1643話 日本語ロック その2

 

 翻訳ポップスの時代が終わると、日本人がオリジナルの詞を書くようになる。「ジュディー・オングの「魅せられて」(作詞:阿木燿子、1979)のように、日本人が聞いただけではわからない“Wind is blowing from the Aegean”という句を挿入する例はあるが、たいていは中卒でも理解できる簡単な英語を入れる。I love you、Lonely Night、Oh babyなどその例はいくらでもあるが、I miss youとなると、辞書を引かないとわからないかもしれない。” CAN YOU CELEBRATE ? “(作詞:小室哲哉、1997)や、この歌の歌詞“Let's a party time tonight”となると、辞書を引いてもわからないし、アメリカ人英語教師にさえ理解できない。インチキ英語だから当然だ。日本では歌に限らず、「いい雰囲気、かっこいい」というだけの理由で英語が使われてきた。つまり、英単語があれば、意味なんかどうでもいいというのが、日本だ。役人も広告関係者も、英語(意味のない英単語の羅列でも)を使えば、高輪ゲートウェイ駅のように、「なんとなくかっこいい」と感じる日本人の特性を利用している。

 日本語歌詞に英語を混ぜるというだけでは満足できず、もっとアメリカ風にしたいと思う歌手が現れる。日本語歌詞を英語風の発音で歌う歌手だ。これも1950~60年代の歌手、例えば山下敬二郎弘田三枝子から、萩原健一矢沢永吉など何人もいるが、やはり桑田佳祐がその代表的存在だ。

 大瀧詠一山下達郎の歌に対して、「歌のノリを大事にすると、どうしてもああいう歌い方になるんだよね」といった。聞き取れる日本語詞なのだが、母音をしっかり発音せずに歌うから、なんとなく英語風に聞こえるというのは、竹内マリアも同じだ。大瀧の歌唱法も同じだ。R音をL音で発音するというテクニックもある。

 いわば「桑田派」に属するのは、ミスター・チルドレンやB’zや吉川晃司など多い。

 日本語の歌詞に英語を入れたり、日本語を英語風に発音すればかっこいいロックやポップになるという考えに共鳴しない人たちも当然ながら少なくない。そういう反証ははっぴいえんどではなく、ほかの人たちによってなされた。そのグループは、日本語の詞をちゃんと日本語で歌うという以外の共通点はないが、私が好意を抱く人たちだ。

 忌野清志郎甲本ヒロト宮本浩次山口隆サンボマスター)、BIGINなどまだいくらでいる。鈴木雅之はテレビ番組で、「歌うときに注意していることは?」と聞かれて、「聞き手にちゃんと伝わる日本語でしっかり歌うことです」と答えていて、そういえば、鈴木は「きゃのじょぎゃ~」(彼女が~)などと日本語の発音を崩したりしていないなあ。

 今思い出したのは、だいぶ前のこと、アメリカから帰ったばかりのサザンオールスターズが深夜のラジオ番組に出演したときのことだ。アメリカでのデビューを考えたのか、ただのレコーディングが目的だったのかは覚えていない。アメリカの音楽ディレクターに言われたのは、「英語で歌っているようだが、その英語はまったく通じない。発音の練習をしなさい」だったというもので、「日本でだって、意味不明だよ」とラジオに向かって言いたい気分だった。アメリカでは、「英語風に歌っている」というのは、当然、まったく意味のない歌唱法なのだ。英語礼賛の国日本限定の歌唱法だ。

 ただし、アメリカでもラップやデスメタルなどは、わざと聞き取りにくい英語で歌うことがあるようだ。