの間に、政府や観光業者などがこぞって売り出そうとしているように思う。日本で言えば和菓子屋風の店構えの菓子屋が台北にあり、「どうぞ、試食してください」と小皿に用意されていた。味は想像できるが食べたことがないので、試食すると、想像とは、ずれた。「うまいだろうなあ」と想像する方向とは違い、好みには合わない。ネット情報を探すと、「冬瓜など混ぜ物が入ったものもある。まずいものに出くわす危険があるので、おいしいものを探しましょう」などと書いてある。日本人の味覚では、ある割合で「まずい!」と感じることがあるということか。

 私も探せば「おいしい」と思えるものに出会えるのかもしれないが、まあ、わざわざ買うものでもない。お好きな方は、どうぞ。業者が熱心なほどには、日本人には売れていないように思う。日本人には、1度は買っても、リピーターがいないという商品では?

咖哩飯(カーリーファン、カレーライス)・・・台湾では、現在の日本の影響を強く受けて、さまざまなカレーを出す店ができているが、そういうカレーが登場する以前に家庭や食堂で食べられていたカレーは、黄色いだけであまり辛くないそうだ。韓国のカレーもよく似ている。どちらのカレーも、日本時代のカレーがそのまま保存されたものだろう。まだ食べたことがないが、食べてみれば、おそらく「うまい」とは思わないだろう。いずれ消えてしまうだろうから、歴史的資料として1度は食べておきたい。私のように、カレールウが販売される以前の「ライスカレー」を知っている世代が子供のころに家で食べたカレーが、韓国や台湾にそのまま残っているというカレーなのだ。台湾や韓国のカレーの写真を見ていると、私の時代の学校給食(1960年代)のカレーも思い出す。

 韓国のカレーは軍隊の食事から家庭へと広かったのだが、台湾ではどうなのだろう。

 

1540話 本の話 第24回

 

 『ポケット版 台湾グルメ350品! 食べ歩き事典』(光瀬憲子) その4

 

 引き続き、この本で紹介している料理に関するコメントを書いていく。

胡椒餅(フージャオピン、胡椒味の肉入り焼きまんじゅう)・・・台北駅とその南の二二八和平公園との間は本屋街でもあるのでよく散歩した。そこの路地で、この焼餅(シャオピン)を見つけた。インドなどでナンなどを焼く窯が店頭にあり、のぞき込むと餅(ピン)を焼いていた。餅といっても日本のモチとは違い、肉まんのような小麦粉製品だ。私の大好物なので、後先を考えずに買ってしまった。「後先」というのは、その日はかなりの雨が降っていて、左手に傘をさしている。右手には買ったばかりの本が入った袋を下げていたのだが、胡椒餅を受け取るために、袋の取っ手を腕に通した。小さな紙袋に入れてくれた胡椒餅は強烈に熱く、その辺ですぐさま食べようとしたのだが、ふさわしい場所がない。ヨーロッパなら、小さな街角公園があるのだが、台北はアジアの街だから、街角公園は少ない。台北駅前に広場はあるのだが、雨宿りできる軒が見つからず、「ええい、歩きながら食ってやれ!」とガブリと口に入れたのだが、なかの肉は表面よりももっと熱く、悶絶した。この本の「胡椒餅」という文字で、旧正月ころの寒くどんよりした空の台北を思い出した。

 こうやって、あの日のことを書いていて、「地下街に逃げ込めばよかったじゃないか」と今頃気がついた。

油條(ヨウテャオ、塩風味の揚げパン)・・・若いころ、銀座の中国料理店でコック見習いをやった。下働きだから、店で技術を積み重ね、中国料理の教養は本で学んだ。中国語は台湾人の大学院生に基礎を教わり、あとはちょっと独習した。将来を考えてやったことではないが、あの時代の知識が、のちに東南アジアの食文化研究に大いに役立った。タイの路上でいくらでも見かけるパートンコーという揚げパンは、大きさこそ違うが、油條そのものだった。屋台の調理台にある赤い調味料が南乳だということもすぐにわかった。豆腐の発酵調味料だ。コック見習い時代は、私にとって食文化研究の大学だったのかもしれない。

