792話 インドシナ・思いつき散歩  第41回


 路上の茶店


 ハノイを散歩していてうれしいのは、茶店を見つけたときだ。路上の喫茶店も好きだが、ここでいう茶店とは、路上でお茶だけを売る店だ。低い台を前におばちゃんかおばあちゃんが座り、台に大きめのアルミのやかんが置いてある。その近くに、低い椅子にしゃがむように座り、黄色い液体が入ったガラスコップを手にしている。そういう店が、私の言う茶店だ。
 ベトナムは、日本同様、中国の影響を古くから受けているので、日本と同じように茶との付き合いは長いのだろうと思っていた。朝鮮にも茶が伝わったのだが、李朝時代に儒教が国教になり仏教が弾圧された。そのせいで、茶を飲む習慣も廃れた。したがって、中国と日本とベトナムの3国が、世界的に見ても茶との付き合いが非常に長いのだろうと想像していたのだが、これは大変な誤解だった。あとで紹介する論文によれば、ベトナム人が茶を飲むようになったのは、第二次大戦後らしい。それ以前から山間部で茶の栽培はしていたが、フランスへの輸出用だったらしい。
 路上の店が、初めから茶店だとわかっていたわけではない。路上で見かける飲み物屋で商っているのは何だろうという疑問があった。黄色い液体だ。私の経験では、この液体にもっとも似ているのは、菊花茶だ。その名の通り、菊の花を入れた茶で、ジャスミンを入れたジャスミン茶などと同じ仲間の花茶だ。菊花茶はタイなど東南アジアで飲んだことがある。甘くしたお茶だ。
 路上の店を見つけて、空いている椅子に座り、隣りに座っている男が手にしているコップを指さして、注文した。すぐに氷入りの液体がでてきた。お茶だ。甘みなし。茶以外の香りなし。花茶ではない。プーアール茶のように、茶そのものに臭気のある茶ではない。この黄色は、ペットボトルの日本茶にそっくりだ。味と香りは、いくつものメーカーが出している「濃い茶」に似ていて、かなり渋い緑茶だ。渋茶好きの私は、すぐに気に入った。甘くないのがいい。ベトナムでもペットボトル入りのお茶を売っていて、日本メーカーの製品だが、たっぷり砂糖が入っているアジア仕様だ。露店や食堂のお茶は甘くないが、ペットボトルのお茶は砂糖入りで甘い。
 茶店の作業工程を観察した。やかんに湯を沸かす。魔法瓶の湯を注ぐこともある。茶葉を入れる。客が来ると、コップに茶をちょっと注ぎ、水で薄める。茶がまだ暑い上に濃いので、ちょういい温度と濃さに調節するのだ。そして、氷をいれて、できあがり。そう、アイスティーが標準らしい。寒い季節になると、当然熱いお茶を出すだろうが、私がいた季節はまだ冬にはなっていなかったので、皆、冷たいお茶を飲んでいた。食堂でお茶を注文すると、「熱いのですか、冷たいのですか?」と聞かれる。「熱いのを」といえば、コップに熱く渋いお茶を入れてくる。東南アジアの食堂で、熱いお茶が飲める土地は多くない。
 長坂康代氏による、ハノイ茶店に関する論文を読むと、緑茶を飲む習慣はハノイを中心とするベトナム北部の習慣らしい。この2編は一部内容が重複するが、実に興味深い。私好みのすばらしい論文だ。
http://www.asahigroup-foundation.com/academic/support/pdf/report/2008/10.pdf
http://www.kyoto-bhutan.org/pdf/Himalayan/015/Himalayan-15-194.pdf
 東南アジアでは、19世紀になって、中国からの移民が茶をもってやってきた。しかし、茶を飲む習慣はほぼ中国系住民だけの習慣で、広く飲まれることはなかった。中国の茶よりも、イギリスがかかわる紅茶や、たぶんフランスがかかわるコーヒーの方が非中国系住民に受け入れられた。
 例外がビルマかもしれない。ビルマには茶店がある。丸いテーブルの中央に、急須に入ったお茶と湯飲みが置いてある。その周りには、甘いパンやスナックなどが置いてあり、客は食べた物の料金を払う。茶はタダだ。これが中国系茶店だ。
 中国系と並んで、インド系茶店というのもある。インド式の甘いミルクテーを出す店だ。タイ北部では、喫茶店でコーヒーを注文すると、コップに甘くないお茶も一緒に出してくれる。アジアと茶に関する本は何冊かあるが、おもに産地の事情紹介で、消費地の話はあまり出てこない。茶を、品質の優劣で見ることしかできないからだろう。路上で茶を飲む人たちの姿は、茶やコーヒー研究者には見えない。