深田祐介は唯一無二の作家だったと思う。おびただしい数の日本人が海外駐在を経験しても、その姿を俯瞰して書いた作家は、深田以外ほとんどいない。少数ながら、「駐在員夫人もの」はあるが、長続きしない。海外滞在記を書くのは、駐在員やその家族ではなく、長期滞在者たちだ。駐在員の多くは、「来たくて来たわけじゃない」という海外生活者たちとその家族のことだ。
私は海外駐在員とはほとんど接点はない。生活圏や生活レベルが違うといった相違点が多く、バンコクで長く過ごしていても駐在員たちと言葉を交わすことはほとんどなかった。深田の背景が駐在員ということで、バックバッカ―たちの関心はほとんど得られなかったと思う。
企業やサラリーマンに興味のない私が深田祐介の本をほとんど読んだ理由のひとつは、異文化体験を知りたかったからだ。仕事のやり方の違いとか法律の問題といったことは世のビジネス本にいくらでもあるが、私が知りたいのは「異文化の中の日本人である私」の心だ。疎外感、孤独感、渇望、郷愁、憧れなど心の中に湧き出してきた感情を知りたいのだ。
海外駐在員であるかどうかにかかわらず、外国生活をしてきた人たちの思い出に残る話にこんなものがあった。
「毎日、英語で仕事しているでしょ。24時間英語の生活だから、日本人がやってる居酒屋に入って、目にも耳にも日本語しかない場にいると、とっても幸せな気分になるんですよ」
「駐在が2年目になると、たまらなく牛飯が食いたくなってね。牛飯だから、松屋ですよ。職場でその話をすると、『オレは吉野家の牛丼が食いたい』と言い出すやつがいて、どっちがうまいかという論争になると、とたんにむなしくなって、『もう牛飯の話はやめよう』ということになっていたんです。で、3年ぶりに帰国してからここ1週間、毎日松屋に通っています。幸せですよ」
1980年代の話。インドから中東を半年ほど旅している若者は、「マクドナルドにたまらなく行きたくなってね」といった。すしや刺身はそれほど好きじゃないから、旅先で食べたかったのは、ピザや焼肉だったという。「ポテサラは?」と聞くと、「うわ~たまらない。大好きですよ」
そういえば、1980年代の韓国を描いた『ソウルの練習問題』(1984)で、関川夏央さんは、「薄いコーヒーを飲みたい」と何度か書いている。アメリカのファストフードチェーンが進出する前の時代なら、アメリカ以外の地で暮らす日本人も、「薄いコーヒーを飲みたいなあ」と願っていたことだろう。私も、ヨーロッパではお湯で薄めたコーヒーばかり飲んでいた。
「熱帯の夕方、ひとりで空を見ていた時に感じた「日本」はね、風でこすれる笹の葉の音。温泉地に響く下駄の乾いた音。沢のせせらぎ。清流。古い商店街の黄昏時のすこしばかりのざわめき。それが郷愁ですね」
「外国で醤油を売っている店がまだ少なかった時代、ある国で突然、たまらなく醤油を使った料理が食べたくなって、たった1軒の日本料理店に行って、『少しでいいです。醤油を売ってください』と頼みに行ったら、『店で食べてください』と断られた。まあ、それもそうなんだけど、店で食べると高いからね」
アフリカで駐在生活をして帰国する日本人のことを深田は書いている。日本航空機の機内食を目の前にしたとき、『こんな料理よりも、洗面器一杯の醤油を飲みたい』と思ったという。1960~70年代のアフリカ駐在員なら、そういう感情も理解できるだろう。