臭豆腐(ツォウドウフ、揚げ/煮込み発酵豆腐)・・・名は実態を表す。とてつもなく、臭い料理で、夜市(夜の屋台街)を歩いていても、「あっ、近づいちゃいけない」という信号を感じる。私にとっては、とてつもない悪臭である。悪いことに、もっと臭そうな名前の料理がある。どうだ、文句があるか! という料理名は「大腸臭臭鍋」(ダーチャンツォウツォウグォ)だ。豚の大腸は、日本で白モツと呼んでいるもののはずで、ていねいに処理すれば、出来上がった料理が臭いということはない。しかし、臭い大腸と臭豆腐の鍋ということは、このアジア雑語林でちょっと前に書いた「内容物入り腸」なのか? 内容物はなくても、きちんと処理していないということなら、それは手抜きではなく、その臭気をスパイスやハーブのように好んで用いているということなのか。謎の多い料理だ。

 この料理をもう少し知りたくなって、ネット検索した。そこで、濱屋さんと再会した。ブログ「濱屋方子の台湾日記」だ。濱屋さんは高校教師を退職後、2003年から台湾で日本語教師をやりながら、ブログを書いていた。台湾のことを調べていてこのブログに出会い、その好奇心と知識の深さに感動し、ブログにコメントを書くようになり、メールのやり取りをするようになった。帰国したときは横浜で食事と雑談を楽しんだ。「今度は、台湾でお会いしましょう。学食に案内してください」と話していたのだが、2016年にあっけなく亡くなった。台湾にとっても日本にとっても、まことに惜しい人を亡くした。幸運にも、まだブログを読むことができる。いずれ消えるブログだろうから、世の編集者の方々、濱屋さんの文章を単行本にして残していただきたいと切に願う。私が出会った台湾のブログのなかで、もっとも素晴らしいものだった。食べた料理の写真をブログなどに載せる人はいくらでもいるが、疑問や解説を書く人は少ない。台湾のトイレットペーパーは、本当に水に溶けないのかという実験をやる好奇心のある方だった。

 惜別。

 

香港の生タマゴのニュースがいくつも報告されているが、少々異論がある。まず、「香港人は生卵を食べない」というのは間違い。もう数十年前だが、香港の路上で鍋物を注文したら、すき焼きのように生タマゴが小鉢に入っていて驚いた。食文化研究者の何人かは、この「香港の生タマゴ」の話を伝えている。そして、もうひとつ。香港で日本のタマゴがよく売れるようになったのは、タマゴかけご飯にするためではなく、すき焼きのように食べるためではないかと想像している。動画ではメレンゲを飯に乗せ、黄身をその上にのせている店が紹介されているが、そんな面倒くさいことを各家庭でやるわけはない。

 

 

1539話 本の話 第23回

 

 『ポケット版 台湾グルメ350品! 食べ歩き事典』(光瀬憲子) その3

 

 この本にでてくる料理にまつわる思い出や感想や雑学を書き出してみよう。見出し語の中国語の料理名・その発音のカタカナ表記・日本語訳は、この本の表記をそのまま採用する。

虱目魚(スームーユージュウ、サバヒー粥)・・・サバヒーはサバヒー科の魚で英語ではミルクフィッシュという。日本人には馴染みがないが、台湾やフィリピンではもっとも愛されている魚といってもいいだろうという話は、旅行記で散々読んでいて、いつか食べてみようと思っていたが、その機会はなかなか来なかった。

 ある年のこと、フィリピンで食べた。タガログ語でbangusといい、シニガンというスープにしてもらったのだが、身が柔らかく、小骨が多く、うまいとは思わなかった。揚げればまだましなのだろうが、小骨が問題だ。フィリピンの、この魚の下ごしらえの動画では、15分のうち、小骨を取るのに8分もかかっている。7分過ぎから小骨取りのシーンが始まる。

