891話 イベリア紀行 2016・秋 第16回


 ファドの1日 その3

 アマリア・ロドリゲス記念館を出て、坂をちょっと下ると、屋根のあるバス停があった。路線図を見ると、ここを通るバスに乗れば、コメルシア広場に行けることがわかった。普段なら歩くところだが、路面電車を乗りまわしたくて、路面電車、地下鉄、バスなど乗り放題のカードを買っているので、バスの旅もしてみたくなった。街歩きに慣れてくると、バスの路線図が読み取れるようになり、散歩の範囲が広がっていく。「方向的には、このバスに乗れば、目的地に近づけるなあ」とか、「このバスに乗り、途中で地下鉄に乗り換えればいいわけだ」などとわかるのである。
 コメルシオ広場まで行けば、そのあとは歩いてファド博物館に行ける。本日のファド第二幕だ。前回行ったときは、“Casa do Fado e da Guitarra Portuguesa”「フォドとポルトガル・ギターの家」という名称だったが、現在は”Museu do Fado”「ファド博物館」と改称している。2011年にファドがユネスコ文化遺産への登録を目指して、リスボン市や政府がファドにカネをかけるという方針に転換したのだろうと想像したのだが、違った。ネット上の画像を調べると、2005年にはもうファド博物館だったので、文化遺産登録とは関係ないのかもしれない。
 博物館は、すっかり姿を変えていた。2002年のこの博物館は、田舎ののどかな博物館という雰囲気があった。売店では当然ファドのCDを数十枚揃えていたのだが、商品をよく見ると、中古品もあり、ファドとは関係ないジャンルのCDもあった。おそらく、職員の私物をここで売ろうとしていたのだろう。
 かつてこの博物館は、基本的に、置いてあるものをただ見せるだけという施設だった。展示品以外のものでは、唯一ジュークボックスのような箱があり、歌手名のボタンを押すと、歌声が聞こえた。私は気にいった歌手の名をメモし、CDを買うかどうか検討した。
14年ぶりのファド博物館は、内装が変わり、コンピューターが入り、映像があり、売店ではCDやDVDも売っていた。アマリア・ロドリゲスが主演した映画“Fado”(1947)のDVDがあったが、これはもちろん前回Fnac(フランスの小売チェーン店で、ヨーロッパに支店多数。書籍やCD、デジタル機器などを扱う)で買っている。
http://www.imdb.com/title/tt0040336/mediaviewer/rm2417303296
 展示理由がまったく想像できない展示品があった。音楽の博物館に、何本かのナイフを展示している理由が、どんなに考えてもわからないのだ。近くの係員に質問すると、「そのオーディオガイドで説明していますよ」と、私の手元の機器を指差した。マイクの形をした機器で、球形部分を耳に当てる。私はもちろん英語版を借りたのだが、その英語の説明が聞き取れなかった。想像力を働かせて外国語を理解しているので、想像できる範囲を超えると、とたんに理解不能になる。
 「なぜナイフを展示しているのですか?」
 もう一度たずねた。
 「ファド歌手のナイフです」
 その説明ではわからない。
 「なぜ、歌手がナイフを持っていたんですか」
 「昔のファド歌手は、チンピラだったんですよ。いつもポケットにナイフを忍ばせているような男が、ファドを歌っていたんですよ」
往年のファド歌手が実際にポケットに忍ばせていたナイフを、博物館で展示している。ファドのそういう面も見せているのがおもしろい。ファドの歴史はおもしろそうなのだが、日本語で読める資料はない。英語の本はあるが、重厚で高価な研究書だ。
 新しく導入された出色の設備は、ファド歌手の名を選ぶと。写真か動画が出てきて、歌声が聞こえ、経歴が英語でも読めるという装置だ。この装置がある部屋では長居した。
歌手リストを見ていたら、Ana Mariaの名があった。彼女のCDはまったく偶然に手に入れた。東京の中古CDショップで、格安セールになっている段ボールいっぱいのワールドミュージックのCDのなかから選んだ1枚が、正体不明の女のCDだった。初めてポルトガルに行く前だから、1990年代末のことだろうか。予備知識などまったくない。この黒人歌手が歌うのは、きっとアフリカ音楽だろう思い、しかしCDの文字を見るとポルトガル語で、さてブラジルにこういう歌手がいたかなあ、モザンビークかほかの元ポルトガル植民地の歌手かという程度の興味で買ってみた。帰宅して聞いてみると、ファドだ。アフリカ人ファド歌手など知らなかったので、彼女の名前はすぐに覚えた。Youtubeがなかった時代は、歌手の顔も歌声も、他の情報はすぐにはわからなかったのだ。
 博物館のデジタル機器で経歴を読むと、1952年生まれ。アンゴラ出身だ。そして、2011年死亡という記述。同い年の人がもう亡くなっていると知ると、やはり、しばしうつむくしかない。
https://www.youtube.com/watch?v=XOljlk5SOns
 彼女の経歴は、ファド博物館のHPに載っていた。私が読んだもののポルトガル語版だ。日本でも読めるんだなあ。
http://www.museudofado.pt/personalidades/detalhes.php?id=264

 註:ポルトガルには2種類のファドがある。その説明を短く解説をする。大学都市コインブラのファドは、男子学生のセレナーデで、私の趣味ではない。私がこのブログで書いているのはリスボンのファドで、感じはまったく違う。あえて日本の音楽界を例にして比較すれば、カレッジ・フォークと藤圭子の歌の世界の違いだ。