64話 渋いのが好き


  タイ料理を初めて食べた人は、まずその辛さが印象に残る。そのまましばらく食べ続けていると、酸味も印象に残るだろう。タイ人が麺類に砂糖を入れているの を見て、甘さも重要な要素なんだと気がつくかもしれない。こうした体験をもとに、「タイ料理とは、辛さと酸味と甘さのハーモニーである」などと結論を出す ことになるのだが、タイ人が好む味はそれでおしまいではない。
 外国人向けのレストランで食事をしているだけだとなかなかわからないのだが、タイ人は渋みや苦みも大好きなのである。もっともありふれた渋みといえば、 パッタイ(タイ風焼きそば)についてくるバナナのつぼみだ。細く切ったつぼみを、そのまま生でかじる。味つけは、しない。加熱もしない。だから、舌がしび れるほどの渋さが、より強調される。
 もっと渋い植物を食べたことがある。
 市場巡りはまず全体像を知ることから始めたのだが、だんだん通い慣れてくると、いままで見たことがないものを探すようになる。そんなものを見つけると、 写真に撮り、名前をたずね、あとでタイ語辞典と事典や図鑑などで正体を調べる。すでに料理してあるものなら、買う。量が多そうだと思うときには、コインを 数枚渡して、ほんのひと口分だけもらって味見することもある。
 タイ南部の市場で、その植物を見つけた。木の新芽のような植物で、ザルに広げて売っていた。それまで見た記憶がなかったから、食べてみたかった。ひと束買うには多すぎるから、「ちょっと食べさせて」とお願いした。
「いいよ」と言ってくれたので、葉をちょっとちぎって、口に入れた。「うっ」とうなった。とんでもない渋さだ。山菜をそのまま食べても、これほど渋いとい うことはないだろうと思えるほど渋かった。その植物の名前をたずねると、「サダオ」といった。タイとマレーシアの国境の街サダオと同じ名前らしい。ほかに も渋い植物がいくらでもあり、タイ人はそういう植物を好んで食べている。
 サダオは英語名neem tree(Azadirachta indica)というセンダン科の植物で、インドではハブラシ代わりに、この枝で歯を磨くそうだ。
 サダオのあまりの渋さが強く印象に残り、以来「タイ人と渋さ」について興味を持っているものの、その研究を本格的に始めてはいないのだが、先日、専門的に研究している人の発表を聞いた。
 「アジアにおける苦味食文化の系譜に関する民族植物学」というタイトルで、発表者は井上直人さん(信州大学教授)。調査地はおもに雲南だが、タイと重な ることが多い。井上さんの研究発表を聞いていて気がついたのは、苦い(あるいは渋い)食品を好む人が多く住む地域は、野菜(ハーブ、山菜、野草)を生で食 べる地域と重なるのではないかという仮説だ。タイとその周辺国の食文化の特徴のひとつは、野菜を生でよく食べるということで、これはマレー世界やフィリピ ン、インド亜大陸と違うところだ。インドでも生野菜を食べないわけではないが、野菜の種類と量がインドシナ半島大陸部とは桁違いだ。
 というわけで、この方面の研究は非常に興味深い。