 フィリピンの数年後、台湾のどこかの路上で、このサバヒーの粥を見つけて、食べた。「ああ、まずい!」という印象はフィリピンの時と同じだった。肉が柔らかく、ニシンのように小骨が多く、口の中が小骨だらけになる。碗の名かも、小骨だらけだ。日本人が食べたがらない理由がよくわかった。この本を読むと、小骨をていねいに取り除く店と、小骨をそのままにしておく店の両方があり、それぞれの粥にファンがいるらしい。

魯肉飯(ルーロウファン、煮込み細切れ肉かけご飯)・・・大好物である。日本風に言えば丼飯だが、台湾では飯茶碗で出てくる。これだけで腹いっぱいにする料理ではない。豚のバラ肉を5ミリ角ほどに切って煮込んだものが飯の上に載っているのが馴染みの姿だが、この本では、豚ひき肉を使う店もあるという。好みの問題だが、ひき肉は手抜きだと思う。

牛肉麵(ニューロウミェン、牛肉入りスープ麺)・・・戦後、国民党軍とともに中国から台湾にもたらされた料理のひとつ。そういう料理はいくらでもあるのに、この料理は私には政治的に思えてならない。国民党の中国に対するラブレターのようで、台北市牛肉麺祭りなどを企画し、「これぞ、台湾の料理!」と盛り上げようとしている。そういった政治の話とは別に、物は試しと食べてみると、「まずい!」と、声高らかに言いたくなった。こういう麺料理を「うまい」という日本人などいるのかと思ってネット検索したら、「台湾グルメの牛肉麺ってまずいの?まずいと言われる理由とは?」という長い文章がある。「まずいという日本人が少なくないが、うまい店もありますよ」という内容だが、試してみたい気はしない。

蚵仔煎(オアジェン、牡蛎の卵とじ)・・・「カキのもんじゃ風卵入り」と解説したくなる料理。お好み焼きやオムレツなどとは違って、たっぷりの水で溶いた澱粉を使うからぶよぶよだ。この澱粉を、この本では片栗粉としているが、それならジャガイモの粉ということになる。ある日本語のレシピでは「地瓜粉」と書いていながら「タピオカ」という説明をつけている。キャッサバ澱粉の中国語は「木薯粉」で、地爪粉はサツマイモの粉だ。肉圓(台湾語読みで、バーワン)という透明な団子も、この本では片栗粉を使うとあるが、これも地爪粉ではないかと思う。ただし、店によっていろいろな粉を使っている可能性はある。

 このオアジェンは、タイのオースワンとほとんど同じものだが、タイでは油で泳がせるほど油を使うので、このオアジェンの方が好みだ。ただ、「小麦粉なら、もっとうまいのになあ」といつも思う。

 

 

1538話 本の話 第22回

 

 『ポケット版 台湾グルメ350品! 食べ歩き事典』(光瀬憲子) その2

 

 幸せなことに、食文化の本を数多く書いている民族学者の石毛直道さんと雑談をする機会が、いままで何度もある。あるときこんな質問をした。

 「食べ物だけを判断基準に、ある国で1年暮らすとすれば、どこが最高の国になりますか?」

 石毛さんは2秒ほど目が宙を泳ぎ、首を傾げ、そして「台湾ですね」と静かに、そしてにこやかに言った。この質問を考えたとき、私の回答は「台湾だな」と思っていたから、「おお、同じだ」と喜び、台湾の食べ物のすばらしさを語りあった。実は、食文化の研究者たちが集まる場でも、「どこの店の、何がうまい」という話はほとんど出ない。食文化の雑談はしても、テレビや雑誌などでよく取り上げられる「グルメ話」はまずしない。石毛さんとも、アフリカの腸の内容物入り料理の話に始まり、塩なしで生活している民族とか、世界の人々の食べ方の話とか日本食文化史といった話をしていただいたが、「うまい物」の話をしたのは、考えてみれば、台湾の食生活の話をしたこの時だけだ。

 台湾の料理はうまいというだけでなく、屋台が多く、料理名が読める、全体の物価に比べて食費が安いなどいいことずくめだ。そういう台湾の外食料理をチェックしたくて、この文庫『ポケット版 台湾グルメ350品! 食べ歩き事典』を買った。

