2017-01-01から1年間の記事一覧

1019話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その10

船で香港へ 青山のビルのなかにあった東洋共同海運で、香港まで行くソ連船の切符を手に入れた。バイカル号と言った。この船会社の名前を「共同海運」と覚えていたのだが、本当にそれでよかったのかを確認したくて昔の旅行ノートを取り出したら、ソ連船の1974…

1018話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その9

また旅へ 1973年に初めて外国旅行をしたら、工夫次第で簡単にまた旅ができるという自信がついて、しかもいろいろ情報が集まった。「初めて」という壁を壊してしまえば、あるいは乗り越えてしまえば、旅は工夫次第でどうにでもなることがわかった。どのような…

1017話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その8

そして、インド 今まで長々と書いてきたような手続きをして、やっとインドに行った。ネパールにも行った。ネパールのポカラは登山基地の町で、まだ観光地にはなっていなかった。1973年の時点では、多分、ぺワ湖畔にはホテルはおろかゲストハウスなど宿泊施設…

1016話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その7

番外編 残高証明 1013話で、パスポート申請の書類について書いたら、ミヤケ氏という方から、1980年代になっても銀行の残高証明と旅行計画書のような書類が必要でしたというコメントを頂いた。それで、ちょっと調べてみようと手を付けたら、学生のレポー…

1015話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その6

インドのビザ事情 1973年のインドのビザ事情は、料金や書類など詳しい記憶はないので、『世界旅行案内』(日本交通公社出版局、1977)で調べてみる。出入国航空券がある場合、28日以内の滞在ならビザはいらない(資料によっては30日になっているものもある)…

1014話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その5

イエローカードと両替 旅券を取ったら、予防注射。コレラの予防注射と種痘(天然痘の予防接種)が必要で、アフリカに行くなら黄熱病の予防注射も必要だった。旅行ガイドの基本編で読んだ情報をもとに、有楽町の交通会館にある宮入内科で予防注射を受けた。料…

1013話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その4

パスポート パスポート申請書類に「一次」(正式には、1回往復旅券というらしい)と「数次」のどちらかを選べる時代になっていた。何度も外国に行ける自信などまったくないのに、根拠のない希望だけで、数次旅券を申請した。といっても、何か特別なことをし…

1012話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その3

証明書写真 当たり前のことだが、航空券を買う前に、役所での作業を終えておかなければいけない。今の旅行記は、現地に着いたところから始まるのだろうが、昔は日本を出るまでの作業がなかなかに面倒だった。手続き自体が大変だったということではないが、何…

1011話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その2

航空券を買う 羽田・ニューデリー・バンコク・香港・羽田のアリタリア便で、10万8000円の航空券を買った。羽田・ニューデリーのノーマル運賃は、片道が約13万円の時代だから、これは破格に安かったとはいえ、やはりかなりの金額なのだ。この時代、若い勤め人…

1010話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その1

初めての外国旅行 天下のクラマエ師の出世作『ゴーゴー・インド』出版30年を記念して、「旅の回顧展」というのをやるらしい。「少年時代の話や昔の旅の話を書いてよ」と、私がいくら頼み込んでも、とたんに「そんな昔のことは覚えていない」とリック・ブレイ…

1009話 海外旅行と石原裕次郎の時代

過去のある時期を、石原裕次郎研究に費やしたことがある。今もまだ、その時に買い集めた資料が本棚にあり、処分を待っている。 皮肉な話だが、少年時代の私が大嫌いだったたぐいの映画は、石原裕次郎や加山雄三の出演作だった。それにもかかわらず、2000年を…

1008話 耳タコ音楽

例えば、その曲がラジオから流れてくると、うんざりしてラジオのスイッチを切るか、別のラジオ局に変えるか、あるいは台所に行ってコーヒーを入れたりトイレに行ったりして、苦痛の時をやり過ごすということがある。 聞きたくない音楽には、2種類あると思う…

1007話 これが売れている腕時計ランキングだというのだが・・・

半袖の季節になって気がつくのは、腕時計をしていない人が多いということだ。スマホのせいで、腕時計が必要なくなったというのはわかるが、日本人は腕時計が大好きだったのではないか。 1970年代のことだが、旅先のある日、また時間を聞かれた。それで気がつ…

1006話 放送作家永六輔

永六輔が死んで、彼がいかに偉大な人物だったかという評価がいくつものマスコミで続いている。そのほとんどは同意するが、多少の違和感はある。 1970年代末頃までは、永六輔の本はすべて読んでいた。ラジオも聞いていたが、決してファンではなかった。気にな…

1005話 わたし流旅行記の書き方

多くの旅行記は時系列で書いていく。旅行者の移動に連動して話が進む。旅日記風だ。旅行者がある街に滞在するようになると、旅日記風に書くことが難しくなる。日によって行動内容が大きく変わると、1日1話では書けなくなる。 私の場合、時系列、つまり時の…

1004話 通過点に過ぎない

ある記録を作った野球選手がインタビューで、「これは単なる通過点ですから、これからも先に進むだけです」などと答えていることがあるが、その気持ちが私にはよくわかる。この「アジア雑語林」が1000回を超えたが、1000回超えを目標に書いてきたわけではな…

