1579話 カラスの十代 その12

 

 何と言うことのない朝のはずだった。

 高校の朝はいつも、担任が教室に来て、報告や諸注意を5分ほどおこない、1時限の授業が始まるのだが、その日はなかなか担任がやって来なかった。何かが起こったのかもしれないという予感があり、ほかの教室ものぞいてみたが、どの教室にも担任は来ていなかった。今、あの朝のことを思い出している。私以外の生徒は、せっせと受験勉強をしていたので、担任がなかなか来ないことなど誰も気にかけなかったのだが、私は世間の動きが気になった。何かが起こっているらしいので、その「何か」を知りたかった。だから、ほかの教室の様子を探りに行ったのだが、このあたり、のちにライターになる男の片鱗がうかがえる。

 「もしかして・・・、あれか?」という予想はあった。隣の市に住む高校生が起こした事件だと新聞にあった。我が高校には隣りの市から来ている生徒はいくらでもいるから、その高校生がこの高校の生徒であってもおかしくない。

息を切らせて、担任が教室にやって来た。

 「わが校、始まって以来の、とんでもない事件を起こした生徒がいて、会議が長引いて・・・」とだけ言って、事件の中身には触れず、日常の報告事項をしゃべり、間もなく1時限の授業が始まった。以後、その「事件」に触れることは一度もなかった。

 やはり、あの事件だろう。その朝、新聞を開いて驚いた。隣りの市に住む高校生がアメリカに密航したという記事だった。薄れた記憶をたどり、新聞記事を紹介してみよう。

 その高校生は、「漢文の授業を受けたくないなあ」と思い、父親の背広を着て、家を出た。高校の名前は書いてない。羽田空港に着いたら、フェンスが工事中で、簡単に中に入れた。停まっている飛行機に乗って、アメリカに向かった。あのころは、飛行機にはタラップ(移動式階段)で乗り降りするものだった(日本ではいつごろからボーディング・ブリッジを使うようになったのか調べてみたが、ネット情報ではわからなかった)。

 到着直前(ハワイだったか、アメリカ本土だったのか、記憶にない)に、乗務員からパスポートの提示を求められたが、「持っていない」ということなので、すぐに日本に送還されたというものだった。おそらく、挙動不審とか、乗客がひとり多いとか、飛行中に「何か変だ」と乗務員が気になっていたのだろう。

 休み時間に「取材」すると、あの高校生は、やはり私と同じ高校の同学年だとわかった。事情を知っている生徒がいた。名前もすぐにわかったが、1度も同じクラスになったことがないので、名前と顔を知っているだけの生徒だった。特に、何かで話題になる生徒ではなかった。俗にいう、「まったく目立たない生徒」だった。

 その密航者が退学になったのか、停学か謹慎程度で済んだのかという記憶はない。卒業まで数か月というときだから、退学にはならなくても、もう学校には来なかったのかもしれない。卒業したのかどうかも知らない。「外国に行きたい」と思っていた私は、ヤツの話を聞きたかったが、それっきりになった。のちに私がライターになり、外国へのあこがれなどをテーマにするようになると、あの密航高校生のことが気になり、機会があればインタビューをしたいと思っていたが、なんの伝手もなかった。

 高校を卒業して30年ほどたち、同窓会に行った。ちょうどいい機会だから、あの「密航高校生」の情報を探した。ヤツはその後、どういう人生をたどったのか。この場にいれば、インタビューを申し込もうかと思っていた。

 ヤツと同じクラスだったのではないかという卒業生に、何か情報を持っているか聞いてみた。

 「ああ、〇〇君ね」と言うから、覚えているようだ。今、「〇〇君」としたのは匿名ということではなく、ヤツの名前をその時も今も、憶えていないからだ。

 「彼ね、アメリカの駐在員になったんだけど、そのアメリカで交通事故で亡くなったのよ」

 あの密航は、たまたまやったのか、それともアメリカに行きたいという感情が羽田に向かわせたのかが気になっていた。その解答はわからないが、のちに、現実に、合法的にアメリカに渡ったのか。やはり、あの密航のことをよく知りたいと思いつつ、何もせずに、ただ長い時間が流れてしまった。

 

 1970年をよく知らない人に、その年の事件を少し加筆しておこう。

 よど号ハイジャック事件、ジャンボジェット機日本初就航、大阪万博、60年安保闘争、日本人エベレスト初登頂、ジミ・ヘンドリックス死亡、ジャニス・ジョプリン死亡、三島由紀夫自決・・・・。