 光瀬憲子さんは台湾の本を数多く書いていて、そのうち何点かは読んでいる。食べ歩きガイドは、「まあ、その・・・」といったところで、酷評する気はないが絶賛するほどではないという内容だったが、この『台湾グルメ350品!』は、少なくとも努力賞には入る。この本を読むと、台湾の外食事情のいったんはある程度わかる。ヨーロッパのたいていの国なら、1国で350品も紹介すれば底をつくだろうが、台湾は「まだ、ほんの一部だけの紹介」という程度でしかない。

 紹介している350品の中には、知っている料理も知らない料理ももちろんある。ややこしい話を始めると、「知らない」と思う料理にも、「見たことがある料理」はいくらでもありうる。私が大好きな台湾の飲食施設はじつは屋台ではなく、自助餐だ。自助餐(じじょさん、ズージューツァン)とは、カフェテリア方式、あるいは自分で好きなおかずを好きなだけ取り料金を払うセルフサービスの店のことで、都市部にある。こういう方式の菜食主義者用食堂もある。店によって十数品から数十品もの料理が並んでいるから、見ていても覚えていない料理はいくらでもある。また、知っている料理でも、食べたことがない料理もかなりある。たんに食べる機会を逸しているだけというのもあるし、まずそうだから食べないという料理もある。

 この本で紹介している350品のなかから、何か書きたいことがある料理を、これからいくつか取り上げてみよう。

 料理や食材の姿を見たい人は、各自画像検索をしてください。考えてみれば、時代が変わったとつくづく思う。昔は、中国語の料理名をパソコンで入力するのはえらく面倒だったが、今の、この原稿に関して言えば、キーワードを入れると、台湾食べ歩き情報が出てきて、その料理名をコピペすれば、この原稿の見出し語になる。見慣れぬ漢字をいちいち探す手間が省けるうえに、情報の確認もできる。

 個々の食べ物に関しては、次回から書いていく。お楽しみに。

 

 ネット遊びをしていたら、今年の夏ごろには、慶応大学出版会から『食卓の上の韓国史(仮)』(周永河、丁田隆訳)が出るらしい。周氏の論文はネット上で2編読んだが、おもしろい。この翻訳書は、さぞかし高いだろうな。部分執筆ではすでに『中国料理と近現代日本:食と嗜好の文化交流史』が出ている。この本は1部を読んだだけで、周氏の部分はまだ読んでいない。この本が5720円だから、韓国食文化の本もそれくらいするんだろうな。う~む。原稿料にならない文章ばかり書いているからなあ。『中国くいしんぼう辞典』も3300円で、まだ手が出ない。

 

1537話 本の話 第21回

 

 『ポケット版 台湾グルメ350品! 食べ歩き事典』(光瀬憲子) その1

 

 漠然とした話だが、食べ物関連の本はふたつに分けられるような気がする。実用書と非実用書だ。実用書は調理法紹介書と料理店紹介書のふたつに分けられるような気がする。それぞれの境界は明確ではないから、池波正太郎の食べ物エッセイは文学であると同時に、ガイドブックと考える人もいて、それでいい。学問的に言えば、民族学社会学や植物学や建築学などで扱う分野が非実用書だ。

 日本人が外国の食べ物について書く場合、1980年代あたりまで多くは「お料理本」だった。例えば、日本でどうすればイタリア料理を作ることができるかという本も、プロ用が主流の時代から、アマチュア用に変わってきて、扱う料理もヨーロッパ料理中心からアジア料理も入るようになった。1990年代の、エスニック料理ブーム以後のことだ。

 外国で料理を学んだ日本人が教える料理の本の次に登場した実用書は、食べ歩きガイドと料理図鑑だ。日本人が安価で自由に外国旅行ができるようになり、あるいは仕事や留学などで外国に長期間滞在する人が増えた結果の産物だ。料理図鑑があれば、その国ではどういう料理を食べることができるのかという予習ができて、しかも現実のレストランで、「これ」と指をさすだけで注文できる。そういう便利な本だ。