1003話 大阪散歩 2017年春 第42回

賀名生へ その9 大阪の旅から戻ると、病院のたえちゃんにメールを送った。意識的に日常のスケッチのようなメールにした。大学の授業を終えた後の、講師控室の描写とか、電車から見た風景など、特に内容のないスケッチだった。とても暑いある日、「あまり暑…

1002話 大阪散歩 2017年春 第41回

賀名生へ その8 たえちゃんの寿命はもうそれほど長くはないことは明らかだった。だから、大阪を去る前に病院に行こうと思った。 父の葬式の時にもっとも残念だったのは、戦友やかつての同僚や親戚など、酒好きの父なら朝まで盃を交わしたいに違いない人たち…

1001話 大阪散歩 2017年春 第40回

賀名生へ行く その7 くねくねとした山道を登っていく。「この先に、尾野真千子さんの実家があります」 さえちゃんの説明を耳にしているうちに、道路脇に「尾野」「称名寺」などという表示が見えた。そこで車を止めて、坂をあがる。両側は、杉の森だ。右手に…

1000話 大阪散歩 2017年春 第39回

賀名生へ その6 「どこに行きたい?」とちかしちゃんが言った。時間があるから、どこにでも連れて行ってあげるといった。私は「とにかく、いろんな賀名生を見たい」といった。小学校低学年までしかいなかったから、村の全貌を知らない。村は川沿いにあり、…

999話 大阪散歩 2017年春 第38回

賀名生へ その5 2017年の春に大阪に行こうと思った理由は、たえちゃんとは関係ない。いつものように、どこかおもしろそうな場所を探していて、台湾かベトナムかと考えているうちに、ふと「大阪」がひらめいただけだ。「大阪に行くことにしたよ」と、神戸に…

998話 大阪散歩 2017年春 第37回

賀名生へ その4 その後、たえちゃんとは長い間会うことはなかった。手紙はときどきやり取りしていた。たえちゃんは大学卒業後に結婚して兵庫県に移り、養護学校の教師となったというくらいのことは知っていた。彼女は育児と仕事で大忙しの日々を送り、私は…

997話 大阪散歩 2017年春 第36回

賀名生へ その3 たえちゃんと初めて会ったのは互いに1歳のときだから、もちろん覚えていない。東京の池袋で生まれて深川に引っ越し、1歳を過ぎて奈良の山奥に住むことになった。建設会社に勤める技術者である父が、ダム工事の仕事に就いたからだ。住むこと…

996話 大阪散歩 2017年春 第35回

賀名生へ その2 このアジア雑語林で台湾のことを書いていたころ、インターネットで情報を探しているときにとんでもなくおもしろいブログを見つけた。すぐさま「お気に入り」に入れたのが、台湾の大学で日本語教師をしている濱屋方子さんのブログだった。実…

995話 大阪散歩 2017年春 第34回

賀名生へ その1 大阪滞在中、少年時代を過ごした賀名生に行った。賀名生と書いて、「あのう」と読む。長い間、消えた地名だった。我が前川家が東京深川から引っ越してきたときは、奈良県吉野郡賀名生村和田だったが、1959年に奈良県吉野郡西吉野村和田とな…

994話 大阪散歩 2017年春 第33回

雑話集 その5 ●この大阪散歩第3回(964話)で、宿の話を書いた。宿の看板には「洋室シングル2000円」と書いてあるのに、「それは旧料金で、いまは2400円です」と言われてしぶしぶ支払ったという内容だ。さっき、「もしや・・・」と思いインターネットの…

993話 大阪散歩 2017年春 第32回

雑話集 その4 ●大阪育ちのグラフィックデザイナーの日下潤一は、『大阪呑気大事典』で「生玉さん」の項を、こう書いている。「正式には生國魂神社。生魂さんとも書く。しかし、生玉といえばホテルだったので、一度も参ったことがなく、神社であることも後に…

992話 大阪散歩 2017年春 第31回

雑話集 その3 ●前回大阪に行ったときには訪れる機会がなかった、重要文化財適塾にいった。散歩の途中に地図を見ていたら、すぐ近くに適塾があることがわかり、「よし、行ってみるか」となったのだ。淀屋橋だ。入口の入場券販売所に立つと、「あと30分で閉館…

991話 大阪散歩 2017年春 第30回

雑談集 その2●旅に出ると映画を見たくなる。大阪だからといって大阪らしい映画を上映しているわけではないが、大阪らしい映画館に行った。3本立ての新世界国際劇場は、私が映画館に通っていた1960年代そのままの映画館だ。3本をすべて見ると、大阪を散歩す…

990話 大阪散歩 2017年春 第29回

雑話集 その1 ●関西に来ると、「あー、そうだった」といつも思い出すのは、交通費が高いことだ。「関西 交通費 高い」などと検索すると、いくつもの情報がヒットする。関東と比べて実際に高いのだ。大阪だけでなく、神戸も京都も高い。例えば、地下鉄では、…