287話 神田古本まつりのころ 前編

 今年もまた、神田古本まつりの季節がやって来た。10月27日(水)から11月3日(水)まで、神田神保町のあちこちで開催される。
 神田古本まつりは今年で51回目になるそうだが、私が初めて行ったのは、さて、いつだったか。1970年代だったか、あるいは80年代に入ってからだったか、まったく記憶にない。なぜ印象が薄いかと言えば、初めて行ったときに、「もういいや」と思ったからだ。とにかく、ものすごい混雑で、ゆっくり本をチェックできない。人を押しのけてまで本を買いたいとは思わないし、混雑するなか、棚の前でじっくりと立ち読みをしている無神経なヤツを見ると我慢ならない。イライラする。それに、私好みの本はどうも少ないという印象があって、それなら普通の日にゆっくり古本屋街を散歩したほうがいいやと思い、以後しばらく行かなかった。
 それなのに、毎年訪れるようになったのは、神田ブックフェスティバルが始まったからだ。神田古本まつりは、神田古書店連盟の主催。一方、今年で20回目となる神田ブックフェスティバルは、東京都書店商業組合神田支部の主催で、こちらは新刊書店が主催者というちがいがある。絶版になった本や、汚れて商品にならない本を、大幅値引きして売る「本の得々市」が楽しみで、ほぼ毎年行くようになった。今年は10月30、31日の開催だ。
 神田神保町すずらん通りの得々市で、宝物を見つけたという話は、このアジア雑語林の10〜12話に書いたので、そちらを参照してください。
 すずらん通りでは、チャリティー・オークションも開催される。商品を提供するのは古書店だ。私がセリに参加したくなるような本はめったに出ない。でかくて高いだけの画集のような、こけおどし本が多いが、ときには古書店の善意で新品の辞書事典類も出品されることがある。そういう本は相応の値段がつくから、無理してセリで買うこともない。画集など豪華本は、何冊か合わせて、定価合計5万円が2000円とか3000円で売れるかどうかというオークションだ。比較的高価な全集15巻といった本でも、1万円以上の値段がつくことはめったにない。
 あれは、たぶん1999年だったと思うが、おそらく現在でも破られていない高値がついた商品が出品されたことがあった。解散宣言をしたばかりのSPEEDのサイン色紙である。
「もう解散するから、メンバー全員のサインはもう2度と手に入らないよ」という売り声の乗せられた客が、1万6000円だったか、1万8000円だったかという高値で競り落としたことがあった。
 ちょうどそのころから、神保町の古本屋が、従来からの古書店から、アイドル写真集や古雑誌を扱う店が増え始めた時代で、神保町の変化を感じた象徴的な事件だった。
 古本まつりといえば、いまでも覚えている本がある。『世界紀行文学全集』(志賀直哉佐藤春夫川端康成監修、修道社、1959〜61)全20巻揃いが、1万円。「うーん」と、考えた。強い興味があるアジア編など5冊は、当然すでに持っていて、ほかの巻はどうしても欲しいというものでもない。こまめに古書店を歩けば、端本が1000円以下で手に入る。日本人の海外紀行文研究のためには買っておいたほうがいいだろうが、なるべく本は増やしたくない。欧米の紀行文だと、買っても読まない可能性が高い。
 そんなことを思ったから買わずに帰ったのだが、電車のなかで「買っておけばよかった」と後悔をしはじめ、帰宅してもあれこれ考え、翌日、また神田に出かけたのである。すると、やはり、売れていた。残念だと言う気持ちはあまりなく、むしろありがたいと思った。買わないですむ。20冊の本の置き場所を確保しないですむ。読まないでもいい。そう思って、安心したことを覚えている。私はコレクターではないから、本を買うこと自体には、大した興味はないし。全集が揃っていないのが許せないという性格ではない。本は読むものであって、集めて喜ぶものじゃない。読まないとわかっている本を買うほど余分のカネを持っているわけではないし、広い書庫もない(狭い書庫もないが)。