 タイの料理に関しては、そういうジャンルの本を何冊か持っている。もっとも古いのは、『地球の歩き方203 旅のグルメ タイ』(戸田杏子・佐藤彰、ダイヤモンド社、1991)だろう。この本はタイのレストランとそこの料理をタイ語の料理名とともに図鑑にしたものだが、それとは別に資料的価値がある。1991年時点の日本のタイ料理店事情もわかることだ。著者ふたりは、1990年に『タイ 楽しみ図鑑』(新潮社・とんぼの本)を出している。

 ほかには、『タイの屋台図鑑』(岡本麻里、情報センター出版局、2002)や『バンコク「そうざい屋台」食べつくし』(下関崇子アスペクト、2009)などがある。それぞれの本は、料理写真にタイ語の料理名にそのカタカナ表記、そして説明がついている。そして、ほかの国のこの手の本も英語の本も含めて、書き手のほとんどが女だという特徴がある。かなりの自信を持って言えるが、こういう料理図鑑は男のライターにはまず書けない。皆無とは言わないが、取材執筆できる男はとても少ないだろう。ガイドブックを作ってきた天下のクラマエ師はもちろん、長年「地球の歩き方」の取材執筆をしている前原利行さんも、「めんどくせ~」と言って、手を付ける気はないだろう。もちろん、私だってこんな大変な仕事は絶対にやらない。雑誌などのスポンサーがついて豊富な取材費があればいいが、通常は手間とカネ(自分のカネ)がかかって、しかも食べる気がしない料理も注文して撮影しないといけない。もちろん撮影すれば仕事が終了ではなく、それぞれの料理の現地語名に日本語の解説を書かないといけない。わからない調味料があれば、調べないといけない。手間がかかるわりに評価されない類の本だ。

 男でも、マニアとなればその分野の図鑑を作っているから、「図鑑作りは女の特技」と決めつけるのは正しくないが、現実の出版物では、料理の図鑑は圧倒的に女の世界だ。

 そういう大変な本の台湾料理版が、『ポケット版 台湾グルメ350品! 食べ歩き事典』(光瀬憲子 双葉文庫、2017)である。350品の料理を、ほとんどカラーで紹介している。もちろん、中国語とその読み方のカタカナ表記、そして説明がついている。

 350品を紹介しているということは、その2倍も3倍も取材しているということだ。取材のバラエティーを考えて食事をして、その料理を撮影する。インスタグラムなら撮影しただけで終わりだが、プロは料理のメモも書いておく。実は、私もタイに住んでいた時は、毎食そういう作業をしていたから、部屋を1歩でも出るときはバッグにカメラとストロボを入れていた。路上で偶然出会う料理を撮影しておくためだが、まあ、神経がくたびれる。

 私は台湾料理600品の図鑑でも読みたいが、定価が3000円だったら買わない。この文庫は、著者と版元の出血大サービス本ということか。1000円をはるかに超える文庫も少なくない昨今、全ページの7割くらいがカラーで684円は安い。「これは、売れるぞ!」と版元は判断したのだろう。売れてくれれば、ほかの国の料理図鑑も期待できるから、販売に協力したい。

 

1536話 本の話 第20回

 

 『おにぎりの文化史』(横浜市歴史博物館) その2

 

 インディカ米はパサパサパラパラだから、握れないという解説は間違いだ。インディカ米にもウルチとモチがあり、インディカでもモチ種を使えば、おにぎりができる。タイ東北部にカーオ・チーという焼きおにぎりがある。文字通り訳すと「飯・焼く」だから、日本の「焼き飯」よりも正しい表現だ。もち米の飯を円盤状にして、網で焼く。あるいは、丸くしたり、五平餅風に小判状もある。炭火で焼きながら、ときどきカピ(小エビの発酵ペースト)を混ぜた溶きタマゴを表面に塗りながら、焼いていく。香ばしく、うまい。もしかすると、この食べ物を日本で最初に紹介したのは私かもしれないが、どの本に書いたのか思いだせない。路上で見かけた料理だから、特別珍しいわけではない。このサイトでは、「カオジー」として紹介されている。ほかにも、ネット上にいくらでも画像がある。

