2024話 愛しい日本の食文化 私の場合

 

 外国で生活していれば、日本の味を恋しく思うのはいたって普通で、その「日本の味」が狭義の日本料理を意味する人もあるだろうが、今なら広義の日本料理をさす場合の方が多い。広義の日本料理というのは、ラーメンや餃子や焼きそば、カレーにハンバーグ、鶏のから揚げやトンカツ、そして、牛飯牛丼天丼カツ丼といった料理のことだ。40歳未満の人なら、刺身や酢物のなどよりも、こういった料理に「恋しい日本」を感じることが多いだろう。

 そういう料理を恋しく思う気持ちは、もちろん私にもよくわかるのだが、歳を重ねるにつれて料理そのものよりも食器への思いも強くなってきた。簡単に言えば、できるだけ陶磁器や木や竹を使って食事をしたいという欲望があるということだ。

 韓国の食文化になじめないのは、金属の箸と器の食事が我慢できないからだ。金属の箸が舌にあたる感覚は耐え難いし、目が大いに不満なのだ。感覚の問題なのだが、スプーンならいいが金属の箸の触感が味覚を阻害する。韓国の食事風景を見ていると、軍隊小唄(1944年)の1番を思い出す。

 

 嫌じゃありませんか 軍隊は

 金(かね)のお椀に 竹の箸

 仏様でも あるまいし

 一膳メシとは 情けなや

 

 日本の軍隊では箸は竹だったようだが、箸まで金属の韓国は、つらい。私の体験では、タイの場合、陶磁器を使う店が比較的多いように思う。その傾向は、屋台より食堂、バンコクより地方都市の方が陶磁器に出会う機会が多い。もちろん、プラスチックの皿や丼はあるが、色は白か薄い青だ。これがマレーシアやシンガポール行くと、緑や紫のプラスチック丼もあるから、日本人の感覚だと食欲が減退するのだが、シンガポール人は気にもしないようだ。食器の色が様々なのは、私の想像では、こうだ。屋台街では使う食器は屋台ごとに色分けされていて、緑の食器はA店、ピンクの食器はB店という具合に決まっていて、食後に係の人が食器をひとまとめに集め、洗い、それぞれの店にその色の食器を届けるシステムになっている。そういうことではないか。

 マレーシアではガラスの皿を好むという傾向もある。箸もインドシナでは竹製、マレーシアやシンガポールではプラスチックという傾向はあったが、台湾のように袋入りの竹箸もあるが、その比率などはしっかり調べないとわからない。

 食器は陶磁器がいいというのは日本でも同じで、私はあまり食べる機会はないが病院や社員食堂などのメラミンなどのプラスチック食器は、できることなら避けたい。日本人の中では、プラスチックの皿よりももっと拒否感があるのは、プラスチックのコップやグラス類ではないか。

 自宅で使う食器も陶磁器製だ。高いものはない。使い勝手が良ければ、100円ショップの商品でも、何の不満もない。箸も、木製を使っている。木の箸でも塗り箸だと滑るので、薄く塗っただけの箸を買っているが、日常的によく使うのは、舌にも唇にも手にも優しい割りばしだ。正月に新しい割りばしをおろす。普通は食後には捨ててしまうのだろうが、私は洗って何度でも使う。それで、通常1年もつ。比較的高価な天削(てんそげ)を買うのだが、高いと言っても一膳20円か30円ほどで、1年間使えるのだから安いものだ。麺類だと、この箸がもっとも使いやすい。自宅で使う箸だから、見てくれなどどうでもいい。ケチ、節約のために割りばしを使い続けているのではなく、もっとも使いやすい箸が、割り箸だということだ。竹の割りばしは木製のものより丈夫だが、滑りやすい。

 なるべく金属の食器で食事をしたくないという私の感覚は、「ちょっと変」なのか「かなり変」なのか、それとも日本人としては「ごく普通」なのか、さてどうでしょう。

 木の箸が好きだと言っても、弁当に着いている短い箸を使っているとみじめになる。