1549話 本の話 第33回

 

 考古学の本から その4

 

 佐原さんが存命中に作った最後の本、『考古学今昔物語』(坪井清足金関恕・佐原真、企画・編集:むきばんだやよい塾実行委員会、発行:文化財サービス、2003)を手に入れた。この本は、著者3人が講演し鼎談して作った本で、日本における考古学の歴史がテーマだ。佐原さんは、この本の著者校正中に亡くなった。佐原さんの「モースの功績」という講演で、考古学は開発と宿命的に結びついていると語っている。モースが大森で貝塚を発見したのは、桜木町と新橋間の鉄道工事があったから見つけられたのであり、佐賀の吉野ヶ里団地の建設工事中に見つかったという話をしている。

 この部分を読んで、またしても松井章さんとの考古学雑談を思い出した。

 「考古学に限った話じゃないけど、大学で考古学を学んでも、その知識を生かした仕事なんて、大学教授と博物館研究員以外まずないですよね」と私が言うと、「とんでもない!」と松井さんがやや大きな声で言った。

 「日本全土で工事をやっているでしょ。そこで何かが発掘されると、地方自治体ではちゃんとした調査をやらないといけない。教育委員会には考古学がわかる人材が必要だし、発掘を請け負う民間業者もあります。日本が世界一発掘調査が多いのは、土木工事が多いからであり、発掘調査しなければいけないという法律がある国だからでもあるんですよ。だから、考古学を学んでも、仕事はあるんです」

 この本の鼎談のなかで、元奈良国立文化財研究所所長の坪井清足(つぼい・きよたり 1921~2016)氏が、戦争を挟んでその前後に京都大学で考古学を学んでいた時代の話をしている。京都大学で考古学教室を初めて開設した浜田耕作(1881~1938)が学生に語った考えを紹介している。戦前期か戦後まもなくという時代だが、話した内容は現在でも通じる。こういう話だ。

 君たちは、大学を卒業したあとも日本で考古学の研究をするのだから、学生時代は外国のことを勉強しなさい。だから、卒論は外国のことをテーマにせよ。

 「ところが」と坪井氏はいう。今の人は、自分の地域のことは詳しいけれど、外国にこういう例があるということは、あまり知らない。

 この話に対して佐原さんは、「それは感じますね」と受けて、外国の最新研究事情にあまり興味と知識のない若手研究者がいるという話をしている。

 別のページで、坪井氏はこういう話をしている。「日本全体の人がもう少し視野を広げた世界全体の考古学とのことと比較しながら、日本だけの特殊事情だと言わないようにするにはどうしたらいいか・・・」

 この話は、私が『おにぎりの文化史』に関して書いたことと同じだ。事は考古学に限らず、ほかの学問分野でも、狭い範囲に「自分の領域」を決め込み、その壁の外のことは「専門外だから、知りませんよ」となりがちだ。自分の専門と「分野が違う」、「地域が違う」、「時代が違う」と言って、自分が掘った井戸にこもってしまう。こういう話は、ベネディクト・アンダーソンの『ヤシ殻椀の外へ』(加藤剛訳、NTT出版、2009)を中心に、282話から4回にわたって書いている。

 この本にかかわった3人は、すでに亡くなった。日本の考古学研究の歴史を、戦前の事情から語ってくれた遺言となった。考古学の門外漢である私も、興味深く読んだ。ほかの学問分野でも、あるいは『阿部謹也自伝』や、やはり阿部謹也の『北の街にて』のような個人史でもいいから、学問の歴史の話を読みたい。

 考古学の話は、今回で終了。