413話 中国・家庭料理の現代史 

 芥川賞を受賞した中国人作家、楊逸(ヤン・イー)が書いた『おいしい中国 「酸甜苦辣」の大陸』(文藝春秋)が発売されたのは2010年だが、私がこの本を知ったのは翌11年だった。ちょっと大きい書店ならまだ置いているだろうと思って、書店の棚を探したのだが見つからない。近くにいた若い店員に書名を告げると、「はい、少々お待ちください」といって、駆け出した。食べ物関連の棚か、女性の書き手によるエッセイの棚にあるだろうと思ったのだが、どうやら「外国事情」の棚に収まっていたらしい。
 「はい、これです」と、走って来た若き女性店員は、フーフーと息を吐きながら本を差し出した。おお新人、がんばっているな。本を見て、買う価値があるのかどうか確かめたくて自分で探していたのだが、こうやって本を差し出されると、ちょっと内容を点検し、「はい、どうも」と言って、その本を返すわけにはいかなくなる。私は小心者だ。
 ちょっと見栄をはり、本をレジに持っていった。小説を読まないから、彼女の小説も読んだことがない。予備知識も先入観もない。
帰宅して、すぐ読んだ。予想していたよりも、はるかにおもしろい。出来が良い。普段、旅行記や異文化衝突体験記など、素人やセミプロが書いた文章を読むことが多い我が身にとって、読者に負担をかけない文章はありがたい。コンビニ弁当ばかり食べていた者が、小料理屋でまともな料理を食べた感動に近い。
 読んですぐにこの本を紹介しようと思っていたが、ついつい忘れてしまい、時がたち、つい今しがた、「よし、今日だ」と思いついたら、肝心の本が見つからない。中国棚にも、食文化棚にも、見当たらない。本の山に埋もれ、我が家で行方不明になっている。
 捜索隊を編成して発見に努力すれば、数時間くらいで見つかるだろうが、そこまでして探すのが面倒だから、記憶で書く。アマゾンなら、「なか見!検索」で、なかのページが見られるので、目次や文章や写真は、そちらで見てください。著者自身による写真も、情緒があっていい。
 「中国人作家が、いままで食べたものについて書いたエッセイ」というのが私の予想で、たしかにそれで間違いではないのだが、文章はもっと深く、自分の家族と中国の現代史にまで筆は伸びる。それをひとことで言えば、食べてきた話だけでなく、食べられなかった時代から話が始まり、食と自分と家族と中国の自叙伝になっている。
 もしも日本人作家が、食べ物がなかった時代から筆をおこすとすれば、1930年代生まれになるだろうが、1964年生まれの著者は、中国の貧しい時代を体験している。それが、しだいに住む場所が家らしくなり、食べ物らしいものを口にできるようになっていく歴史がつづられている。
 というわけで、気になる人は現物をお読みください。古書なら安く手に入るようになっている。その国の人が、その国の現代史と食を巡るエッセイがシリーズとなり、各国編が出たらいいなあとは思うが、書き手の技量を考えると、韓国編を除けば実現する可能性はかなり低そうだ。韓国のテレビ局が制作した紀行番組を見ていると、農村に住む50代の人たちが、「昔は、食い物がなかったよなあ。米が食えずに、毎日イモだったなあ」と言っているのを聞くと、韓国人が語る戦後の食生活個人史というのも読んでみたい。韓国語の本なら、すでにあるだろう。