214話 昆虫を食べる本を読んでいて思い出した、いくつかのこと


 すでに何冊も読んだというのに、また、昆虫食の本を買ってしまった。
 本棚を見れば、昆虫食を真正面から扱っているこんな本の背が見える。
 『虫の味』(修永哲・林晃史、八坂書房、1996年)
 『虫を食べる人々』(三橋淳編、平凡社、1997年)
 『虫を食べる文化誌』(梅谷献二、創森社、2004年)
 このほか、昆虫食も一部では扱っているという本も加えれば、あと数冊増える。だからと いって、私が昆虫を大好きなわけではないし、ましてや昆虫を食べるのが好きなわけではない。いままでに、タイで何種類かの昆虫を口にしたことはあるが、自 分から進んで注文したことはない。路上の店で買ったこともない。アジアの食文化資料として、昆虫食の本を買ったのである。食べられるが、好んで食べたいわ けではない。
 今度買ったのは、『虫食む人々の暮らし』(野中健一、NHKブックス、2007年)だ。上に書き出した従来の本が、どちらかといえば、虫そのものに重点 を置いているのに対して、今度買った本は、虫を食べている人に重点を置いている。だから、食べられている昆虫の詳しい紹介はない。
 『虫食む人々の暮らし』を読んでいて、虫に関するさまざまな思い出がよみがえってきた。この本は、アフリカの昆虫食から話が始まる。いままで、「昆虫食」といえば、どうしてもインドシナ中心に紹介されてきたが、アフリカでも昆虫は食べる。
 食べものがとても少ないウガンダの市場で、干したイモムシが山にして売られていたのを思い出した。そのままでは食べられないから買わなかったが、イモムシとイモくらいしかない市場だった。
 そういえば、虫が出てくる小説を読んだことがある。あれは、カメルーンの作家モンゴ・ベティの英語訳版「ミッション・トゥ・カラ」だったか、あるいは東 アフリカの小説だったか、はっきりと記憶がない。なにしろ、ケニアでアフリカの小説を読んでいた25年以上前のことだから、記憶があいまいだ。
 こういうシーンだった。突然、村にバッタが襲ってくる。しばしば「イナゴ」だと誤って説明されるが、群れとなって飛来してくるのは、バッタである。バッタの大軍がやってきて、せっかく育てた作物が全滅するという悲劇的結末を予感したが、違った。
 大騒ぎする村人。草を燃やして、バッタを防ぐのだろうかと思い、読み進んでいくと、村人は食べものが飛んできたことに、大喜びしているのだ。バッタが食 べられることに、喜んでいたのだ。この描写で、アフリカ人も虫を食べることを初めて知った。ウガンダの市場で、干した虫を見たのはその小説を読んだ後のこ とだ。
 『虫食む人々・・・』に、ツムギアリの話が出てくる。噛まれると七転八倒するほど痛いアリだが、噛まれたことは一度、食べたことは数回ある。
 2回目か3回目にツムギアリを食べたのは、チャンマイだった。テレビの取材でタイを旅行していたときだ。チェンマイ担当のコーディネーターとの夕食が、 昆虫づくしだった。昆虫の取材にきたわけではない。日本から来た取材チームを驚かせようという、タイ人たちのいたずらだったのだが、お生憎さま、ディレク ターもカメラマンも私も、昆虫の料理を目にしてもびっくりなどしない。タイで何度も体験済みだから、平然と、バクバクと口に運ぶ。お笑い芸人のように「辛 い!」といって、飛び跳ねることもしない。このときの料理の1品が、ツムギアリ入りのスープだったことは覚えている。あとの料理は忘れた。
 ちょうど同じ頃、のちに『タイの日常茶飯』 (弘文堂)としてまとまるタイ食文化の本の取材を続けていて、タイのどこかの本屋で買ったのがイサーン料理の教科書だ。イサーンの本屋だったか、あるいは チュラロンコーン大学の書店だったか、まるで覚えていない。そのタイ語の本は『タムラップ・アーハーン・イサーン』(イサーン料理教書)といい、著者はペ ンチット・ヨシダという。おそらく、吉田さんと結婚したタイ人だと思うが、著者に関する情報はない。
 この本は料理のテキストだが、タイプ印刷したような体裁で、写真は一枚もない。イサーン料理の教科書というよりも、むしろ伝統的イサーン料理の記録簿と いう側面のほうが強いような気がする。というのは、ヘビやカエル、そしてコウモリや昆虫の料理などもちゃんと紹介してあるからだ。実用的な料理本というよ りも、イサーンの料理を後世の為に書き残した本のような気がする。
 民族誌として、この本を誰か翻訳出版してくれないかなあ。辞書を引きながら読むのは、面倒だ。めこんさん、どうです。