1554話 本の話 第38回

 

『きょうの肴なに食べよう?』(クォン・ヨソン著、丁海玉訳、KADOKAWA、2020)を読む その1

 

 韓国人が書いた食文化研究書は何冊かある。研究書ではなく、エッセイとなると、それほど多くない。この分野で次々と本を出しているのが日本語で書いている鄭銀淑(チョン・ウンスク)で、彼女の本はすべて読んでいる。そのなかで「すごいぞ、これ!」と思ったのが、『マッコルリの旅』東洋経済新報社、2007)だ。マッコルリは、日本で通常「マッコリ」と呼んでいる酒で、韓国全土を飲みまくる紀行文であると同時に、マッコリの雑学も載っている。私は酒を飲まないので知らなかったのだが、小麦粉を原料にしたマッコリもあることや、酒場で有料なのは酒だけで、酒を注文すると、肴は次々にタダで出てくるのが習慣だという話も出てくる。

 私が知らないだけだと思うのだが、韓国人が書いた食エッセイの翻訳書にはなかなか出会わなかった。韓国ドラマではユン・ドゥジュン主演の「ゴハン行こうよ」のシリーズ3本など何作もあるのだが、出版物は出会わなかった。

 先日、アマゾン遊びをしていて見つけたのが、韓国の小説家(1965年生まれ)が書いた食エッセイ『きょうの肴なに食べよう?』だ。日本なら、角田光代など、その世代の女性の小説家が書いた食エッセイもこういう感じなのだろうと想像するのだが、実はそういう食エッセイを読んだことがないので知らない世界だ。

 韓国の女性作家が書いた食エッセイを読んでいて、「やっぱり、こうなるか」と思ったことがある。例えば、亜洲奈みずほが書く台湾解説書を読んでいたら、突然かつてつきあっていた男の話になって、「おいおい、ここでその話かよ」と思ったように、この韓国人作家も昔つきあっていた男の話をしないと、食い物の話ができないのかと思った。女が書く旅行記でも、「この文章を書いていた時は、きっと恋をしていたんだろうな」と思える文章を読まされることがある。そういえば、大学講師時代に提出を求めたレポートに、「彼とベネチアを歩いていたら・・・」と、レポートのテーマとは全く関係ない文章が突然現れたことがあり、「今、それを書かずにはいられなかったのだろうな」とは思ったものの、その唐突さに驚いた。さらに、「そういえば」と思うのは、林芙美子のヨーロッパ旅行記も男に会いに行く話だった。

 女が書いた本の読者は女が多い。研究書やミステリーなどを除くと、女が書いた本に男はなかなか手を出さない。活字でもマンガでも、その傾向があるような気がする。質の問題ではなく、なじめるかどうかの問題だと思う。鄭銀淑の本を全部読んでいるのだから、「女が書いた本は初めから相手にしない」というわけではない。おもしろければ、性別に関係なく読むのだが、「歩留まりが悪い」ということはある。例えば、女が書いた紀行文で、「これは、いいぞ!」と思える作品は極めて少ない。女が自由に旅行できなかった時代の話ではなく、ここ数十年の紀行文の話だ。

 さて、本題の韓国食エッセイだ。いつものように、読んでいて傍線を引き、付箋をつけた箇所の話を書いていく。

P12・・牛肉は練炭の直火で焼いたプルコギでなければだめ

「プルコギ」を「焼肉」と翻訳する人がいるが、あれは牛肉の甘煮鍋だ。「焼肉だと思うとがっかりするが、すき焼きだと解釈すれば、甘いのは理解できる」と解説したのは森枝卓士さん。ネットで、プルコギは従来の鍋物から、最近では直火焼きが人気だという解説を読んだ。そんな調べものをやっているうちに、もう10年以上前に、プルコギについて調べたことがあったのを思い出した。本当に「焼肉」のプルコギもあるのだ。こういう時は、アジア雑語林の「検索」機能を使うと、私が書いたことはすぐわかる。書いた本人は覚えていないが、コンピューターはちゃんと記憶している。アジア雑語林の317話318話(2011―03-27&04-01)を読み直すと、プルコギが甘い煮物なのはソウル式で、直火焼きにしている地域もあるから、この小説家が子供のころ、「牛肉は練炭の直火で焼いたプルコギでなければ」食べなかったという記述も、理解できる。ソウルの事情が韓国の事情だと思い込んではいけないという教訓である。