深田には、海外駐在員を俯瞰する視点があった。これはほかの書き手にはない視点だ。
駐在員の外国語力は、大学で外国語を専門にやった人はかえって劣るという話が出てくる。大学で英文学やフランス文学などを専攻した社員は、周囲の者からは英語やフランス語がでてき当たり前という高い基準点が設定されている。「私は文学の研究をしたのであって、英会話を学ぶために大学に入ったわけじゃありません」と言い訳をしても、「それでも、やっぱり、英語は専門でしょ」という無言の圧力がかかると、「ここは、定冠詞は不定冠詞か、どっちだ? この単語の発音はこれでよかったのか? ここは、inなのかonなのかなどと」受験英語のような正確さを考えて、何も話せなくなると書いている。
自分が話す英語は文法的に誤りがあるんじゃないかと気になって、日本人がいる場所ではけっして英語を話さないという人もいる。ヨーロッパの安宿で体験したことだが、旅行者たちと世間話をした日の夜、昼間会話の輪にいた日本人旅行者が、「あのイタリア人の英語は文法がめちゃくちゃだ」とか「あのフランス人の英語の発音はひどい」といったことを言うのだが、あの場で彼はひとこともしゃべらなかった。私という日本人がいるので、しゃべりたくなかったのだろう。
パリの日本大使館で勤務した精神科医が書いた『パリ症候群』でも、パリで精神的な病にかかる人は、日本である程度フランス語を学んできた女性たちだという報告がある。自分の語学力の基準点を高く設定していると、現場で通じないことにダメージを受けるというわけだ。
深田は駐在員の外国語力について、こういう話も書いている。駐在員夫婦ともに留学経験があるとか現地の学校に通って本格的に言葉を学んだというような人と、日本語だけで生活している人たちの間にはわだかまりがあるという。外国語ができる人たちは、その国の人たちだけでなく、広い交友関係を築いていく。さまざまなボランティア団体に関わったりするという意味だろう。そういう日本人は、現地の日本人社会からはのけ者にされる。あまり日本人と遊ばない日本人は、現地の日本人社会から疎んじられるという。駐在員といっても、妻が日本人ではない場合や、その企業が日系ではない場合、日系企業ではあってもその格がものを言う。現地日本人会の会長は、三菱商事、三井物産、日本航空の幹部が持ち回りで務めるというのが多くの国で慣例になっているという話を深田の文章で知って、数十年後の今はどうかと調べてみたら、まだ変わっていないようだ。
駐在員と言っても、会社のカネで豪華な住宅で生活ができる人たちもいれば、「半額程度補助」というところもある。全額自費負担の日本人社員もいる。
バンコクで会った駐在員夫人は、結婚以来30年ほど海外駐在生活をしているといった。
「結婚してから、日本で生活をしたことがないんですよ。駐在生活で重要なことは、子供を日本人学校に入れるかどうかです。日本人学校に入れたら、保護者の会などさまざまつきあいができて、日本人社会で生きていくすべを身につけないといけないんですけど、ウチの場合は初めからインターナショナルスクールに入れて、途中からヨーロッパの全寮制の学校に入れたから、日本企業で働く夫はともかく、私は日本人社会だけ生きていかなくてもよくなったのよ」
駐在員の子供の教育をどうするかといった指南書はいくつかあるようだが、駐在員家族の物語を読んでみたい。
インターネットの時代になり、通販でなんでも手に入るようになっても、異文化体験はある。私が駐在員の異文化体験にこだわるのは、「来たくて来たわけじゃない。会社の命令です」という人たちの精神や行動を知りたいのだが、「深田以後」が誰も書いていない。「好きで日本を出た人たち」の旅行記はいくらでもあるが、深田が書いたような駐在員に関する本がない。駐在ノウハウの情報はネットで仕入れて、それで充分ということなのだろう。その点では、旅行体験記とあまり変わらない。