2117話 ソウル2024あるいは韓国との46年 その12

トンカス 2

 のり巻きの項でも紹介した『B級グルメが見た韓国』(文藝春秋編、文春文庫、1989)を今回も書棚から取り出して、パラパラーとページをめくると、「洋食」について解説しているページに付箋が貼ってあった。韓国におけるピザやスパゲティーの歴史を調べているときに付箋を貼ったようだ。そのページの脚注を読んでいなかったことにたった今、気かついた。重要なことが書いてある。

 トンカスは、フランス語のコートレット(côtelette))だと説明している。なるほど、そうか。韓国のトンカスが日本のトンカツと違って、ハムカツのように薄いことはもちろんわかっていたが、「それが韓国人の好みなんだろう」くらいにしか考えていなかった。トンカツソースではなく、デュミグラスソースがかかっているという点にも注意が及ばなかった。

 ちなみに、戦後間もなくの韓国で、日本語を一掃して韓国語に置き換えるという運動があって、当然日本語名がついている日本料理も対象になったという話が『食卓の上の韓国史』に載っている。とんかつは「チョユクカトゥルレトゥ」(豚肉コートレットの意味だろう)に変えると決めたようだが、実際は日本語名のほうが残ったというわけだ。325ページにこの言いかえリストが出ていて、読んでいくとじつに興味深い。

 明治期にヨーロッパから伝えられた料理のひとつに、コートレットがある。オーストリアではシュニッツエルという。肉を叩いて薄くのばし、パン粉をつけて、大量のバターで揚げた料理だ。この料理が日本化する過程で、フランス語「コートレット」が日本語「カツレツ」になった。。牛肉を使ったものは今も主に関西で「牛カツ」(あるいはビフカツ)と呼ばれているが、もはや叩いてのばさない。。豚肉を使ったものはブタカツでもポークカツでもなく、トンカツとなり、大正なかばあたりから肉が厚くなってきたという。肉をたたいて薄くする作業をしなくなったのは、筋切りするだけでおいしく食べられる柔らかい部分を使うことで、厚い肉を使えるようになったからだろう。ナイフとフォークで食べる西洋料理店のコートレットが、厚い肉を使うトンカツになり、箸で食べる日本料理に変化していった。

 料理法も、大量のバターを使うぜいたくはなかなかできないので、たっぷりの植物油を使うようになった。おそらく、天ぷらの発想があったのだろう。トンカツに細切りキャベツがつくようになるのは、銀座煉瓦亭が大正期に始めたというのが定説だ。

 韓国のトンカスは、日本でコートレットがカツレツとなり、トンカツという名が生まれた大正から昭和初期に、植民地朝鮮(1910~1945)に伝えられ、高級ホテルで出していた。韓国独立後、ちょっと高い洋食として、食べられるようになった。日本の西洋料理が朝鮮に渡り、ほぼそのまま韓国に残っているから、肉は薄く、デュミグラスソースを使うというわけだ。トンカツソースも中農ソースも、戦後の発売だ。

 ドラマ「応答せよ 1988」は、1990年前後のソウルが舞台で、ちょっとカネを持った家族が洋食店でトンカスを食べるシーンが出てくる。「軽洋食」(キョンヤンシク)と呼ばれるレストランだ。日本でいえば、「有名デパートで食事」という感じか。デュミグラスソースがかかったトンカスは労働者階級にはちょっと敷居が高い料理である。ナイフとフォークで食事をするからで、はっきり言えば、「貧乏人や田舎者」には近寄りがたい料理だった。ソウルのような大都会に住んでいる中産階級の家族が、子供の誕生日とか大学合格といった晴れの日に食べるようなごちそうだったようだ。2000年代になると、冷凍トンカスが発売され、高級感はなくなったようだ。

 韓国ドラマ「応答せよ 1988」(2015)は、「恋のスケッチ~応答せよ1988~」というつまらない邦題がつけられてしまったが、私の好みでは韓国ドラマの最高峰だ。内容が優れているというだけでなく、1980年代末から90年代前半の生活が外国人である私にも実によくわかるのがいい。ピザなど当時出現したばかりの料理や煮沸洗濯をするシーンなども出てくる。そういう点では、韓国生活情報ドラマでもある。

 いつものクセで、話が横道にそれて長くなったので、トンカスの話は次回にまだ続く。