735話 机に積んだままの本の話をちょっと その1


 アメリカの豆腐


 これから何回かにわたって、本の話を書く。どの本を取り上げようか迷ったが、あれこれ考えるよりも、机の上にのったままになって、まだ棚に収めていない本を片っ端から紹介していけば簡単と気がついた。まずは、豆腐の話から。
 1980年代半ばのことだった。ある勉強会で発表することになり、ちょっと話をした。そのあとの雑談会のようなもので、いきさつは忘れたが、アメリカの日本料理事情が話題になった。私はこういう印象を話したと思う。「アメリカ人で日本料理に興味があるというのは、カリフォルニアなどに住んでいて、禅とか空手とか仏教や自然食などに興味がある人か、在日米軍の兵士としてある程度の期間を日本で過ごした人の一部だけで、一般の人に広く普及しているとは思えません」。
 すると、まったく面識のない若い女性がこう発言した。「それは違いますよ。私は今年アメリカ留学から帰国したところですが、大学の学食に豆腐がありました。豆腐がそこまで普及しているということは、アメリカではすでに日本料理は広く普及して、親しまれている料理だということです。私は住んでいましたから、確かです」
 私は1980,84、85年と3度アメリカ本土の取材をしていて、少しは雰囲気はわかるが、住んだことはない。その元留学生の話がどうも信用できないが、証拠をあげて反論することはできないので、「そうかなあ…、違うような気がするんだけどなあ」とブツクサ言っただけだった。
 あれから30年たって、あのときの私の勘がどうやら正しかったという証拠をつかんだ。『豆腐バカ 世界に挑み続けた20年』(雲田康夫、集英社文庫、2015)の内容は、すでにテレビで紹介されたことがあり、知っていることもあったのだが、改めて読むとなかなかにおもしろい。ビジネス書として企画された本のようだが、私は食文化資料として読んだ。
 著者は、1941年生まれ。かつて森永乳業の新製品開発部サラリーマンだった当時、牛乳をスーパーで買う人が多くなり、販売店の売り上げが落ちてきたのが問題になった。そこで、牛乳販売店が配達できるような新製品を開発せよという指令が来た。この部分を読んでいて思い出したのは、つい先日のテレビニュースだ。牛乳販売店の売り上げ減に目をつけた業者がいて、互いに協力して行こうと提携を持ちかけたのが、シリアル(コーンフレイクのようなもの)が売れないので困っていた業者だ。「牛乳をかけて食べるのだから、牛乳をいっしょに家庭に配達する仕組みを作れば、共存共栄できる」とふんで、各家庭に営業を始めたという経済ニュースだった。
 話は戻って、1970年末の話だ。森永の技術で作れるのなら、乳製品でなくても売れる製品ならなんでもいいということで、79年に開発が成功したのは、森永の無菌技術を応用して包装した「10か月保存できる豆腐」だ。「保存料なし、無添加で10か月新鮮」ならば、売れないわけはないと思っていたら、売れなかった。製品に問題があったのではなく、そういう製品が出回ると、街の豆腐屋がつぶれるという理由で、販売できる場所が政治的判断で限定されてしまったのだ。販売できるのが、遠洋漁業者、富士山頂の測候所、自衛隊の艦船、南極の昭和基地などだから、「売るな」というのに等しい。「日本で売れないならば、外国で売れ。企画責任者のお前が、アメリカに行って売ってこい!」という指令が著者に下された。1985年のことだ。
 さて、ここで時代が一致する。アメリカの日本料理は「広く普及しているとは言い難い」とする前川説と、「大学の食堂にも豆腐があったくらいだから、広く普及している」という元留学生の説が対立していたそのころ、アメリカで豆腐販売会社を立ち上げた著者は、どういう現実に出会ったのだろうか。
 「日本食の先兵としてすでにSUSHIをアメリカ人が受け入れ始めたとのニュースを、日本のメディア各社が話し始めて、“アメリカで日本食ブーム到来”とあおるものだから、豆腐まで、その日本食の一つに含められてしまっていたが、実は豆腐はSUSHIほどには知られていなかった」(40ページ)
 多くのアメリカ人(非東アジア人)にとって、豆腐とは、まず「知らない物」であり、多少は知っている者にとっては、嫌な食べ物であったという。「USA Today」紙は1987年8月に「アメリカ人が嫌いな食べ物ランキング」を発表した。そのワースト5は、次の通り。1、豆腐 2、レバー 3、ヨーグルト 4、芽キャベツ 5、ラム
 なぜ、豆腐は嫌われていたのか。当時、アメリカで売られていた豆腐は製造や管理状態が悪く、傷んでいるものも売られていたらしい。そこで、「すっぱいから」という理由で嫌われた。次に、原料も問題だった。アメリカ人にとって大豆は飼料である。「牛や豚の餌を食わせるのか!」という怒りがあった。そして、豆腐の食べ方を知らない人に豆腐を勧めても、「味がない」という反応しかない。
 豆腐はアメリカ在住アジア人には当然広く食べられていたし、非アジア人でも食べる人はいた。どういう人が食べていたかというと、先に書いたようにアジアかぶれの「ヒッピーみたいな変なヤツ」か、病人食として食べている「超肥満で苦しんでいる人」というわけで、「善良なアメリカ人」には、イメージが悪かった。だから、豆腐は売れなかった。これが、1980年代後半の、アメリカにおける豆腐事情だった。というわけで、アメリカをちょっと見ただけの印象をしゃべった前川説は、一定期間アメリカで生活をしていた元留学生の説よりも正確であったことがわかる。えへん。
 アメリカで、非アジア人にも豆腐が売れるようになるのは、1990年代に入ってからである。
 最後に、豆乳に関するトピックを書いておこう。「大豆は健康にいい」という噂が広がってから、アメリカの業者が豆乳を販売するようになった。これが、売れた。アメリカ人には豆腐よりも安くて扱いやすいからだ。soy milkという名に対して、アメリカ牛乳乳製品協会から、「milkではないものに、milkという語を使うのはいかがなものか。違法行為だ」というクレームがついた。豆乳業者は別の名称も考えたが、ちょっと考えて、こういう主張をした。「milkではなくても、coconuts milkという表示が認められているのだが、soy milkでもいいじゃないか」。この主張が認められて、soy milkの表示が認められた。そして、その英語を翻訳して「豆乳」という日本語ができたという話を何かで読んだのだが、資料が見つからない。信憑性はないが、まあ、お話として。ちなみに、中国語では「豆漿」と書く。