 「インディカ米はサパサパラパラ」と言われ続けているが、「ウルチ米が」と限定しても、それもちょっと違う。日本人が好きなもっちりしたコメと比べればたしかにパラパラなのだが、タイを例にすれば、タイ人に人気のカーオ・ホン・マリ(ジャスミン米)という高級品種のコメを炊飯器で炊くと、ふっくらしていて、パラパラではない。「タイ米はまずい」という悪評が立ったのが1993年の米騒動だったが、あのころとはコメの品質もかわり、炊飯器で炊いた飯が主流になり、タイで炊きたてのタイ米を食べれば、タイ米に対する感想もだいぶ変わると思う。

 いままで、このアジア雑語林では、外国の握り飯についてしばしばコラムを書いてきた。

 中国や朝鮮のおにぎりに関しては、621話(2014-08-21)で書いている。中国人が書いたエッセイも紹介しているから、もし「中国人はおにぎりを食べるのか?」という疑問を持って調べれば、横浜市歴史博物館のスタッフもわかったはずなのに。台湾のおにぎりの話は、しばらくあとで触れる。

 イタリアはシチリアのおにぎりについては、写真入りで1109話(2018-02-26)で紹介している。そして最近のことだが、インドとマレーシアのおにぎりの話は、1470話(2020-09-10)で書いた。わざわざ書くこともないと思って触れなかったが、東アジアや東南アジアのコンビニにはおにぎりがある。「パラパラの米だから、おにぎりはできない」という地域のコンビニのおにぎりは、日本から輸入したコメを使っているというのだろうか。今は「現地産こしひかり」というのもあるのだ。コンビニのおにぎりの歴史は浅いが、それよりもずっと古いものもある。この本の著者たちが「おにぎり」と認めるかどうかわからないが、コメをバナナの葉で包んで茹でたナシ・ロントンというものがインドネシアにある。台湾などのちまきも、竹の皮で包んだコメを蒸したり茹でたりしたものだ。

 インディカ種のウルチ米を湯取り法(ゆでて、蒸し焼きにする)で炊くと、パラパラになる。「だから、おにぎりにできない」と考えがちだが、実は、そういうコメを食べている人は、毎食飯を握っているのだ。コメを手食する人たちの食べ方をじっくり観察していれば、私の言うことがよくわかるはずだ。パラパラの飯を手で食べるにはどうするか。手食経験のない人は、飯を手ですくい、その手を口元に持っていって犬のように食べようとしがちだが、そんな食べ方をすればその辺に米粒が散らばる。うまくたべるには、飯に汁などで湿り気を与えてこねて、小さめのすし1個分くらいに握り、そのかたまりを右手親指ではじくようにして口に放り込む。こうすれば、うまく口に入る。つまり、ひと口ごとに、おにぎりを作っているのだ。

 パラパラの飯を食べている人たちは、カレーのように汁をかけて食べる。汁がない場合は、水を振りかけることもある。モチ米を主食にしているタイ北部・東北部やラオスの人たちは、汁かけ飯にはしないが、ひと口大に握った飯に煮汁や炒め物などの汁をつけて口に運ぶことがある。ここでも、ひと口ごとに、飯を握っているのである。

 ということは、手で米の飯を食べている人たちは、いつも飯を握っているということになる。南・東南アジアの食文化を少しでも知っていれば、飯を握るのは日本人だけという本は書かなかったはずだ。握り飯の種類に関しても、食べられている量に関しても、日本は抜きんでているのだが、だからと言って、日本の事情だけを調べていればいいというわけではない。世界的な視野がないというあたりが、日本史や民俗学研究者の弱いところだ。もちろん、広い視野を持った学者も少なからずいるから、『食の考古学』(佐原真、東京大学出版会、1996)を注文した。

 

1535話 本の話 第19回

 

 『おにぎりの文化史』(横浜市歴史博物館) その1

 

