2055話 続・経年変化 その21

音楽 21最新・流行

 決してへそ曲がりからではなく、昔から最新、流行、世の風潮といったものに興味がなかった。本は、小学生時代から自分が読みたい本を選んでいたから、「世界の名作全集」とか「推薦図書」など気にも留めなかった。学校が選んだ図書館の本よりも、神保町で自分で選んだ本を読みたかった。

 音楽も、ラジオで自分の好みの音楽を選択できるようになって、ヒットランキング番組は聞いていない。「これで、4週連続第1位です!!」なんていうことなど、どーでもいい。今も昔も社交的な性格ではないし、サラリーマンにもならなかったから、他人と話題を合わせる必要がない。仕事の上でも、最新情報を仕入れて、今後の企画に生かすなどという必要もない。

 映画も最新にこだわらなかったのは、貧乏だったからという理由もある。いわゆるロードショウ上映に行くカネがあったら、2本立て3本だけの名画座に何度も通った方がいいと思っていた。映像も音響も迫力のある大パノラマ映画には興味がなかったからかもしれない。

 2044話で書いたように、私が好きなブラックミュージックは「クラシック・ソウル」と呼ばれる1960年代あたりの音楽だ。ジャズも、1950~60年代あたりのものが好きだ。サンバは1970年代にはすでに「過去」の音楽になっていたし、ポルトガルのファドも、いまは観光客相手の音楽になっている。今「古臭い」と言われるジャンルの音楽が、まだ現役だっころから好きで、そのままだ。そのことをもってして、「進歩していない」などとは言えない。文明に進歩はあっても、文化に進歩はないのだ。50年前の機械よりも現在の機械の方が優れているということはあるが、50年前の音楽や著作や絵よりも現在のものの方が優れているなどと誰が言えよう。楽器や録音機材が良くなっても、それで「より優れた音楽になった」ということはないのだ。機械仕掛けで正確なリズムが刻めるようになれば、「いい音楽になった」というわけでもない。少なくとも、私にとってはそうだ。

 1960年代までは、音楽情報は武器だった。英語ができて、米軍放送を聞きとる耳があり、アメリカの友人が毎月レコードを送ってくれるというような人は、日本の音楽業界で飯が食えた。1960年代初めのリバプールの若者は、港に行ってアメリカ帰りの船員からレコードを買った。「最新」が、素晴らしい情報だったのだ。南アフリカでも、やはり船員からレコードを買い集める若者がいて、いつもドル札を手にしていたからダラー・ブランドというニックネームがついた。のちに彼はジャズピアニストとして有名になり、本名のアブドゥーラ・イブラヒム(1934年生まれ)を名乗るようになった。

 ある時代までは、最新情報は有効であり人によっては武器であり、新しい音楽の流れを作り出してきたのだが、私のように音楽業界以外の者にとっては、「最新」などどーでもいい。「○○を聞いてないと恥ずかしい。遅れてると言われる」と思っている若者は、好きな音楽が自分の中で確立されていなくて、仲間外れにされないように他人と合わせているだけではないか。

 ウォークマン以後、音楽を持ち出せるようになって、音楽の好みが個別化していき、ラジオやテレビのヒットランキング番組が消えた。ネットで音楽を聞くようになり、高校生が60年代の流行歌を聞くチャンスが生まれた。

 私はヒットチャート番組と、そこに登場するような音楽にもともと興味がないから、その手の番組がテレビから消えてもどーでもいいのだが、ただ、時代の空気を感じる誰でも知っているヒット曲というものがなくなったのは、ちょっと寂しい。