1571話 カラスの十代 その4

 

 滑り止めの、私立高校を受験した。男子校ということを、耳と活字ではもちろん知っていたが、校舎に足を踏み入れると、黒い制服を着たカラスのような集団に囲まれて、恐れおののいた。初めて、「男子校」のおぞましき光景を実感した。文字通り暗黒の世界だ。私には兄も弟もいない。父は長らく単身赴任をしていたから、常に男だけがいるという空間に身を置いたことがない。私がスポーツにもバクチにもまったく興味がないのは、そういう環境のせいかもしれない。こんなカラスの群れのなかで過ごす十代なんて、絶対に嫌だと思った。頭に黒袋をかぶせられて、視覚も聴覚も奪われ、呼吸も苦しくなったような気分だった。少年院送致とか軍に入隊するというのは、こういう気分だろうか。

 幸か不幸か、この男子校には合格したのだが、もし県立高校に入れないと、このカラスの高校に通わないといけないのかと思うと、暗澹たる気分になった。うれしくない「高校合格」だった。

 なんとしてでも、男女共学の県立高に入らないといけない。地獄に落ちそうな自分を救えるのは、自分しかいない。そのためには、この先それほどの日数はないが、県立高校合格のために懸命に受験勉強するしかない。

 この感覚を包み隠さず書けば、中学生の性欲でありエロパワーである。男しかいない高校生活なんて、暗黒だ。私は今も昔も、もてない男だが、それでも、刑務所のような高校生活はいやだと思った。軍隊や旧制中学高校や運動部的な「男と男の世界」を、はっきり言えば心底嫌悪していた。共学の高校に行けば、たちまちドラマのように甘い学園生活が始まるなどとはもちろん思っていないが、どこをみても男しかいないカラスの高校生活は、絶対に嫌だ。そう強く思ったアホ中学生は、その後の生涯をも通じて、あんなに勉強したことはないというくらい勉強した。もはや、「数学は嫌い」などと言っている余裕はない。比較的得意な国語や社会はさらに勉強をしてもたいした加点にはならないから、大きな加点の可能性がある数学の勉強に励んだ。中学生の、すさまじきエロパワーである。数学に対する嫌悪感など些細なことだ。カラスに囲まれた学園生活の恐怖に比べれば、屁みたいなもんだ。

 のちに、ビデオデッキが急速に家庭に普及した理由は、自宅でエロビデオを見たい男たちが大勢いたからだという説を耳にして、エロパワーは家電普及率も急速に押し上げるという事実を知った。私の場合は、数学の成績の急上昇という目的があった。県立高校の壁はかなり高かったと思うが、受験した日のことはまったく覚えていない。手ごたえがあったのか、まるでなかったのかといった記憶は、いっさいない。

 合格発表の日は、ひとりで高校に行った。校庭の、合格者掲示板のかなり手前に担任と、小学校からの友人の母親がふたりいて、歩いてくる私に、口々に「前川君、合格していてよかったわねえ」と言った。合格者掲示板に番号ではなく名前が書いてあったから私が合格したことがわかったのか、あるいは担任が生徒の受験番号を控えていて、番号から合格者がわかったのか不明だが、中学からの受験者で、もし不合格者がでるなら、私が真っ先だということは明らかで、だから「よかったね」と私に話かけたのかもしれないと思った。かくして、幸運にもカラス学園の生徒にならずに済んだ。

 生涯初であり、唯一でもあるのだが、数学の猛勉強が役に立った。あれほど嫌だった数学でも、「共学の甘い夢」を現実にするためと覚悟を決めれば、必死になれるのだ。げに恐ろしきエロパワーである。人類の進歩というのは、こういうものかと思った。だからといって、それをきっかけに数学が好きになるような優等生ではなかった。私の基本は、好きなことしかしない怠け者なのだ。

 あのカラス学園は、ちょっと前に共学になった。そもそも、男子校とか女子校なんて不自然なのだ。生徒や学生を、性によって入学を差別するのは根本的におかしいのだ。