 インターネットで『おにぎりの文化史』横浜市歴史博物館河出書房新社、2019)を見つけたのだが、詳しい内容がわからない。アマゾンでも「目次」が載っていない。大型書店で調べに行くというご時世ではないので、「そのうち、書評などで詳しい内容がわかるだろう」と時間稼ぎをしていたのだが、待ちきれなくてネット書店で買ってしまった。ちょっと魅力的なブックデザインだということも、購入の推進力になった。この本は、2014年秋に横浜歴史博物館で開催された「大おにぎり展」の展示図録を再構成したものだとわかった。

 本を手に入れてわかったのは、この本は日本人のコメの料理史に「おにぎり」をおまけに付け足したというものだとわかった。つまり、「おにぎり大全」ではないのだ。

 私が知りたかったのは、「おにぎりの世界と世界のおにぎり」なのだ。日本の「おにぎりの世界」は類書があるし、ある程度はすでに知っているのだが、さて、「外国では?」となると、どうなのかという興味でこの本を読むと、「なんだよ!」となった。「大おにぎり展」の企画段階で、外国のおにぎりは視野に入っていなかったらしい。書き手が、コメそのものとアジアのコメ食事情についてほとんど知らないらしいとわかった。ある物事に対して、「これぞ、日本独自の文化」だの「ニッポンの特有の文化万歳!」といった昨今のテレビ番組のテーマのような企画にむなしいものを感じているので、この本を批判的に読むようになってしまった。

 このアジア雑語林では珍しいことではないが、ああ、またしても、博士たちが書いた本を,一介のライターが批判するコラムになりそうだ。

 アジアのおにぎりに関して、小林正史(北陸大学)氏の論文を参考にして、「おにぎりを食べる伝統があるのは、もち米文化圏である東北タイ・北タイ・ラオス雲南地域だけだという」と報告を紹介している。小林氏の研究はおもしろそうで、ネットで読める論文には目を通した。

 上記地域以外にはおにぎりがない理由を、小林氏は2点あげているそうだ。「南アジアや東南アジアの大部分で食べられている粘り気が弱いコメ(インディカや熱帯ジャポニカのウルチ米)は、パサパサした炊き上がりで、おにぎりにまとめることができない。中国や朝鮮半島、東南アジアの一部では粘り気が比較的強いコメを食べているが、冷えた米飯を食べる習慣がない」からだとしている。

 そういう記述はあるものの、この本を読んでいると、書き手はコメの基礎とその料理法の広がりに、知識も興味もないようなのだ。このコラムで何度も書いているが、コメは大きく分けてインディカとジャポニカに大別できて、それぞれにウルチ種とモチ種がある。かつて「ジャバニカ(Javanica)」と呼んでいたコメは、今は「熱帯ジャポニカ」としている。したがって、「インディカだから、パサパサ」という説明はモチ種もあるから正確ではない。

 86~87ページに、「いろいろな炊飯の方法」を紹介している。「湯取り法(焚き上げる)」にこういう解説がついている。

 「コメをゆでる方法である。ゆで汁を捨ててから、さらに熱を加えて炊き上げる。現在の東南アジアでは、おたまですくって湯を捨てる湯取り法が行われている」

 おたまを使う炊き方を、私は知らない。家庭ではそんなチマチマした方法で湯を捨てるのだろうか。そんな方法では時間がかかるし、水分が残りすぎる。「現在の東南アジアでは、炊飯器を使うことが多いから、日本と同じように湯を捨てない炊き干し法が普通になっている」なら,正解なのに。89~90ページの解説は意味不明なので、引用しない。

 冷えた米飯を食べる習慣がないという説明は正しいようでいて、歴史的に見て、正しくない。保温機能付き炊飯器やガス調理器がある時代で、食事はいつも自宅で食べるということになっていれば、いつも暖かい飯を食べることはできる。毎食ごとに炊飯するなら、いつもあたたかい飯にありつけるが、そんな面倒なことを人々はいつもしていたのか? しかも、野良仕事も山仕事もある。火がいつもすぐに使えるわけではない。「冷や飯は嫌だ」といえば、すぐに暖かい飯にありつけた人は、そう多くないと私は思っている。

 長くなりそうなので、外国のおにぎりの話は次回に。