植物 2
1980年代なかばから、東南アジアの食文化調査遊びを旅のきっかけにしようと考えていた。どこかに行き、ただ歩いているだけではすぐに飽きる。散歩をしている足掛かりというか、遊び道具が何か必要だと思い、食文化を選ぶことにした。食文化なら毎日飲み食いしているのだから、まったく新分野に足を踏み入れるわけではない。毎日観察していればいいのだ。
食文化調査遊びの大構想は、野山海川の食材が料理されて、人体を通過する全行程を調べたいと思った。
まずは市場に行った。そして途方に暮れた。野菜も魚もまったくわからないのだ。魚は淡水魚がほとんどだから、その姿を見てもさっぱりわからない。野菜もわからない。日本人の知識にある野菜は、ダイコン、ニンジン、ジャガイモ、キャベツ、タマネギ、ハクサイなどいくらでもあるが、そういう野菜は東南アジアの市場にはなかった。少なくとも、バンコクの市場にはなかった。1980年代だとスーパーマーケットはフードランドとフジスーパーくらいしかなかったと思う。食材の買い出しは市場に行くのが当たり前で、その市場に知っている野菜がほとんどないのだ。
見れば、想像がつく野菜はあった。バンコクで言えば、キュウリは太く表面はつるつるだ。細長いウリのようで、皮がえらく硬い。料理の添え物にキュウリの輪切りをつけることがあるのだが、皮に何本もの筋を入れて、断面が歯車のようにする。そうしないと、皮が硬くて食べられないからだ。1990年代末のジャカルタで、スーパーのチラシを読んだ。キュウリの写真は2種類のっていて、1本はタイでもおなじみの太いものだ。そのとなりに写っているのは日本で見るキュウリと同じ姿で、写真についた名を読むと、「Timun Jepang」(日本キュウリ)とあった。インドネシアのように高い山がいくらでもある土地なら、温帯で育つ高原野菜の栽培も可能だが、平らなタイでは、温帯野菜はほとんどなかった。
のちに熱帯野菜の資料でお世話になる吉田よし子さんは、熱帯アジアでの生活体験から、こういう話をしてくれた。
「熱帯アジアで暮らす日本人駐在員は、当然日本風のカレーを食べたがるわけですが、これが簡単じゃないんです。カレールーは日本から持ってくる。肉は簡単に手に入る。問題はその先なんです。ジャガイモも、ニンジンも、タマネギも、熱帯アジアではなかなか手に入らないんです」
今は、輸入した温帯野菜や果物はいくらでもスーパーマーケットに並んでいるが、1980年代前半のタイの市場で売っている野菜は熱帯で育ったものばかりだった。バンコク在住のアメリカ人コラムニストは、新聞の連載記事の中でしばしばジャガイモのことを書いていた。ジャガイモを見つけたら、とにかくすぐ買え。次にいつ買えるかわからないのだからと書いていたのは、1990年代だ。
バンコクの市場をていねいに歩くと、中華街の市場で身ぐるみはがされたような小さなハクサイをたまに見かけることはあった。キャベツもたまには見かけたが、えらく小さかった。長ネギはあったが、ワケギだ。
市場で売っている野菜と果物とハーブの勉強を1から始めないといけないのだが、資料がなかった。