特に探している本があるわけではないが、丸善で数時間遊んだ。長い時間を過ごしたのは、食文化と文化人類学と建築の棚だ。
『[図説]世界の外食文化とレストランの歴史』(ウィリアム・シュットウェル、原書房)は、例によって、欧米の学者の「世界」は欧米だけなんだろうと思いつつ目次を点検したら、わずかに回転すしの話題があるだけで、やはり「世界とは欧米だ」という本だ。原題は「レストラン 外食の歴史」だから、「世界」を加えたのは日本の出版社だが、著者の認識は同じだろう。欧米の学者たちの唯我独尊。外食の研究書は多く出版されているが、欧米人の手によるものは、大同小異、皆この自己中心主義。
同じ原書房の本だから、大丈夫だろうかと気になったのが、『[図説]韓国都市探究:24の街の歴史』(全国地理教師の会、原書房)だが、内容を点検するほどの好奇心はない。『スラバヤ 東南アジア都市の起源』(布野修司、京都大学学術出版会)は、力作の大著だろうということはわかるが、スラバヤの研究書を読むほどの好奇心はない。2冊とも高い本だが、安くても多分買わない。本の出来上がりの問題ではなく、私の好奇心の問題だ。
ネットで見つけた本を書店で数冊見つけた。うん、おもしろそうだ。だが、未読の本が10冊くらいあるので、本日は買わない。
さて。
このタイ食文化コラムの1回目(2438話)で、タイ料理の味の話を少ししたが、ここで再び全体像を眺めてみよう。「味覚から感じるタイ料理」の話だ。
まずは、辛味の話。タイ料理の辛さは、インドや四川や韓国の料理などの「油+乾燥トウガラシ」という味ではなく、生トウガラシのさわやかな辛さに特徴がある。タイでももちろん乾燥トウガラシは使うが、真っ赤な料理は比較的あまり辛くない。辛さの感じは、メキシコ料理に似ているかもしれない。
外国人が生まれて初めてタイ料理を食べると、まず「辛い!」だろう。ただし、団体客が案内されるレストランの料理は、街の料理とはだいぶ違うから、そういう店の料理で「タイ料理は・・・」と判断してはいけない。
私の推理に過ぎないのだが、日本の「お子ちゃまカレー」くらいがちょうどいいという人だと、街の中国系タイ料理のように、トウガラシ入りのタイ料理はどれも食べられない。ただし、トウガラシを使わないタイ料理はいくらでもあるから、「外国人は、タイ料理をまったく受け付けない」というわけではない。
日本のカレールーの「辛口」でも、なんということもなく食べられるという人だと、バンコクの料理はたいてい大丈夫だが、パパイヤの和え物ソムタムや、ココナツミルクが入らないケーン・パーやケーン・ルアンといった汁物だと、ひと口で敗退するだろう。タイ人でも、両親が中国系でバンコク育ちという人だと、タイの田舎料理はたぶん辛すぎて受け付けないだろう。万人向けの食堂や屋台の料理と、田舎の家庭料理では辛さのレベルが段違いだ。生の青いトウガラシをペースト状にして料理に加えると、「辛そう!」とという見た目ではないから安心していると、とんでもない衝撃を受けることになる。
調味料のところで話しておいた方がよかったかもしれないが、旨味調味料や旨味+塩味調味料の話を少ししておこう。いわゆる味の素のような旨味調味料は、日本以上に使うが、よく観察すれば、それは炒め物など中国系タイ料理によく使われるような気がする。発酵調味料は魚醤油のナムプラーが有名だが、オキアミの塩漬けをペーストにしたカピは、日本の味噌のようにさまざまに利用する。川魚を塩辛にしたのが、プララーで、溶けた魚肉も液体も使う。沢蟹を塩漬けにしたものも調味料に使う。外国人向けではないソムタム(パパイアの和え物)を食べていると、カニの足が口に残るから入っていることに気がつく。
ほかにも発酵調味料はあるから、もっと知りたい人は『魚醤とナレズシの研究: モンスーン・アジアの食事文化』(石毛直道、ケネス・ラドル)を読むといい。
次回は酸味の話から。