436話 どうにも、すごいぞ、これは・・・・ ―活字中毒患者のアジア旅行

 

 いや、びっくりした。こんな本が、今でも、現実に存在するんですねえ。『ダッカの55日』(大嶽洋子・大嶽秀夫中央公論新社)には驚かされた。バングラデシュの本は少ないし、古本屋で半額だったので、内容をよくは確かめずに買った本だ。著者ふたりの名を知らないが、高名な政治学者と童話作家の夫婦らしい。夫がバングラデシュで短期間の客員教授をやることになって、妻とともに過ごした滞在記がこれだ。ちょっと抜き書きしてみよう。
バングラデシュ行きが決まると、夫の友人が言った。病気がうつるといけないから、帰国しても、しばらくは我々には近づかないでほしい。夫は「そうだね」と言うだけ。あきれるとか、怒るといった感情表現はない。
ダッカの外国人宿舎の夕食に出たサラダを勧められ、それを断るときの妻のせりふ。「私はけっこうです。私たちのうち、どちらかは生き残らないとねえ」
■本屋に行きたいが、市場近くにあるので、臭くてたまらない。無理して本屋に行った翌日は、頭痛に悩まされた。
■「いつか一度、市場で間違った階段を下りて、肉屋に入ったときに、その悪臭に涙がでて、それ以来市場へは足を向けていない」。
■ある日、夫婦そろって大学に行く。教授が、紅茶とサモサ(カレーパイ)を出してくれた。サモサを食べるよう何度も勧められた妻は、しかたなくひと口かじった。その時の夫の感想。妻は、手も洗わずにサモサに触れて、かじったことに、「けなげ」。
 こんな調子の滞在記だから、当然自費出版だろうと思ったのだが、その世界では有名な夫婦の文章なので、有名出版社が出している。ちなみに、夫婦のこの滞在は、日本の税金で賄われている。
 この本を私の仲間たちは「ひでー! なんだよ、これ」と思うだろうが、日本人一般、特に駐在員たちは私の指摘に対して、「何か、問題でも?」という反応だろう。数の上では、異常なのは我々(私とこのコラムを読んでいるあなた)で、正常(多数派)なのは彼らなのだ。
 口直しをしたくなったので、『インドネシアの山登り』(若松林治、のんぶる舎)を紹介しよう。自動車会社のジャカルタ駐在員が書いた山登りガイドだ。こういう気骨ある駐在員もいるといういい例だ。私は登山にまったく興味がないのだが、インドネシアの山登りガイドは日本語では「類書なし」だろうから、ちゅうちょせずに買った。インドネシア語でも山登りガイドなし、ろくな地図さえなしという事情なので、登山道を探しているうちに時間切れとなって下山し、あとはまた別の休日に再度挑戦というサラリーマン登山の実情が、ほほえましくて、おもしろい。掘り出し物の本だった。
 古本屋で『南洋遊記』(鶴見祐輔、大日本雄弁会、1917)と10年ぶりに出会ったので、「これもご縁だから」と、買うことにした。前回見つけたときに買わなかったのは、高かったからだ。今回も高いが、「えい、やっ」と買ってしまった。豪華函入り本だ。
 鶴見祐輔(1885〜1975)は政治家で著述家。鶴見俊輔と和子の父である。この本は旅行ガイドつきエッセイで、「この本は興味本位である」という宣言がいい。学生時代に読んだ英語の授業で南太平洋について書いた本を読み、それから南洋に憧れたのだと「序文」にある。ちなみに、その時の英語教師が夏目漱石だったという時代だ。内容の一部を要約すると、こういうことが書いてある。
❏命がけで南洋に行ってみようと思うのは、南洋が経済的に有利だとか、学問上有益だというだけでは充分ではない。南国が面白いとか、南国生活が好きだというのでなければ意味がない。
❏旅支度として必要なのは、頭の支度、体の支度、財布の支度の三つだ。現地生活の長い日本人が、その地について詳しく正確な知識を持っているわけではなく、道聴塗説(どうちょうとせつ、いいかげんな話の受け売り)に注意。
 『鶴見良行の国境の越え方』(月刊オルタ増刊号)は、鶴見祐輔の甥にあたる鶴見良行の一種の追悼特集であるが、私にはやや不満な内容だった。私が読みたかったのは、鶴見良行がいかに偉大な人物であったのかという称賛の文章ではなく、「鶴見良行の越え方」だ。鶴見良行の限界や欠点をあげて、若い世代の研究者たちがそれをどう越えて行けばいいのかという文集を読みたかった。それを鶴見信奉者に期待するのは無理なのだが、今後のためにもクールな建設的批判が必要だろう。
 『ヴェトナムの中のカンボジア民族』(大橋久利、トロン・メアリー、古今書房)は、元特派員で現在大学教授と、昨年まで駐日カンボジア大使だったふたりが、カンボジアベトナム人に関して語り合った本だ。高い本だが、衣食住や便所の話題も載っているからついつい買ってしまった。ただし、注意が必要だ。おもしろい本だが、内容の正確さは私には判断できない。放言、暴論という可能性もありうる。        (2000)
付記:インターネット情報を探ると、『ダッカの55日』をほめている感想はあっても、私のように批判しているものはない。私が想像していたとおりだ。日本では、私のように批判的に感じるのは、どうやら少数派らしい。
 『ヴェトナムの中のカンボジア民族』は定価7600円という高い本だが、もちろんその値段で買ったわけではない。ほとんど誰も読まない本だから、発売後すぐに大幅の値引きをして、古本屋に積まれていた。