私が好きな日本の歌 その2
前回からの続きを書いていく。
ウナ・セラ・ディ東京(1964)・・・ザ・ピーナッツが63年に発売した「東京たそがれ」(作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰)を手直しして改題して翌64年に発売。ザ・ピーナッツの歌では「可愛い花」や「情熱の花」などが好きだが、外国歌だから、今回の選定基準から外れる。そこで、この「ウナ・セラディ東京」か、同じ作詞作曲者の「恋のバカンス」かで迷い、甲乙つけがたいが、きょうの気分で、こちらを選んだ。
みんな夢の中(1969)・・・1424話では、オリジナルの高田恭子盤ですでに紹介済み。今回はシンガーソングライターの村上紗由里で。
夜が明けたら(1969)・・・浅川マキの作詞作曲歌。彼女の正式レコードデビュー盤で、もう一曲の「かもめ」(作詞:寺山修司、作曲:山本幸三郎)は、同時代人にしかわからないが、いかにも「テラヤマ・ワールド」である。
プカプカ(1971)・・・西岡恭蔵自身の作詞作曲。ジャズ歌手安田南をモデルにした歌だと言われている。これはロングバージョン。安田南の死亡に関する事情は明らかになっていない。西岡恭蔵は1999年、妻の三回忌に自殺。カバーされることが多く、木村充揮&近藤房之介のこの演奏も、すばらしい。
八月の濡れた砂(1971)・・・藤田敏八監督の映画「八月の濡れた砂」のテーマ曲(作詞:吉岡オサム、作曲:むつひろし)。石川セリが歌った。映画そのものは、「あの時代の、フランス映画のような感じ」で、私の趣味ではなかった。レコードデビューは72年。作詞の吉岡オサムは、「吉岡治」がのちのペンネーム。「天城越え」や「命くれない」など大ヒット曲を生み出す。石川セリは77年の「ダンスはうまく踊れない」(作詞作曲:井上陽水)で広く知られる歌手になり、78年陽水と結婚。
黒の舟歌(1971)・・・作詞:能吉利人、作曲:桜井順。ペンネームを変えているが、作詞作曲者は同一人物。野坂昭如の歌で世に出たが、長谷川きよしの歌でヒットした。2018年、プラハでスメタナの交響曲「我が祖国」を聞いていたら、第2曲の「モルダウ」は「黒の舟歌」だなと気がついた。帰国後ネットで調べたのだが、私と同じ主張をしている人が見つからない。試しに、これを聞き比べてください。
十九の春(1975)・・・明治時代に流行った「ラッパ節」が与論島に伝わり、別の歌詞がついて、「十九の春」となった。1975年に田畑義夫が歌ってヒットしたらしいのだが、私が知ったのは、それよりもだいぶ後だ。この歌を歌う人は多いが、奄美民謡歌手の 朝崎郁恵の歌を紹介してみよう。
望郷(1975)・・・山崎ハコのデビューアルバム「飛・び・ま・す」の1曲。長い間外国を旅していて、長い間日本語を耳にしていないときに、突然この歌が聞こえてきたら、たぶん、感情のコントロールが効かなくなるかもしれないという気がする歌だ。そういう体験は、実際にはないけどね。外国で、突然日本語のうたが聞こえてきたことは、何度かある。
ヨコハマ・ホンキートンク・ブルース・・・作詞:藤竜也、作曲:エディ潘。最初はエディ潘が歌ったが、のちに様々にカバーされている。松田優作のカバーが有名だが、私は原田芳雄の歌が好きだ。山崎ハコもいいなあ。
いやんなった(1975)・・・1975年だったと思う。ラジオから日本語のブルースが流れてきた。あまりにすさまじい迫力で、びっくりした。それが憂歌団のデビューアルバム「憂歌団」だったか、それともどこかでのライブ録音だったのかという記憶はない。放送した「いやんなった」、「おそうじオバチャン」、「パチンコ」の3曲は覚えている。ここで紹介するのは、デビュー翌年の76年のライブ。この時代に、のちに「天使のだみ声」と評された木村の歌声を耳にしたショックと感動はわかりますか?
スローバラード(1976)・・・RC サクセッション及び忌野清志郎が好きだという人は、ローリング・ストーンズのファンか、オーティス・レディングのファンか、あるいはその両方のファンだろうと思う。オーティスの流れをくむ代表曲が、この「スローバラード」だろう。私はオーティスのファンで、ほとんどのCDを買っている。ある日、まとめて聞いていると、「ああ、これがスローバラードのヒントか」と気がついた曲があった。アレンジャーの星勝がこの曲を聞いたかなと思ったものの、メモをしなかったので、どの曲かわからない。それはともかく、「スローバラード」のイントロはすごい。聞く者を誘う。ライブ動画は多くあるが、ここではあえてレコードの音源を紹介する(画像がひどいのは、いたしかたない)。
好きな歌が多くあり、まだ終われない。続きは、次回に。