2017-08-01から1ヶ月間の記事一覧

1033話 ワンダーフォーゲルの事などから その4

梅棹の文章を読んでいるとよく出てくるのが、「京都帝国大学にあった旅行部」というものだ。旅行部とは、実質上山岳部と同じようなものだったらしい。旅行部が山岳部になり、そこから探検部が分離独立をはたしたという歴史はわかるのだが、そもそも旅行部な…

1032話 ワンダーフォーゲルの事などから その3

日本の外国語教育史に興味があって、ちょっと調べたことがある。戦前の日本の教育制度は実に複雑で、容易には理解できない。小学校には尋常科と高等科があり、飛び級があり、予科があり、軍の学校があり、複雑怪奇である。旧制高校そのものについてもちょっ…

1031話 ワンダーフォーゲルの事などから その2

そんなおり、つい先日古本屋で見つけたのが、『ワンダーフォーゲルの活動のあゆみ―学生登山の主役たち』(城島紀夫、古今書院、2015)だ。自費出版だろう。日本の大学のワンダーフォーゲル部の活動記録をまとめ、部の雑誌を紹介したもので、労作ではあるが、…

1030話 ワンダーフォーゲルの事などから その1

若者の旅の歴史を考え始めて、もう数十年になる。なぜ若者なのかというと、仕事や家族など社会の枠が低く弱いからだ。別の言い方をすれば、比較的自由に動ける可能性があるから、若者の旅を調べるのはおもしろそうだと思ったからだ。 若者は、何をきっかけに…

1029話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その20

やむなく、続編を書くことに・・・ その2 フランス郵船MMに乗って日本を出た人たちの旅行記は、私が買っただけでも自費出版のかたちで何冊かある。『カンボジア号幻影』(恵原義之、新風舎文庫、2005)は、1945年生まれの著者が1969年におもに南アジアを巡…

1028話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その19

やむなく、続編を書くことに・・・ その1 私のインド話は前回で最終回にして、これで身も心もさっぱりして、新しい生活が始まるはずだったのに、なんてこった。 最終回のブログ原稿をアップして、「さて、自由に読書だ」と、机の脇に積んだ本の山に挑んだ。…

1027話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その18

雑記 私のインド話も、今回が最終回だから、ノートを見ながら、思い出すままにいろいろ書いておこう。 参考までに、カルカッタの路上で口にした飲食物と、その値段を書き出してみる。Pはパイサ、100パイサ=1ルピー=35円が目安。 チャイ(ミルクティー)・…

1026話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その17

Paragon パラゴンホテルがちょっと気になって、もうちょっと調べてみたくなった。 1960年代にイギリスからタイまで旅した少年が、1995年に同じ旅をしたという本に、この宿が登場するのか確認したくなったのだ。バンコクでは、かのタイソングリートに泊まった…

1025話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その16

サダル通り 路面電車をエスプラネードで降りて、チョーリンギーという大通りを南に歩いて行くと、左手にインド博物館が見えてくる。博物館の手前を左折すると、そこがサダル通り(Sudder St.)、そのまま歩いて行くと右手に安宿のひとつサルベーション・アー…

1024話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その15

安宿を探せ、 観光案内所 カルカッタの安宿パラゴンの情報を、どうやって手に入れたのかという考察がまだ続く。 1974年の旅は、わりと日記を書いていたので、日記を取り出し、マドラスからカルカッタに着いた日を探す。なーんだ、ちゃんと書いてある。初めか…

1023話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その14

安宿を探せ、旅行ガイド 2 引き続き、旅行ガイドの話だ。パラゴンをどうやって知ったかという話の続きだ。 1974年のインド旅行で、初めてカルカッタに行った。そのときに、かのパラゴンホテルに泊まっていたことを覚えている。「かの」というのは、のちに有…

1022話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その13

安宿を探せ、旅行ガイド 1 1970年代前半には、使い物になる旅行ガイドはなかったと書いた。1974年のインド旅行では、カルカッタでパラゴンホテルに泊まっているのだが、その情報は何かの資料で読んだのか、それとも旅行者に教えてもらったのかわからない。…

1021話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その12

ペナンでインドのビザを インド行きの情報をいろいろ教えてくれ船会社の社員が、「ビザを取ってください。乗船券を買うのはそのあとです」という。それはわかっているが、ペナンにインド大使館はない。ビザをとるには、クアラルンプールかバンコクに行くしか…

1020話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その11

船で、またインドへ 船から香港島、九龍半島が見えた時は、「ざまあ、みやがれ!」という気分だった。前年の秋に見た香港が、今また目の前にある。海外旅行は「一生にたった一回の大事業」と思っていて、昨年は日本を出るまでにいろいろ苦労したし、帰国した…

1019話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その10

船で香港へ 青山のビルのなかにあった東洋共同海運で、香港まで行くソ連船の切符を手に入れた。バイカル号と言った。この船会社の名前を「共同海運」と覚えていたのだが、本当にそれでよかったのかを確認したくて昔の旅行ノートを取り出したら、ソ連船の1974…

1018話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その9

また旅へ 1973年に初めて外国旅行をしたら、工夫次第で簡単にまた旅ができるという自信がついて、しかもいろいろ情報が集まった。「初めて」という壁を壊してしまえば、あるいは乗り越えてしまえば、旅は工夫次第でどうにでもなることがわかった。どのような…

1017話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その8

そして、インド 今まで長々と書いてきたような手続きをして、やっとインドに行った。ネパールにも行った。ネパールのポカラは登山基地の町で、まだ観光地にはなっていなかった。1973年の時点では、多分、ぺワ湖畔にはホテルはおろかゲストハウスなど宿泊施設…