156話 世界の吉野家


 海外の吉野家についてちょっと調べたいことがあって、吉野家のホームページに当たったら、これがおもしろい。外国の吉野家全リストがある。
 アメリカにはニューヨークとカリフォルニア州各地にあるが、最初の海外支店となったデンバー店がなくなっていることに気がついた。あいまいな記憶だが、 牛肉を手に入れるために、牧場に近いデンバーに第一号店を作ったという話を耳にして、デンバーに行ったついでにその店を覗いてみたことがある。1980年 のことだ。住所などは知らないから、ただぶらぶらと町を歩いていて偶然みつけた。お茶が出ないこと以外、日本とまったく同じシステムと味と食器で営業して いるその店で牛丼を食べながら、ちょっと食文化の観察をした。店を出て、食後の散歩をしていたら、歩道の向こうから歩いてきた男たち数人が私に向かって、
 Hey,where is a beefbowl?
 と聞いてきた。「ビーフボウル」というのは、牛丼の英語名だということは、ほんのちょっと前に、吉野家で知ったことなのだが、散歩をしている私を見て、 いきなり「ビーフボウル」はないだろうと思うが、吉野家の所在地をちゃんと知っているのだから、私に声をかけたのは大正解というわけで、複雑な気持ちだっ た。 
 現在の海外店は、国や地域でいえば、アメリカのほか、中国、台湾、香港、フィリピン、マレーシア、シンガポール、オーストラリアで、なかでも中国がすご い、北京市だけで43店もある。中国では、北京や上海といった大都市だけではなく、なぜか内蒙古自治区にも支店がある。ちなみに、台湾全土で40店、香港 には29店ある。
 吉野家のHPには、各国独自の商品が値段とともに写真で紹介しているので、食文化研究の資料になる。香港には「東坡肉飯」(豚バラ肉の蒸し物)などがある。詳しく知りたい人は、直接HPを読んで欲しい。
 さて、そもそも海外の吉野家について調べたくなったきっかけは、日本で勉強している韓国人留学生たちとの雑談だった。彼女たちと、「もし、ソウルで日本 の食べ物屋をやるとしたら、何を商えば成功の可能性が大きいか」というテーマで、語り合った。留学生をAさん、Bさんとして、その世間話を再現してみよ う。

A 「私、いまスープカレーにはまっているの。韓国でスープカレーの店を出したら、きっとうまくいくと思うんだけどな」
B 「スープカレーはクセがあるから、一般受けはしないと思うな。普通のカレーショップは、うん、どうかなあ。だめかもしれない」
A 「だめな分野を考えるとね、立ち食いソバのたぐい。立って食べるのは、韓国じゃだめ。それから、吉野家もだめ」
前川 「それは味?」
B 「味もダメだと思う。私、日本で食べたけどダメだった。でも、味よりもダメなのは、ひとりで食べるっていうこと。カウンター席は、韓国じゃダメなんで すよ。屋台なら、ひとりでもいい。けど、食堂とかレストランで、ひとりで食べるってのはダメ。向かい合って食事をしたいから、カウンターで並んで食べる吉 野家みたいな店は、韓国じゃだめなんです」

 などと、まずは否定的な部分から話を始め、「これがいい」「あれがいい」と話が盛り上がっていったのだが、それはまた別の機会に。話したいのは、このことではない。
 じつは、1997年にソウルとバンコク吉野家が次々に店を開き、そして次々に閉店してしまったという過去がある。その当時、私は食文化の問題が大きい と考えてきたのだが、中国・台湾・香港でも、シンガポールでも大成功していることを考えると、食文化の問題よりもむしろ、合弁先の現地企業の問題だろうと 思うのである。食文化の問題があるにしろ、そんなものは企業の力(カネの力)でどうにでもなるものだというのが、正解ではないかと思うようになった。
 昔風の考えでは、中国人は「冷や飯は食わない」と思われていたが、中国のコンビニでは弁当が売れている。中国人は「農作業を手助けしてくれるから」とい う理由で、牛肉はほとんど食べなかったが、いまはしゃぶしゃぶだろうがステーキだろうが、牛丼だろうが食べるようになってきた。上海などの大都会の話だ が、中国人がおにぎりを食べながら、日本茶を飲むという時代なのだ。
 もう30年も前になるが、台北のインテリがこんなことを私に語った。「台湾には安くてうまいものがいくらでもあるんですから、ハンバーガーなんて、流行りません。あんなものは、アメリカかぶれの日本人が喜んで食べているだけです」
 その後数年して、マクドナルドが登場し、成功している。
 考えてみれば、「生の魚を食べるのは日本人だけ」だと、日本人が考えていた数十年前、すしや刺身を初めとする日本料理が外国でもてはやされるようになる と想像した日本人はほとんどいない。外国の日本料理店は、日本人及び日系人相手の店だと考えられていた。外国人が、生魚をいかに嫌うかをよく知っているイ ンテリ、なかでも食文化の知識が深ければ深いほど、「日本料理は海外では到底受け入れられないものだ」と確信していた。日本のお茶を、外国人も飲むように なるなどと誰が想像したか。
 あるいは、「日本人は辛いものが苦手で、ほとんど食べられません」というのは、日本人客を扱う旅行社の常識で、だから、旅行中の食事には辛いものは避け るというのが常識だった。その日本に、タイ料理店や韓国料理店が数多くあり、けっこう繁盛しているのである。現代の日本人は、「魚なしでは生きていけな い」人よりも、「肉なしでは生きていけない」人の方が多くなったと思う。
 最近の食文化の変容は、学者の想像力を超えている。だから、食文化の知識をあたかも万古不変の「公式」として信じないようにしようと、自戒している。