前回、食文化の変化の話を少ししたら、もう少し書きたいことが浮かんできた。旅と食文化の話だ。そこで、今回は番外編というわけだ。
石毛直道さんが編著者となって作った『ロスアンジェルスの日本料理店―その文化人類学的研究』(ドメス出版)が出版されたのは1985年だったから、調査をしたのは1980年代前半ということになる。それまでの日本の食文化研究者は、世界的に見て日本料理は特殊だという認識だった。刺身に限らず、材料にあまり手を加えないのが、いい料理だという認識。魚貝類はもちろん鶏卵も生で食べたがる。肉をあまり使わない。ほとんど油脂を使わない。食器の素材や形が様々で、その数が実に多い。器の大きさに比べて、料理の量が少ない。カウンターという料理店の形式など、「日本料理特殊論」の例がいくらでもあげられる。
だから、「日本料理はけっして国際化しない」、「日本料理は、世界各国で広く受け入れられることはない」、あるいは「外国には広まりにくい」といった結論だった。食品に関するさまざまな法律や規制のせいで、外国で日本料理を作るのは難しいという事情もあった。国や州によっては、「すしは手袋をして握れ」という規則があったり、かつおぶしは発ガン性物質があるということで、輸入禁止になっている国もある。検疫でひっかかる食材が少なくなかった。労働ビザの問題で、日本人料理人を使えないという事情もある。外国の日本料理店の客は、日本人か日系人か、仕事や留学などで長く日本に滞在した経験があるという人たちだけだった。
その日本料理が少しずつ広まっているようだということで、ロサンジェルスで調査を始めたというのがこの本だ。アメリカの日本料理店が広まる前夜と言っていいだろう。
そして、1990年代に入って日本料理は世界に広がっていった。健康志向や、アニメやマンガの広がりで、日本の食文化に強い関心が集まっていった。1990年代のバンコクでは、安い日本料理店が次々にできて、タイ人客でにぎわっていのを、私は体験的に知っている。
玉村豊男が『回転スシ世界一周』(TaKaRa酒生活文化研究所)を出したのは、2000年だった。すしは、もはや変人が口にするゲテ物料理ではなくなった。日本料理はたしかに特異だが、特異だから敬遠されたのではなく、特異だから関心を集めたのだ。
1970年代、日本の茶業界は深刻な問題に直面していた。急須がない家庭が増えているというのだ。自宅でコーヒーは飲んでも、日本茶は飲まないという時代に入りつつあるというのが現実だった。
「そんな時代がありましたね」と、茶文化研究家の熊倉功夫さんに話しかけたのは十数年前だった。
「そう、家庭から、包丁もまな板も、急須も湯飲みもなくなったという記事がありましたね」
「その日本人が、ペットボトルに入ったお茶を飲む時代が来ると予想していました?」
「いいえ、まったく。しかも、日本人が冷めたお茶を好んで飲むようになったんですから驚きですよね」
そういう会話をしていた当時、東南アジアではすでにペットボトル入りのお茶が売られていて、「どの商品は砂糖が入っていないか」というのが、在住日本人の共有情報だった。日本では、ペットボトル入りのお茶に砂糖が入っていないというのが、来日した台湾人観光客最大のカルチャーショックだというテレビニュースを見て、「台湾人がそんなことを言ってくれるな、嘆かわしい」と思ったものだ。
茶に砂糖という流れは、抹茶ブームへとつながる。いまや、抹茶菓子は世界で売れているらしい。
やはり十数年前のテレビ番組だったが、上海のコンビニを取り上げていた。客が弁当とお茶を買っている。おにぎりとカップ麺を買っている。
「学者たちは、『中国人は冷めた料理は口にしない』なんて言っていましたが、ほら、ご覧のように、お客様はお弁当を買っていかれます」とコンビニの日本人店長。温めて食べるか、あるいは冷めたまま食べるかもしれない。そういえば、台湾と沖縄のコンビニでは、おにぎりは店内で温めてもらうというのが常識らしいが、さて、中国でも同じなのだろうか。
東アジアと東南アジアに関して言えば、日本の食文化の発信源はコンビニだ。コンビニ大手は日系で、日本の食文化が一気に広まっていく。
ということで、外国のコンビニのことが知りたくなって資料を探したら、『コンビニからアジアを覗く』(佐藤寛編著、アジアコンビニ研究会編、日本評論社、2021)が見つかってすぐさま注文した。コンビニ関連資料はいくらでもあるが、日本国内情報限定で、日本の食文化と海外コンビニ研究資料を読みたい。
かくして、「週4アマゾン」となって、本とCDを買い集める生活だ。どうか地震が来ませんように。